Without strength
「何をしてるんだ? ノイトラ」
あの頃、といってそれが一体幾度の、幾月の、幾年の以前だったのかはもう少しばかりも思い出せないが、兎に角僕が居心地の悪さに逃げ出したくなったあの日より後、目に見えて迷惑そうに顔を歪める彼に構わず、僕は事あるごとにノイトラの元を訪れていた。偽善者との誹りを恐れずに敢えて言うのなら、彼の自尊心を傷つけた罪悪感による行動だったのだと思う。いつまでもノイトラに誤解されたままで居たくなかった所為もある。誓って言おう、僕は決して彼を弱者だと軽んじたことはない。
何にせよ、僕はノイトラを毎日のように訪ねた。だから僕らの交流はこの日で既に何十年目、何百年目になっていた可能性もある。
僕が一方的にその日あったことや耳にした噂話を語って聞かせるばかりで、会話らしい会話を楽しんだ記憶はないが、それでも僕にとってはかけがえのない時間だった。彼の方ではどう思っていたのやら、それでも、彼の性格上本当に僕の存在を疎ましく感じたのなら即座に頭蓋を叩き割るか首を捩じ切るか、胸を潰して抉り取るかしていたはずだ。それをされないということは、少なくとも此処に居ること自体を許さない状況には置かれていないだろう、というのが当時の僕の導き出した結論だった。
そういえば、いつかノイトラに「テメェはビビリで腑抜けの癖して神経ばっかやたらと図太いんだよ」と詰られたっけ。あながち間違っていない、どころか非常に核心を突いた評だと思う。帰刃(レスレクシオン)すれば巨大な獣と化すくらいだから、マイペースで大味な面があるのは否めない。
実際、誰かの争いを目にすることも死して消滅することも望んでいなかったけれど、傷つくことそれ自体を恐れた試しは無い、気がする。それよりも余程、怖いことは……
「あぁ? 別に何も無ェよ。ただゴミカスが散らかってるんで鬱陶しいと思って見てただけだ」
此方を振り向きもせずに答えるノイトラ(尤も、会っている間一度も目を合わせてくれないことなんて日常茶飯事だった)に倣って前方の地面を覗き込む。と、見ればボロボロに朽ち果てた死体、それも辺りの虚の所為か醜く損なわれた残骸がそこにはあった。
顔や性別なんて判別できるものではなかったけれど、仮面の名残をよくよく検めれば、それは見知った破面(アランカル)が身につけていたもので、僕は堪らずしゃがみ込んで溜息みたいな声を漏らす。
「ぁ……ビニシオ、アダルベルト……? しばらく見ないと思ったら、結局死んでしまったのか……」
「ハッ、成程。コイツらはテメェの知り合いってワケか」
「えっ? あ……いや、何でも無い」
その場にノイトラの居ることをほんの束の間でも失念した自分が信じられずに、僕は慌てて頭を振った。彼は他人に強く関心を持つ方では無かったし、仮にそんな奇跡が起きたとして対象足り得る僕ではない。よってそれ以上の詮索はされなかったものの、勘の優れた彼には問い詰めるまでもなく事情が分かったようだ。
「雑魚のクソガキ如き助けてやって、英雄気取りかよ。テメェのそういうトコがくだらねぇって言ってんだぜ、テスラ」
ノイトラの口調には心からの嫌悪感がこもっていて、その反面僕みたいな下位の破面の固有名を記憶しているのだから、全く以て理解が追いつかない。取り敢えず非難されているという事実だけは疑いようもないので、「同情のつもりじゃない。ただ、……」と幾分ハッキリした語調で、僕は応えを返した。
「ただ、目の前で死にかけていたから逃がしてやっただけだ」
能力が低く容貌も幼い破面たちは、辺りの虚に共喰いされかけることもしばしばだ。その現場に偶然居合わせた僕は、気づけば考えるより先に彼等と虚の間に割って入っていた。
それ以来二人の幼い破面は僕によく懐いてくれ、僕の方も彼等を可愛がった、それだけの話だ。英雄を気取るにはカタルシスに欠ける。
然し僕の弁明では納得がいかなかったらしく、彼は苦り切った顔を浮かべた。
「どうでもいい。テメェがそこらの雑魚共よろしく汚ェボロ雑巾同然に野垂れ死にてェって言うなら止めはしねェがな」
ノイトラはそこで言葉を切ると、砂に塗れた仮面の欠片を苛立って無造作に蹴り上げた。砂埃が辺り一面に舞う。
「これだけはよく覚えとけよ……救いようの無ェカスに御慈悲をくれてやるのはいけ好かねェ勘違い野郎のすることだ。“強者の余裕”ってな。少なくとも「テメェクラスの」やることじゃねェんだよ」
分かったら失せろ、とまるで野良の獣を追い払うような手つきに、あまりにも的を射た科白。そう、僕が恐れていたのはきっとこの感覚だ。
「……ノイトラ……」
結局、僕には遠ざかる背中を情けなく見送るしかなかった。引き留めて反駁を返すことさえ出来なかった。また虚閃が飛ぶとばかり身構えていたのだが、肩透かしを食った気分だ。ノイトラにとって僕とは、手を出す価値さえないらしい。
(ノイトラ、君は覚えてないのか……? )
当然か、と自嘲気味に笑む。砂漠の乾いた風に夜の寒さが加わって頬の皮がぴりぴりと痛んだ。
それでも僕は忘れることは無い。百年を遥かに越す昔、未だ言語さえ持たずみすぼらしいだけのギリアンだった僕を助けた、文字通りの英雄(ヒーロー)の姿を。
作品名:Without strength 作家名:月辺流琉