にゃんこなキミと、ワンコなおまえ6-1
伊黒にも同様に、そういった理不尽な八つ当たりが向けられることはままあるが、奴らは伊黒にその手の欲を向けることはない。オッドアイを隠したくて伸ばした前髪から透かし見る眼差しの、怨念めいた強さや、常に外さぬマスクへの胡散臭さが、近寄りがたく感じるのだろう。お調子者の馬鹿などは、暴力的な悪意や揶揄を向けてくることもあったが、伊黒は即座に反撃におよぶので、そういったこともすぐなくなった。
誰しも、唐辛子スプレーで目潰しされたり、やたらと虫が寄ってくる悪臭を吹きつけられるリスクを負ってまで、伊黒にちょっかいをかける勇気は持ち合わせていないものとみえる。しかも伊黒の場合は、五倍返しですめば御の字だ。散々な目にあったうえ、いつまでもジトリと睨まれるとあっては、気が気でないに違いない。
だから自然と伊黒への悪意は、遠巻きな舌打ちや陰口だけとなっている。不死川や、卒業していてもなにかと話題に上がる宇髄絡みの陰口よりも、いつのまにやら「あいつになにかしたら呪われる」なんていう噂としてだ。
けれども義勇に対しては違った。その象徴が、中三のときの事件だ。
義勇の中性さを残した秀麗な顔立ちは、思春期の少年たちにとって、昇華しきれぬ性的欲求をかきたてられるものであったらしい。未成熟なうちや閉鎖された環境では、よくある話だ。
それでも義勇が男性であるのに変わりはない。同性に欲望を覚える自分への不安をごまかすために、理不尽な理由を後付けして義勇へと責任を転嫁する輩の、なんと多かったことか。
――ホモ野郎。オカマ。尻で不死川や宇髄先輩に媚びうってんだろ。変な目で見んじゃねぇよ、誰がおまえみたいなオカマの誘いに乗るか。話しかけんな、ホモが移る――
そんな馬鹿どもの言葉が義勇を傷つけた……と言えば同情もするが、当の本人はまるでこたえちゃおらずぽやぽやとしたままだったのだから、頭が痛い。
それでも義勇だって最初のうちは、ポケッとした顔で「なにをこの人は言ってるんだろう?」と言わんばかりに小首をかしげてはいた。言い返しもせずにいる義勇に、ますます笠に着てからかおうとする奴らはことごとく不死川の鉄拳制裁の餌食になっていたから、気にする暇もなかっただけかもしれない。
本気で鳥肌立てた不死川が、気色悪いこと言ってんじゃねェとの怒鳴り声とともに振り下ろした渾身の拳は、相当痛かったものとみえる。一度でも殴られた奴らは、二度と義勇に近づかなかった。
「なんで俺がコイツと乳繰りあわなきゃなんねぇんだァ! 見ろ、この鳥肌を!」
「乳繰り合う……不死川は意外と語彙が古いな」
「そういうこっちゃねぇんだよ! 時代劇マニアのてめぇに言われたかねぇわァ!」
「時代劇が好きなのは槇寿郎さんだ。俺じゃない。でもこのあいだ観た『眠狂四郎』は面白かった」
「おぉ、意外となァ! って、そうじゃねェって言ってnだろ、てめぇもぶん殴るぞっ!」
「……殴ってから言うのはズルい」
そんな気の抜ける会話がつづくせいで、不死川とデキてるなんていう噂を信じるものが少なかったのも、一因だろう。義勇の脳天に落とす拳骨はだいぶ力加減されていたのは間違いないけれども、見ているこちらのほうこそ、頭が痛いというかなんというか。
まぁ、伊黒自身も噂の相手にされるたび、きっちりしっかり実力行使で異議申し立てしていたのだから、あまり不死川のことは責められない。自衛グッズの効力を己で試したいものは、そうそういないだろう。義勇と伊黒がデキてるなんてあり得ぬことを口走る馬鹿でも、かろうじて危機回避能力は備わっていたとみえる。
ところが、防衛本能を持ち合わせていないのか、はたまた自分を全知全能の神だとでも勘違いしているのか、身勝手な妄想がすべて現実になると思い込む度し難い馬鹿も世の中にはいる。
そんな馬鹿どもがとうとう、義勇に対して抱く不埒な欲望を、義勇本人で晴らそうとした。口にするのもおぞましい、理性のかけらもない理不尽で非道徳的な行為で。
言葉にすればありがちな、けれども、当事者たちにとってはいまだ憤怒で身のうちが焼き付きそうな、そんな出来事。中三のときに起きたのは、そういうたぐいの事件だった。
それでも、義勇があんまり平然とした顔をしているから。杏寿郎に、なにもなかったのと同じと笑うから。いつしか伊黒たちも、腫れ物に触るような慎重さも薄れて、今では以前と同じように気兼ねなく笑いあっている。
けれど、懸念が消えたわけではないのだ。
年齢が増すごとに、義勇を女性の代用品として見るむきは減っていったが、そんなごまかしすら装わぬあからさまな欲が向けられることだって、ある。むしろそういう傾向は強くなった。
だというのに、なんなんだ。俺たちの心配をよそに、一人でひょこひょこと呑気に出歩くとは、正気かコイツ。連れ拐われた現場だぞ、ここは。俺達にとってはトラウマものだ。なのになんで性犯罪被害者になりかけた貴様がそんなに呑気なんだ。馬鹿か。馬鹿なのか。杏寿郎が冨岡馬鹿としか言いようがないのは承知しているが、コイツの杏寿郎馬鹿っぷりもどっこいどっこいだろうに。いつもの御神酒徳利っぷりをこういうときにも発揮しろ、馬鹿め。貴様が一人で図書館に行ったなど、杏寿郎が知ってみろ。なにも起こらずとも真っ青になって、なぜ俺は呑気に家にいたんだと、自分を責めるに決まっているだろうが。父上を背負ってでも義勇と一緒にいるべきだったと、伯父にとってはたいそうはた迷惑この上ないことまで考えるに違いない。いや、考えるだけじゃない。もしもまた伯父がぎっくり腰になったら、杏寿郎は絶対にそうする。冨岡が絡むと、杏寿郎は本気で馬鹿になるから困る。いやまぁ、杏寿郎はいい奴だけれど。お日様のような朗らかな笑顔に救われたのは事実だけれども。それでも、少しは常識を思い出せと言いたい。あぁ、伯父上……なんておいたわしい。ご無念、察してありあまる……っ。
自分の想像で思わずクッと忍び泣きそうになった伊黒だったが、義勇はそれには気づかずに、ほんの少しすねた顔をして首をすくめ上目遣いで見てくる。あざとい。杏寿郎ならかわいいと脂下がるかもしれないが、俺がほだされるわけないだろうと、伊黒は眉間にシワを刻み込んだ。
「……思い出したのが、今朝だった」
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ6-1 作家名:オバ/OBA