確かなもの
「はい、ねCM行きましょう‼」
遠藤さくらは、飛鳥を一瞥する。「これって全国ネットですよね?」
山下美月は険しい表情で飛鳥のスマートフォンを見つめ、それを読み上げていく。
「今日の夜ですよ……、今日の夜も、森の公園で飛鳥さんを待つって、言ってます……。てか、一月から……、毎日、深夜一時から…、深夜、三時まで、待ってますよこの人……。毎日待ってるよこの人……。飛鳥さん!」
飛鳥は、その表情を険しくさせて、眼を閉じた。
「飛鳥さん、もういいんじゃないですか……。慎弥さん、天国で絶対、飛鳥さんのこと応援してくれてますよ」山下美月は、飛鳥のそばにスマートフォンをそっと置いた。「柚飼くんの気持ちは誰が見ても本物ですよ……。今さっきのテレビでの告白も、普通なら、そんなことしないもん……」
「そうでもしないと、伝わらないことわかっててやったんですよね」遠藤さくらは、チャンネルを変えて呟いた。「いいなぁ、愛されてて……」
「好きなんじゃないのう?」山下美月は、飛鳥に大きな声を出した。「ねえ、こんなまっすぐな人に、背中向けたまま去っていくなんて、いくらなんでも無いよそんなの。返事ぐらい返せないの? 飛鳥さん、今、飛鳥さんの胸の中にいるのは、誰ですか!」
飛鳥は険しい表情のまま、スマートフォンを握りしめて、リビングを走っていった。
山下美月は、遠藤さくらを振り返って、ピースサインをする。
遠藤さくらは、山下美月を見つめて「ナイスファイ、美月先輩」と呟いた。
夜の街を徘徊するように、ひたすら歩き続け、飛鳥は深夜の森林公園に辿り着いた。人々の姿は皆無だった。誰もいない森林公園。
街灯が等間隔に闇を照らしていて、芝生の緑地を囲うように散歩コースが舗装されている。
散歩コースには、ちらほらと洋風のベンチが置かれていて、街灯の真横に在るベンチが、飛鳥のお気に入りの場所だった。
そこに、柚飼一哉がいた。
ベンチの前に佇んだまま、遠くの齋藤飛鳥を見つめている。クリスマスの日に着ていた、あのダッフルコートを着ていた。
飛鳥は、何も考えずに、高鳴る胸に従ったまま、柚飼一哉の元へと歩いて行く。
途中、脚元でつまづいて、転びそうになった。
柚飼一哉はそんな飛鳥の方に、咄嗟に手を出して心配そうにしていた。
息が弾ける。
酸素を吸って、吐き出すだけの思考。
頭の中は、眼の前の全てだけ。
気がつけば、走り出していた……。
「飛鳥!」
「……」
飛鳥は柚飼一哉の胸に跳び込んだ……。柚飼一哉は飛鳥を抱きしめて、その腕に強く力を籠める。
飛鳥の小さな頭に、頬をつけて。「待たすの、長い……」と呟いた。
飛鳥は顔も見上げずに「馬鹿だな……」と呟いた。
段違いのボタンが、繋がれていくように……。
運命に逆らうように。
運命に、従うように。
飛鳥は、自然と浮かんできたいっぱいの涙をそのままに、柚飼一哉を見上げた。
柚飼一哉は、何も言わずに、飛鳥にキスをした。
二人眼を閉じて。
ほんのひとときの間、夢を見るようにして。
いずれ覚めるかもしれない夢に、今だけは酔いしれるように。
二人は、その唇を、そっと離した。
「返事聞くまで、色々と我慢するつもりだったんだけど……、まいったな」柚飼一哉は横を向いて、赤面していく。「あんまうまくないだろ」
「ん?」飛鳥は、無垢に上を向く。「何が?」
「キス……」柚飼一哉はそっぽを向いたままで、ぶっちょうづらを赤面させた。
「ふん……、そう、だね」飛鳥は微笑む。柚飼一哉の胸に、頬を当てた。「へたっぴ……」
「悪りい……、練習させて」
「練習?」
柚飼一哉の顔を見上げた飛鳥に、柚飼一哉は素早く、自然な運びで再びキスをした。
飛鳥の背を抱く柚飼一哉の力が、優しく、強くなった。
飛鳥は、ゆっくりと力を込めて、細い腕で抱きしめ返す。
唇が離れると、飛鳥は「こら」と囁いた。
柚飼一哉は、飛鳥の眼に見とれたまま、また、黙ったままで、飛鳥の唇に己の唇を重ねた……。
唇が離される……。
「返事、聞いていいか」
「……うん」
「もう一回、いった方がいいよな」
「……、うん」
「付き合って下さい」
「……うん、うふん」
「ふう……。もぉう、マジで離さねえからな~」
「ふふん、うん……」
飛鳥の頬に、涙が伝う……。
柚飼一哉は、尊そうに、頬に伝っていく飛鳥の涙を、親指でぬぐった。
「大好きだよ……、飛鳥」
「うん……」
「何してても、考えてたんだぞ……。飛鳥の事、ばっか」
「うん……」
「離れんなよ、もう……。離さないから……」
「うん……」
完全に、表情を崩して泣き始めた飛鳥を、己の胸に、その小さな頭を埋(うず)めるように押し付けて、柚飼一哉は、飛鳥の頭に頬をつけた。
「今日は、帰したくない」
「何でもいい……。もう、逃げたくない……」
「じゃあ、帰さない」
「……うん」
柚飼一哉の自宅マンションで、リビングにレコード盤で西洋の音楽が流される不思議な深い時間の感覚の中、シャワーを浴びている柚飼一哉の事をソファで待ちながら、あの日の元野良猫であるマッシロウとじゃれて遊ぶ中で、飛鳥はうとうととして、いつの間にか、眠りの中へと落ちていった。
シャワーを終えて、Tシャツを着込んでから、バスタオルで髪を拭きながらリビングへと戻って来た柚飼一哉は、ソファで眠りこけている飛鳥を見て、優しく微笑んだ。
飛鳥をベッドルームへとそっと運んで、部屋の明かりを消した。
柚飼一哉は、どうしようもない至福を全身に感じながら、いつの間にか、ソファで眠りに落ちていた。
飛鳥は、眩い光の中、反射に反射を繰り返す不思議な白い煌めきの中を、必死に眼を凝(こ)らして見つめ続ける。
どうしてか、わかっている。
不思議ともう承知している。
その光の先に、誰が立っているのかを――。
溢れかえる涙を浮かべながら、飛鳥は、その名を呼ぶ……。
「慎弥ぁぁ‼‼」
眩い光の中、相変わらずの優しい微笑みを浮かべながら、姿を現した光葉慎弥に、飛鳥は流れる涙も気にせずに、その胸に縋(すが)りついた。
「慎弥ぁぁ……、会いたかったぁぁ……」
飛鳥は少しの間、柔らかい感触で、優しく頭を撫でてくれる光葉慎弥の胸の中で泣き尽くしていた。
それからやがて、飛鳥は、光葉慎弥の顔を見上げる。
光葉慎弥は、穏やかな笑みを浮かべて、飛鳥を見つめていた。
また、涙が浮かんできた……。
飛鳥は、光葉慎弥の事を、泣きながら見つめ続ける……。
「慎弥が好きぃ………。それは、一生変わらない……。絶対に、変わったりしない……。大好きだよ、慎弥……」
光葉慎弥は、砕け散るように、穏やかに微笑んだ。
飛鳥は、表情を崩して、光葉慎弥を見上げる。
「私……、慎弥のことが好きなのに……。なのに………」
光葉慎弥は、微笑んだままで、首を横にふった。
飛鳥の頬に、涙が伝った……。
気がつくと、光葉慎弥は、少し離れた場所に立っていて、飛鳥は、光り輝く靄(もや)のような空間の上に立って、光葉慎弥を見つめていた。