確かなもの
「何もしてないよ……」鈴木碧は、柚飼一哉を真剣に睨みつけた。「柚飼くんだって、本当はあの人をまだ本気で好きにはなってないんだよ。ほんとうなら、もっと強引でしょ柚飼くんの恋の仕方は……。私はただ、好きじゃないなら……、もう柚飼くんに、関わらないでって……、そう言っただけ」
「くっ……」
「一哉くんっ‼‼」
「柚飼くん、どこ行くの、もう撮影開始するよ‼‼」
柚飼一哉はスタジオを出て、すれ違う人々を交わして通路を走り、楽屋の扉を手荒く開いた。
テーブルに乗っているバッグから、素早くスマートフォンを取り出す。
すぐに、ラインを開いた――。
柚飼
鈴木が勝手に 余計な事したの
今本人から聞いた!
連絡がほしい
俺の気持ちは 変わらない!
声が聞きたい
飛鳥と 会いたい
楽屋の扉が勢いよく開いて、鈴木碧の叫び声が柚飼一哉の背中に突き刺さる。
「どうしてあの子なのっ‼‼ ねえ、なんであの子なの! なんで‼‼」鈴木碧は必死に、泣きべそを浮かべながら、息を切らせたままで叫んだ。「どうして私に振り向いてくれないの、ねえなんでなの! なんでよ……、こんなに、柚飼くんが好きなのに……」
柚飼一哉は、その眼だけ感情を表して、無表情で振り返った。
鈴木碧は弱々しく、泣き始めた。
「どんな人にも、負けないぐらい、柚飼くんばかりを見てきたのに……、ん、……君が、…誰より……、好きなのに……」
柚飼一哉は、ゆっくりと、息を吐きだした。
「ごめん」
「なんでぇぇ……」
楽屋の扉が再び開かれ、神谷譲二と佐島優実が顔を出した。
神谷譲二は、すぐさま、その場の光景を確認して、佐島優実に首を振った。
佐島優実は頷く。
「OK、…じゃあ、10分間、もらっておくから……。それまでに、きれいさっぱりして戻って行きて。頼んだわよ」
「了解した」神谷譲二は、笑みを浮かべて頷いた。
佐島優実は楽屋から飛び出していった。
鈴木碧は、しゃがみ込んで、顔を隠して、声を殺して泣いていた。
柚飼一哉は、そんな鈴木碧を気にしながら、スマートフォンを耳に当てている。
しかし、電話は留守番電話サービスセンターへと繋がるばかりであった。
柚飼
今日でも、明日でも、土曜でも日曜でもいい
あのマッシロウと出逢った、森の公園で
飛鳥を待ってる
本人から答えを聞くまでは
飛鳥をずっと好きでいる
待ってるから
7
柚飼一哉との連絡を遮断して、二ヶ月が過ぎていた。三月も終わりに近づいているが、柚飼一哉は、今でも飛鳥にラインを送っている。しかし、飛鳥はもうそのラインに既読さえつけていなかった。
とある休日、齋藤飛鳥は炬燵をしまった渋谷の自宅マンションのリビングで、四月を控え、特番を連発するテレビ番組を観ていた。
しかし、観ているとはいっても、実際に観ているのはルームメイトの山下美月と遠藤さくらであって、飛鳥はテレビ画面を見つめてぼけっとしてるだけである。
「あ……」
山下美月は気まずそうに、飛鳥の事を一瞥した。テレビのバラエティ番組で、柚飼一哉と鈴木碧が映ったのであった。
チャンネルを変えようかとも迷ったが、飛鳥がテレビを見つめている為に、山下美月はチャンネルを変えてしまおう作戦を断念した。
「なんかぁ……、どこ出しても、出てますねぇ……」山下美月はテレビを見つめながら苦笑した。「ユーチューブでも観るかぁ……」
飛鳥は何も言わずに、ただぼけっとテレビ画面を見つめていた。
遠藤さくらは、テレビ画面の柚飼一哉を見つめて、か細い声を囁かせる。
「この人……、恋してる……」遠藤さくらは体育座りをしながらテレビに囁いた。「顔に出てる……、ふふわかりすぎ」
「ちょっとさくちゃん、何言ってんの?」山下美月は驚愕した事を隠すように、笑みを浮かべる。「わけわかんないこと言うのやめようねえ~、ねえ~はは……」
テレビ画面の中では、司会者が柚飼一哉を質問攻めにしてた。
「この人ですよね、飛鳥さんに好きって言った人」遠藤さくらは、飛鳥を見つめた。
「さくちゃん?」山下美月は引きつった笑みで遠藤さくらに言う。「なんか、違うの観ようか、ね、そしよう。さくちゃん、あの、チャンネル取って」
「何か言いますよ」遠藤さくらはテレビ画面を見つめる。
飛鳥は、ぼうっとテレビ画面を見つめていた。
司会者は楽しげに、柚飼一哉を不思議そうに扱い、番組に貢献する為か、ここぞとばかりに質問攻めにしていた。
「柚飼くんは、好きな食べ物とか、ないって聞いたんだけど」
出演者達がざわつく。
「ありません」柚飼一哉は無表情で答えた。
「じゃあ、好きな人とか、好きなタイプの女性、理想のタイプとかもないの? 彼女にするなら、こういう人がいいとか?」
柚飼一哉は、司会者を見ずに、カメラ目線になる。
「好きな人には、好きだと伝えないと、気が済まない体質なんで、気がついたら好きになってる感じかな……」
「好きな人にプレゼントするなら、何をプレゼントするの?」
「スノードームかな」
山下美月は咄嗟に飛鳥の事を一瞥していた。飛鳥は、眼を細めた程度のリアクションしかとっていなかった。
「具体的だねえ~、もしかして、もうスノードームをプレゼントしたことがあったりして?」
「あります」柚飼一哉は頷かずに司会者を見て答えた。「去年のクリスマスに」
出演者達がこれまでに無いほどにざわつき始めた。
鈴木碧は、つまらなそうに、視線を俯けていた。
それを察した司会者は、すぐに質問を換え、明るい雰囲気を保ったままで番組を進行していった。
「飛鳥さん……」山下美月は、切なげに飛鳥を見つめた。「ライン、読んでみるだけでも、気持ち、違うんじゃないですか?」
「んー? んん、でもぉ……」飛鳥は、我に返るように、山下美月を見つめた。「読んでも仕方ないからなぁ」
「鈴木碧ちゃんとは、付き合ってないと思います、どう考えても」山下美月は、飛鳥に真剣な表情を向けた。「なんなら、私にだけ、ライン見せてくれませんか?」
「え?」飛鳥は、大きな瞳だけを驚かせる。「見て、どうすんのよ……」
「見るべきだと思う」山下美月は、手を差し出す。「はい、出して下さい」
「いいよ、別に……」
「いいから!」
山下美月は、飛鳥の手から半ば強引にスマートフォンを奪い取った。
飛鳥は知らぬふりをして、体育座りの膝に頬をつけて山下美月のいない方向を見つめた。
遠藤さくらはテレビ画面を凝視したままで、テレビ画面を指差した。
「ほら、何か言ってますよ飛鳥さん、聞いて下さい……」
司会者が慌てる中、柚飼一哉は首を振って、もう一度言う。
「デザイナーの齋藤飛鳥さんに、恋をしています。告白はもう済ませてるし……、返事はもらってないですけど……、俺の気持ちはまだ変わってません。だから、彼女の他に好きな人はできません」
飛鳥はその表情を険しくさせて、テレビ画面を見つめる。
柚飼一哉は、カメラ目線で、真剣な表情を向ける。
「飛鳥が好きだ……。見てたら、誰か伝えてほしい。千年生きてられるなら、千年待ってるって。一億年生きてられるなら、一億年、待ってるって……」