恩送り 飛ぶ鳥・飛鳥―2011~2023―
「バイバイ、マイガールズ。すぐ戻るから、今夜は一緒に呑もう。じゃあ、後でね」
「神は二物を与えるんですわね……」
「あたいはイナッチと波平の方が顔も性格もタイプだけど……。確かにあんたみたいな王子様が好きなタイプには、夕君、最強かもね」
「子宮が疼くわ」
「言うわね」
13
巨大スクリーンや460席在るリクライニング・シート。各所に設置された〈レストラン・エレベーター〉。そこは〈リリィ・アース〉地下六階に在る映画館のような広い空間を誇る〈映写室〉である。
二千二十三年五月十八日(木)――。風秋夕はチョコラBBをぐいっと飲み込み、左手首のヨットマスターを見た。
稲見瓶はコカ・コーラを片手に、リクライニング・シートから背を起こして磯野波平に言う。
「昨日のセトリと今日のセトリは違うみたいだね。それはそれで楽しみだ」
「あのよう、セトリ、て聞くと小鳥、て思い浮かばね?」磯野波平は鼻をふん、と鳴らして稲見瓶を見る。「飛鳥っちゃんが小鳥じゃんかよ、なあ?」
「うん。……だから、何?」
稲見瓶は無表情になる。コカ・コーラを少量だけ飲んだ。コカ・コーラは大好物であるが、コカ・コーラ特有の強烈な炭酸が稲見瓶は少し苦手であった。
「いやだからって何だよ……。無表情で……、ケンカ売ってんのかコラ」磯野波平はイラつきながら煙草を吸った。「セトリって聞くたんびに俺は飛鳥っちゃんを想像しちまうんだ、つっただけだろうが……。んだ、だから? 何? て、てめ……」
「ああそう」稲見瓶はコカ・コーラを飲む。
「ケンカ売ってんだろてめえ!!」
「なぜ?」稲見瓶は無表情で磯野波平を見つめた。「いつ、どこで、何時何分何秒、地球が何回まわった時に、俺がケンカを売ったの?」
「今売りまくってんじゃねえか‼‼」
磯野波平は稲見瓶に拳を振り下ろす。しかし、稲見瓶は齋藤飛鳥タオルをはってそれを防御した。
姫野あたるは比鐘蒼空に微笑む。
「5月17日……。つまり昨日は、小生の人生でも最っ高な、時間を過ごせたでござる……。比鐘殿は、どうでござった?」
「ああ…うん、はい。……たぶん一生忘れないと思います」比鐘蒼空はヤクルト2000をちびりと喉の奥に傾けた。「凄いライブだった……」
「今日は、それ以上でござろう」姫野あたるは、眼がしらに、力を込めて渋い表情で微笑んだ。「飛鳥ちゃん殿の、晴れ舞台、でござる……。後悔のないよう、比鐘殿も、比鐘殿らしく、参戦するといいでござるよ」
「はい……」
「乃木オタの先輩として言う事は、以上でござる……」姫野あたるは、優しげに笑みを浮かべる。「いつの時代も、新しいファンが歴史を支えていくものでござる。古参は、確かに、鬼滅でいうところの柱、ワンピースでいうところの四皇でござる。しかし、新世界を創るのは、いつの時代も、新しい人達なのでござるよ……。見届けてほしいでござる。飛鳥ちゃん殿の、生き様を――」
比鐘蒼空は、震える唇(くちびる)を噛みしめて、ヤクルト2000を飲み干した。
御輿咲希が腕時計を見ると、PM十八時三十二分であった。
宮間兎亜はリクライニング・シートに深く背を預けて、御輿咲希と駅前木葉に、特徴的な半眼を笑わせて、ハスキーな声で言う。
「あたい、恋愛経験はほとんど無いんだけど、なんか……、あれね。ずっと付き合ってきた彼氏と別れる日を迎えたような、なんか、そんな錯覚もあるっちゃあ、あるわよね」
「もう、これで……。飛鳥ちゃんはライブで……、歌わない、踊らない……」御輿咲希は、躊躇(ためら)うようにそう呟いた。「そんなの……、本当は、嫌ですの。でも、けれど……、飛鳥ちゃんの決意を、昨日のライブで垣間見ました。わたくしは、今日を心に焼き付けるつもりです」
「ええ、そうしましょうね」駅前木葉は、小さな笑みでそう言ってから、巨大スクリーンを見つめた。「飛鳥ちゃんさんは凄いんだぞと……、何代にも続く乃木坂の新メンバーたちが誇りに思うように、私たちファンも、飛鳥ちゃんさんのラストステージ、そしてこれまでの全ての時間を、胸に焼き付けましょう」
来栖栗鼠はリクライニング・シートに後頭部を付けて、大きな声で天野川雅樂に言う。
「雅樂さんさああ~~、ねえ憶えてるぅ?」
「あぁ?」天野川雅樂は、ポップコーンを中断して、来栖栗鼠を一瞥した。「何をぉ?」
「僕らが最初にここに招待された時に……、飛鳥ちゃんがいたこと」
「あぁ~、……ああ、そうだな」
「BARノギーにいた飛鳥ちゃんはびっくりしてたねえ~?」来栖栗鼠は、ほろりと涙をこぼして、笑った。「あははは……、最初に会った芸能人が乃木坂で、しかも飛鳥ちゃんがいただなんて……。僕らって、飛鳥ちゃんと繋がっているのかなあ?」
「それを信じて、いいんか、俺はわからねえ……。でも、飛鳥ちゃんの人生っつうストーリーには、一瞬でも俺らが映ったことは確かだぜ」
風秋夕は、真後ろの来栖栗鼠と天野川雅樂を振り返って、口元を引き上げた。
「それを運命と呼ぶかどうかは、自分次第なんだぜ」風秋夕は、左手首のヨットマスターを一瞬だけ一瞥してから、また2人を見る。「運命なんてそんなもんでいいんだ。偶然か必然かなんて、神か仏ぐらいにしか、真相はわからないんだから……。胸をはれ、野郎共!」
「おっす!」
「はぁい!」
「さあ、時間だみんな! 乃木坂1期生、エース齋藤飛鳥の最後のステージ! 今日は最後まで存分に楽しもうぜ‼‼」
乃木坂46ファン同盟10人が創り出す土砂崩れのような怒涛の歓声が〈映写室〉に木霊した――。
10人の同志達は、巨大スクリーンを強く見つめた……。
乃木坂46チーフマネージャーの菊池友氏と、乃木坂46合同会社代表の今野義雄氏が影ナレで現れた。
菊池友氏は、改めてファンの皆に気持ちを吐露する。
『いよいよ、齋藤飛鳥のラストステージが始まります。1期生のオーディションから約12年。今、24歳の飛鳥は、人生の半分を乃木坂に捧げてくれました。そんな飛鳥の乃木坂最後の晴れ舞台、スタッフ、メンバー、一丸となって最高のステージを創るべく、準備をしてきました。そして誰よりも、飛鳥本人が、乃木坂を支えていく後輩メンバーに繋がるステージを創りたいという思いで、今日この日を迎えています。マネージャーを代表して一言。最後の最後まで、乃木坂の事を考えてくれている飛鳥、本当にありがとう。最後の勇士、眼に焼きつけます――』
東京ドームから、この日というある種の運命を受け止めようと意気込むスペシャルな歓声が湧いた――。
続いて、今野義雄氏の声が想いを語る。
『当たり前じゃない、声を出して応援するライブ、そのライブで見送ってあげたい、そんなスタッフの思いで、卒業してからだいぶ経ってしまいましたが、本日は、二日間トータル、63万の申し込みの中、本日のチケットを手にいれた幸運の持ち主の皆様と、齋藤飛鳥の旅立ちを、大声で声援を送って、送り出したいと思います!』
オーディエンスは反応として、異常なほどに熱狂的な歓声・声援を上げていた――。
『という事で皆さん、今から、5万人の円陣を組みたいと思います。ご協力いただけますか!』
作品名:恩送り 飛ぶ鳥・飛鳥―2011~2023― 作家名:タンポポ