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恩送り 飛ぶ鳥・飛鳥―2011~2023―

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 宮間兎亜は泣きじゃくりながら、鼻水をすすっては、がらがらの声でその名を思い浮かべる。

 もう、二度とこんな人とは出逢えないと思ったわ。
 あたいの母親のように、強くつんとしていて、それがとっても美しくて、本当は、誰よりも優しくて……。
 あたいの人生、その再出発は、家出をしたあの日なんかじゃなくて……。
 1人で生きて行こうと決めたあの決意なんかじゃなくて……。
 1人で生きている人間なんか、実は1人もいないと気付かされた、飛鳥ちゃん、あんたとの出逢いがそうなのよ……。
 あんたが好き……。
 誰より好き……。
 大好きなのよ……。

「あすがぢゃぁぁん、んんっ、あずがぢゃぁぁん、あずがぢゃんあずがぢゃん、あずがぢゃぁぁん……、卒業……、おめでとぉぉぉ~~~」
 宮間兎亜は顔を、両の手の平で隠して、静かに、齋藤飛鳥への底の無い愛情を涙にして落としていく……。


 『裸足でサマー』が大歓声と共に始まる――。センターはもちろん齋藤飛鳥。真夏の風景を背景に、黄金のライティングに照らされて、乃木坂46はいっぱいに微笑んだ――。
 津波のようなオーディエンスの超絶大大大コール……。

 磯野波平は腕で泣き顔を隠して、声を殺す……。

 卒業、しちまうのかよ……。
 ちぇ、寂しいなぁ……。
 くそ、マジかよ。泣けてくるなそりゃあ……。
 飛鳥ちゃんよう……、俺がもし、もしもだぜ。本気で推しを飛鳥ちゃん1人にしちまったら、どう思うよ……。
 俺はな……、しっかり、飛鳥ちゃんに惚れてるんだぜ。付き合いてえ好きだし。結婚してえ好きだ。な? ちゃんとマジで惚れてんだろ?
 でもな、うまくは言えねえことなんだけどな……。飛鳥ちゃんが、乃木坂だったから、出逢えたんだろ。そうだよな?
 みんなもそうなんだよ。乃木坂だったから、アイドルとかよ、テレビとかユーチューブとかにうとい俺でも気づけた好きなんだよな。
 だからな、俺は乃木坂を推すんだ――。これからもそのつもりでいる。飛鳥ちゃんを知れた乃木坂を腹の底から応援して、これから知っていくメンバーなんかも、きっとな、たぶん、また好きになっていく……。
 飛鳥ちゃんと出逢った時みてえに、ドキドキしてよ、ケラケラ笑ってよ。あいつらと、ずっと騒いでくつもりだ。
 まあ、俺が乃木坂を箱推しな理由は、それだけだ。
 感謝、つうのかな。
 まあな、国語大っ嫌いだった俺なんかが、うまく言えるわけねんだけどな。飛鳥ちゃんと出逢うために、俺らファンは今までつまんねえ時間を我慢して生きてたんじゃねえかな……。
 こんな時、泣かない奴もいんのかな。でも俺は泣くぜ飛鳥ちゃん。こんな時に、ちゃんと泣ける奴の方が、カッコイイかんな。
 中坊だったな、お互いによ。

 磯野波平は、笑みを浮かべながら、眼を閉じて泣く。

 忘れねえ。
 忘れっかよ。
 忘れねえかんな。
 忘れてたまっか。
 忘れたくねえ。
 忘れねえからさ。
 忘れねえから。
 忘れねえからよ。
 忘れねえから……。
 最初で最後の、弱音ってやつ……、吐かせてくれよな。

「ぢぐしょぉぉぉぉっ、んんぐっ、ざみじいぞぢぐしょぉぉぉぉっ‼‼ んぐっ、悲じいぞ、ちっくしょぉぉぉ………、っんああああ、一生好きだかんなぁぁ齋藤飛鳥ぁぁぁっ、バンザァァァァーーイ‼‼」
 磯野波平は、大きく盛大に両腕を広げて、巨大スクリーンの齋藤飛鳥に崩れた微笑みを浮かべた。


 満を持して『シング・アウト』が齋藤飛鳥のセンターで開始した――。齋藤飛鳥の象徴たる、忘れたくない、忘れられない『シング・アウト』のソロダンスが、間奏にて舞い踊られた……。
 東京ドーム全体が、クラップし、歌声を上げている……。
 センターステージから、メインステージへと、両極に舞い上がる火花の壮烈な花道を歩く齋藤飛鳥――。
 最後は、黄金の花吹雪でこのパフォーマンスを終焉とした。

 梅澤美波は、齋藤飛鳥に、見てほしいものがあると、巨大モニターの前へと連れていく。
 すると、巨大モニターには、バナナマンの二人の姿が映し出されたのであった。
 爆笑を誘う軽快なサプライズメッセージ・トークの後、「飛鳥ちゃん、卒業、おめでとう~~‼‼」とバナナマンは声を合わせた。

 次の曲が、最後の曲になります。

 『ここにはないもの』が始まる――。齋藤飛鳥、最後のセンター楽曲であり、齋藤飛鳥、最後のシングル――。『ここにはないもの』を歌い舞い踊る乃木坂46の背後に映し出されたメインスクリーンの背景は――。強く迸(ほとばし)る、幾つにも連なった輝く光の羅列が天へと遡上し、煌めきながらそよいでいるのがとても綺麗で、それはいつか見た星空のようでもあり、太陽の下で見る、白日夢のようでもあった。

 風秋夕は、奇跡を垣間見るかのように、すぐにそれを思い出していた――。
 いつか、見たあの夢……。

 最強の夢をみたんだ――。誰にも奪えやしない、ずっと先の未来へと続くその路は、どうしようもなく運命であってほしくて、誰にも消せやしないほどに強く迸(ほとばし)る、幾つにも連なった輝く光の羅列で、手を伸ばしても届きはしない……。
 けれど、見上げる事はできるんだ。祈り、願う事もできる。
 それはいつか見た星空のようでもあり、太陽の下で見る、白日夢のようでもあった。

 風秋夕は、儚げに、齋藤飛鳥を見つめて、微笑む……。

 嘘を大切にしている。本当なら、とうに張り裂けてしまっているこの胸を、ひっそりと嘘が、優しくいつも守ってくれるから。とうに死んでいるはずなのに……。
 行かないでほしいと心から願いながら、この手は決して伸ばさない。
 笑ってくれと言われれば、笑うだろう。本当ならば、とうに可笑しくなっていても仕方が無いというのに。まともなふりを続けられる。
 嘘が守っている。痛くないと声には出さずに、嘘が代わりに泣いている。そうして、嘘はひどい痛みを、じんわりとした感情に変換してくれる。本当なら、とうに死んでいるほどの、痛みだというのに。
 離したくないのに、これでいいと、笑顔で見送れる。
 離したくなんて、ないはずなのに――。
 いつの間にか好きになっていた。好きにさせた癖に、どうして離れようとするの。齋藤飛鳥は、今年である2023年の5月18日に、乃木坂46から完全に巣立っていく。
 鳥は飛ぶものだと人はいうかもしれない……。そんな他愛もない言葉に、実は必死で笑顔を浮かべてうなずいたんだ。
嘘が守ってくれている。
 本当なら、とうに死んでいるかもしれないこの心と身体を、そこを巡る熱い血液を、思考を、生の象徴たる感情を……、齋藤飛鳥が望む笑顔が守っている。それは誠実で、完璧な笑みなのだろうが。矛盾なんだよ。だってほんの一息で、後少しで崩れてしまうのだから。
本当ならば、抱きしめて閉じ込めてしまいたいのだから。
 おめでとうなんて、言えないだろう。それでも言うよ。おめでとうを。それも、心の奥底からの声を使って、言えるんだよ。
 だってこの世界の半分ぐらいは、嘘が全部きれいに守っているから。
 いつか見た最強の夢を忘れぬように、今日もまた。
 君に、嘘をつくよ……。