確かなもの
「え……」鈴木碧は、涙をふいて、顔を上げた。「確か、今話題の……、〈飛鳥〉のデザイナーじゃなかったかな?」
「その人に告白した」
「え……――」
「その人を好きになった」
「……――」
鈴木碧は、まっしろになっていたその表情を、徐々に儚いものへと窄(すぼ)めていく。
柚飼一哉は、言い訳を考える子供のようなぶっちょうづらで、ペットボトルのお茶を飲んでいた。
「返事はもらってない」
「?」鈴木碧は、涙を浮かべたままで、眉間に力を籠める。「それじゃ、まだ望みはあるんだ……。そうだよね、柚飼くん。柚飼くんのこと、なんにも知らないその人なんて、きっとすぐに柚飼くんを嫌いになるか、ついていけなくなる……。柚飼くん、ちょっとやそっとの変わり者じゃないんだから」
「………」
「私じゃなきゃ、ダメだって……、ちゃんとわかってもらえる日がくる」
「………」
「何か言ってよ……。………。何も言ってくれなかったら、私このドラマ降りるから」
鈴木碧はそう言って、椅子を引きずって立ち上がり、弁当箱を大雑把にバッグへとかたずけながら、ふりきるように楽屋の扉まで走る。
「鈴木!!」
その呼び声も虚しく、楽屋の扉は、無機質な質感を音立てて、ゆっくりとしまった。
5
ラインは不定期にやりとりしていた。今日はクリスマス・イヴだけど、私達は別にそれを意識していま、森林公園で会っているわけじゃなかった。
今年のクリスマスには、雪は降っていなかった――。
街灯の灯る洋風のベンチに、齋藤飛鳥は座っている。隣には柚飼一哉が座っていた。飛鳥は白いニットをかぶり、トレンチコートを着込んで。柚飼一哉はダッフルコートにセーターを着込んで。
柚飼一哉の側のベンチのスペースにだけ、洒落た紙袋が置かれていた。
飛鳥はふと、白い息を作って遊ぶのをやめて、柚飼一哉を一瞥した。
「煙草、吸わないね」
「うん、吸わない。――寒い?」
「ううん、慣れてるから、ここは」
二人の繋がれた手と手は、左手と右手。飛鳥が左手で、柚飼一哉が右手。
白い息は、街灯のあかりにオレンジ色に染まりそうで染まらず、白いままで、浮かんでは消えていく。
「世界中の奴らが知ってるのに、飛鳥だけ知らない事、教えようか」
「ん、うん……」
「今日はクリスマス…、サンタクロースから、プレゼントもらえる日なんだぜ」
「知っとるわ」
「メリークリスマスも言わない癖に、知ってはいるのか」
「知っとるわ。さんざん言ったし言われたわ今日、メリークリスマス……。もういいよ」
「メリークリスマス、飛鳥……」
「えぇ?」
飛鳥は横を振り返る。柚飼一哉は膝に一度置いた紙袋を、飛鳥へと差し出した。
飛鳥は受け取らずに、ただ驚く。
「え、うそ、でしょ……。プレゼントなんて、買ってきてないよ?」
「いらない。でも、あげる」
「えぇ、もらえないよ」
「やる。メリークリスマス。どうか、この恋が叶いますように……」
柚飼一哉はそう言って、星空を見上げた――。
星屑に煌めいた冬の星座たちが、煌めていて、二人を祝福しているような錯覚を思い浮かべながら、柚飼一哉は明日を見つめる。
「開けてみて」
「え~……、いい、のう? うん、じゃ、もらうね」
「開けて」
「ああ、うん」
紙袋の中を覗くと、赤いリボンのついた、小型の四角いクリスマス柄のプレゼントボックスが入っていた。
飛鳥は、包装紙を丁寧に開いていく……。
「歩き回った街ん中で、それが一番綺麗だった」
「……わあ」
それは小さなスノードームであった。逆さまにして、元の位置に戻すと、小さな雪が赤い屋根の小屋の前に立ったスノーマンと男の子の頭に降り積もっていく。
雪の中にはキラキラと輝くラメが入っていて、文字通り光り輝く雪の結晶が小さな世界を包み込んでいるのだった。
「へえ、趣味いいじゃん……」
「はあ、良かった。何週間も前から考えてて、走り回って探したんだ、想像してたのと、近い奴……」
「ふ~ん、ふふん……。ありがと」
「メリークリスマス」
「うん、メリ~クリスマス……」
ただ単に、こうして手を握っている事が、今の二人の精一杯である。しかし、もう一回、もう一回と、そんな時間は増え続けていった。
クリスマスの二日間が終えて、クリスマス・シーズンからニュー・イヤー・シーズンに街が活性化してきた十二月の末日。
飛鳥のスマートフォンに、一本の電話がかかってきた。スマートフォンに電話番号が表示されたその電話番号は、飛鳥の電話番号リストには登録されていない番号であった。
飛鳥は着信音を奏でるスマートフォンを見つめてから、すぐ近くで炬燵(こたつ)に入りながらみかんを剥いている山下美月を見つめた。
「知らな~い、この番号……」飛鳥は山下美月に言った。「なに、間違え電話かな?」
「出ればわかりますよ」山下美月は、みかんを口に放り投げた。「出なきゃ誰からかわかんないじゃないですか。それこそ、ご家族の誰かが、番号変えた知らせかもしれないし……」
「ねええんちゃん、出た方がいいと思う?」
炬燵で丸まって読書している遠藤さくらにそう問いかけたところで、その着信は鳴るのをやめた。
「えー、気になる……。誰だよ……、こんなの初めて」飛鳥は情けない表情で二人を見つめる。「えんちゃん、かけ直した方がいいかな? ねえどう思う?」
「かけてみたらいいじゃないですか」遠藤さくらは本を読みながら、一瞥もよこさずにそう答えた。「なんにせよ、正体はつかめますよ」
「え~ん? ……、誰だろぅ……」
「飛鳥さん、柚飼くんからだと思って、うきうきしてません?」山下美月はからかうように眼を笑わせて飛鳥の顔を覘く。「もしかしてだけど」
「ええ? う~んでも、そうだったら、またそれも気になるしぃぃ、わあ!」飛鳥は声を出して驚く。
また、飛鳥のスマートフォンがけたたましく着信音を奏でたのだった。
飛鳥は、顔を険しくさせて「う~~ん、どぉうしよぉう」と悩んでいる。
遠藤さくらは我関せずと読書を続けている。
山下美月は、座視で飛鳥のテーブルサイドからスマートフォンをひったくって、電話に出た。
「あ!」飛鳥は眼を見開いて「あ」の顔で固まった。
「はいもしもしぃ、齋藤ですが?」山下美月は、片手で器用にみかんを剥き始める。「どなたでしょうか?」
「もしもし、私……、鈴木碧という、芸能界で、働いている者なんですが……。すみません、突然に電話してしまって……。柚飼くんのスマホから、かってに番号知って……、思い切って、かけてしまいました……」
山下美月は、大きく眼を見開かせて、すぐに己のスマートフォンを操作して、【鈴木碧】の画像を検出して、その画像を飛鳥へと見せた。
飛鳥は、難しい表情を浮かべて、鈴木碧の画像を見つめてから、顔をしかめて山下美月を見つめる。
山下美月は、耳にはり付けたままのスマートフォンを指差して、音を消して「鈴木碧、本物だ!」と口パクしていた。