確かなもの
「ああ、はい、あのう……、私は、飛鳥さんの後輩で、齋藤飛鳥じゃないんですね?」山下美月は丁寧な声で囁く。「飛鳥さんもここにいるんですけど、知らない番号からだったもで、用心棒の私が先に出た次第です……」
「は、はい……」
「代わりますね」山下美月は微笑んでそう言い、すぐに顔つきを必死なものに変えて、スマートフォンを飛鳥へと差し出した。「本物ですたぶん…本物の鈴木碧ちゃんです、柚飼くんのスマホから番号かってに調べてかけてきたみたいです、ちょ、ちょっと、も、早く!」
飛鳥は山下美月のスマートフォンで鈴木碧の顔を見つめながら、慌てた素振りで己のスマートフォンに声を出した。「はい……。代わりました、齋藤です……」
「ああ、ごめんなさい、齋藤さん、鈴木碧です、はじめ、まして……その。あの、今から、少しでいいので、私と会っていただけないでしょうか?」
「はい?」飛鳥はそんな顔できき返した。「あのう、会ってどうするんでしょうか……。お仕事の、お話でしょうか?」
「ううん。違くて……。話は、柚飼くんについての話なんです」
「……はあ」
「とにかく、電話で話すようなちゃちな話じゃないので、今すぐ私と会っていただけないでしょうか……。指定していただければ、どこへでも、すぐに向かいます。東京じゃあなくても」
「え、待って……。鈴木さんって、あの、柚飼くんと今やってるドラマに出てる方ですか?」飛鳥はうろ覚えなその声を思い出しながら言った。
「はい。その鈴木です」
「……わかぁ、りました。じゃあ、どこで……」飛鳥は考える。「今、どこですか?」
「あなたの会社の前に居ます」
「〈アンコン〉の、本社の前ですか?」飛鳥は炬燵から出て、立ち上がる。山下美月は真剣に見守っていた。「じゃあ、そこに行きます。タクシー拾ってから、向かいますので……。あぁ~、捕まるかなぁ……」
「何時間でも待てます。今日も明日も、オフですので」
「じゃあ、とにかく向かいますね」飛鳥はコートを取りにリビングを早歩きする。「お一人ですか?」
「はい、もちろん……」
「柚飼くんも、いないの?」
「いません」
「わかった。とりあえず……、向かいますね。あの、着いたらまたかけ直します。この番号でいいのかな?」
「はい、お願いします。申し訳ありません……。それじゃ、待ってますね」
「はい」飛鳥は、コートに袖を通す。「それじゃ……」
電話は切れた――。飛鳥はコートを羽織って、一応、ジュエリーを取りに別の棚へと向かう。
山下美月が大声で何やらを叫んでいたが、飛鳥はその声には答えずに、大急ぎで支度をしながら、タクシー会社に電話をかけていた。
意外にもすぐに駆け付けたタクシーに乗り込み、飛鳥は隣の席の山下美月に座視を向ける。
「んんであんたまでついて来るのよ……」
「だあって、変態とかだったらヤバいじゃないですか」山下美月はみかんを食べながら飛鳥を偉そうに一瞥した。「なんでひょいひょい出掛けちゃうのか、こっちの方が謎ですよ」
「だって、声が本物だったんだもん」飛鳥は、前を向く。
「ああぁ、確かにあの人の声でしたね……」
「芸能人が、私になんの用よ……」飛鳥は軽く溜息を吐いた。「なんだって今日なの? これから2024年のカウントダウンだったのに……」
「なんの用って。決まってんじゃないですか」山下美月は小さく苦笑して、飛鳥を一瞥した。「柚飼くんのことでしょう……。鈴木碧ちゃんも、たぶん柚飼くんが好きなんですよ」
「……私は、別に好きとかじゃ……」
「それかもしくは……。もう、柚飼くんと付き合った、とか?」
飛鳥は大きく鼻腔から車内臭い空気をいっぱいに吸い込んで、弱い溜息を連発した。
株式会社アンダー・コンストラクションの本社ビルの前に、確かに鈴木碧らしきスタイル抜群の女性が、一人立っていた。ハット帽を深くかぶり、サングラスとマスクをしている。格好も極めてファッショナブルであったが、そこは銀座でる為、際立って目立つ事は無かった。
飛鳥はすぐに鈴木碧へと、電話をかけた。すると、やはり鈴木碧は、すぐにスマートフォンを確認し、耳にはり付けた。山下美月は少し遠くで二人を見守っている。
「あの、今近くにいるんですけど……」
「はい」
「あの、こっちからは、もう見えてます。手でも、ふりましょうか?」
「いいえ」
鈴木碧は、周囲をきょろきょろと見回し、すぐに齋藤飛鳥の存在に気がついた。鈴木碧も飛鳥の姿かたちを存じている様子であった。
電話はすぐに途切れた。
暗がりのイルミネーションの中を、鈴木碧が歩いて来る。迷いの無いその歩みに、飛鳥は少しだけ身構えを揺るがした。
飛鳥の眼の前で、鈴木碧が脚を止めた。飛鳥よりも、少しだけ身長が高かった。
鈴木碧は、サングラスとマスクを顔から取り外した。
飛鳥はじっと、黙ったままで、無表情で鈴木碧を見つめる。
メディアで眼にするよりも、鈴木碧はずっと綺麗であった。
「齋藤さん、来てくれて、ありがとうね」
「ううん、話って……」
「うん……。柚飼くんに、告白されてるんだよね?」
鈴木碧は、まっすぐな視線で、齋藤飛鳥を見つめていた。
飛鳥は、言葉を躊躇しながら、首を傾げた。
「まだ、されてるんかな……。わかんない、ですけど……。はい、一度は、されました」
「付き合わないで下さい」
「え?」
鈴木碧は、一瞬だけ綺麗にはにかんでそう言い、すぐに表情を悲しげなものへと変換させていた。
飛鳥は驚いたままで、鈴木碧を見つめる。
「柚飼くんを好きなの、もう何年も前から、私はあの人の返事を待ってる……。あなたよりも先に出逢って、先にあの人を好きになったの」
「………」飛鳥は、どうしていいか、言葉を失う。
「断って、くれるよね?」
「……え」
「たぶん、あなたのその綺麗な容姿に、心を一時的にもってかれたんだと思うの」
会ったばっかりだから、説得力ないかもな……。
でも…、俺は千年前から飛鳥を知ってた気がしてる……。
ずっと、飛鳥を好きだった気がする……。
飛鳥は鈴木碧の声に、はっと我に返る――。
「面食いなの、柚飼くんは……。それに、あの容姿でしょう、彼に告白なんてされたら、好きになっちゃうよね……。でも、あなたはまだ、そういう感じじゃないようだし……。好きじゃないなら、……ううん。好きになりかけてても、断ってくれないかな」
痛い時は痛いし……、悲しい時は、悲しい……。
そんな時は、泣けばいいよ……。
だけど、どうしようもなく…、泣けてくるんなら……。
その時は、いつも俺が…そばにいる……。
「柚飼くんは、絶対に私を好きになるから……。赤い糸、あなたのは、彼とじゃない」
赤い糸……。
あなたのは、
彼とじゃない――。
飛鳥は、その言葉に、光葉慎弥を思い出していた……。
確かに、最愛の人は光葉慎弥、一人だけだ。
世界でたった一つの恋をした。
世界中の人々が消えて。
物語のキャストは、私と、慎弥だけだった。
いまも、変わらずに、
彼を愛している。
だけど――。
だけど、
だけど、どうしてか。