冬の梟
「昨日、俺の誕生日祝いに梟谷の先輩や後輩が飲み屋に連れてってくれたんだ」
「うん」
「後輩はジュースだったけど、先輩達が飲みやすいお酒とか美味しい肴とか奢ってくれて皆で楽しく飲んで騒いでた…俺も飲み会は初めてだけど、楽しく飲めていたと思う」
「うん」
「それで一通り飲んでお開きにした時、木兎さんが「飲み足りない!」って騒ぎだしてさ」
「目に浮かぶ」
「他の面子はいつの間にか皆帰ってて、いつものように俺と木兎さんだけが残ったから二人で飲み直すことにしたんだ」
と言っても俺はそんなに飲めないから酔い醒ましのつもりだったと赤葦は続ける。
「でも時間も遅いし、そこの飲み屋は木兎さん家と同じ最寄りだったから家で飲もうって話になって」
「うん」
「コンビニで適当に買い物をして木兎さん家で飲んでたんだけど」
「うん」
そこまで話していた赤葦の声が止まり、研磨の細い眼差しが静かに横へと向けられる。両手でココアを包み見下ろす赤葦は昨夜の記憶を辿っているのか瞳が水面のように揺れていた。
「木兎さん、お酒が強くて…止めても何本も飲んでて。そしたらいきなり「好きな人いるの?」って聞かれたんだよね」
その突然の質問に赤葦は驚き、答えるまでに数分を要してしまった事が失敗だったと思う。
いつもならば、そんな初歩的なミスはしなかった。赤葦の反応に木兎は何かを感じ取ったのか、矢継ぎ早に質問を続けてきたのだ。
『え、マジでいるの?』
『だれ?』
『俺の知ってる人?』
『大学関係?』
『実はもう付き合ってたりすんの?』
飲みかけのアルコールを投げるようにテーブルへ置いた木兎に赤葦の方が慌てていたが、酔っぱらいは気にも留めず興味津々といった具合で赤葦との距離を詰めてくる。
『……いません』
『ぜぇってぇ嘘!俺の目を見ろよ』
視線を逸らしてからの赤葦の返答は木兎に更なる確信を持たせてしまっただけであった。間近に迫る木兎の圧に耐えられなくなった赤葦は掌でその顔面を押し返しながら不承不承に答えていく。
『います、いますから離れてください!それと別に付き合ってもいないし、その予定もないのでこれ以上詮索しないでもらえますか』
素直に答える必要もなかったが、初めて飲んだアルコールが赤葦の心と言葉のブレーキをかなり弛くしていた。
『なんで付き合わないの?』
至極不思議そうに聞いてくる木兎の顔面に思い切り頭突きをかましたくなった赤葦は何とかその衝動を堪えていく。
その想い人が貴方だと言ってやろうかとさえ思った。そう…何を隠そう、赤葦の片想いの相手は目の前で酔っ払う木兎そのものだったからだ。何が哀しくて本人にそんな事を聞かれなければいけないのか、なんの罰ゲームなのかと赤葦は意識が遠退きそうになる。
微かな苛立ちを籠めて赤葦は無邪気に質問してくる木兎から視線をまたもや逸らしていく。
『木兎さんには関係ありません』
そう答える事が精々だった。ただその答えは木兎のお気に召さなかったのか何故か金の瞳が少し細められていく。
『ふぅん…どんなヤツ?年上?』
『まぁ、そうですね。自分でも好きなのか、憧れているだけなのか偶に解らなくなりますが見ていて飽きませんし、これからもずっと見ていたいと思っていますよ』
『告白しないの』
『しません。俺は想っているだけで充分ですし、その人が幸せなら他に何も要りませんから』
『そんなに…好きなんだ』
『はい』
常ならば、ここまで話さなかった。
ずっと胸の奥深くに隠していた想いを言葉にすることなど考えられなかった。アルコールの力がそうさせたのか、話の流れに溜めていた想いを少しだけ昇華させたかったのか今でも赤葦には解らない。でも結果として、赤葦の選んだ会話の流れは失敗だったと言える。
赤葦の言葉に木兎は沈黙していた。何も反応がない木兎を赤葦は訝しく思い、直ぐそこで瞬きも忘れた金の瞳に視線を戻し、覗くことしか出来ない。
『木兎さん?どうし──っ』
問い掛ける赤葦の声が途中で息を飲む音に変わる。赤葦の目では追えない速度でいきなり木兎が立ち上がっていたからだ。赤葦の身体を肩に抱える形で。
『ちょっ、木兎さん!?』
お酒を飲んでいるのにふらつきもしない木兎に赤葦は流石現役だな…と他人事のような思考が浮かぶ。が、それも僅か数秒の間だけだった。次の瞬間には身体が宙に放り出される感覚に包まれ、思わず両目を固く閉じた。同時に背中が柔らかい感触に受け止められ、赤葦はほっと吐息をつく。そして飲んでいた部屋の端に置かれていたベッドに放り込まれたのだと気付いた赤葦はひたすら脳内に疑問符を浮かべていく。
『あの、木兎さん』
『俺も』
『はい?』
『俺も好きな人いるんだよね』
『え……』
頭の中身を直接金槌で殴られると、こんな痛みを伴うものなのかと赤葦は思った。いきなりベッドに連れてこられた事など吹き飛ぶくらいに赤葦は木兎の言葉に思考を取られていた。
『でもさぁフラれちゃったんだ』
『そう……です、か』
耳を塞ぎたくなる赤葦に、しかし木兎の言葉は止まらない。
『だからぁ俺と、セフレにならない?』