冬の梟
「うはよ〜。お前まぁた夜更かしか?ゲームもいいけど、ちゃんと夜に寝る生活リズムを…って、聞いてますー?研磨―?」
「クロ、うるさい」
研磨が通話を切ってから然程の時間も掛からず一人の男が我が物顔で家に入ってくる。研磨の顔を見るなり始まる小言の嵐に家主は非常に面倒くさそうな目付きで出迎えてやる。
「それより頼んでいた物は?」
「ん?あぁ。迷子の動物拾ったから消化のいいもの買ってこいって言ってたけど、動物にお粥とかスポーツ飲料あげたらマズイんじゃねぇの?」
もっと病食に近い動物用の餌とかミルクの方が…と言い掛けた黒尾は通された和室で見た人物に眠たげだった瞳を見開いた。
見覚えのある、しかしここに居る筈のない顔だ。
「あの、研磨くん…これは一体」
「説明したでしょ。拾ったから暫くウチで面倒見るって」
「じゃあ最初にそう言えって!動物は動物だけど、アレはどう見ても人間でしょ!?赤葦だよね!?」
テーブルに突っ伏し寝ている赤葦を起こさないよう抑えて怒鳴るという器用な事をする黒尾に研磨は肩を竦めた。
「それより隣の部屋に大きなクッションあるから赤葦の後ろに運んで」
「人も猫も駄目にする、あれか…了解」
「俺は毛布持ってくるから起こさないように寝かしといて。リキュール入れたココアを飲んだから大丈夫だと思うけど」
「お前お気に入りのチョコレート風味のリキュールね」
「自力で寝るの難しそうな様子だったから」
研磨も上手く眠れない時は甘い風味のお酒を少しだけ混ぜたココアをよく飲むので今回は赤葦のココアにも足しておいたのだ。それだけを告げると研磨はさっさと奥の部屋に足を向けた。来客は殆ど無い家だが柔らかくて心地のよい毛布や布団、座布団は割りと揃っている。気に入った寛ぎ道具を見掛けると衝動買いをしてしまう研磨に黒尾はよく呆れた顔をしたものだ。
まだ使ってない毛布を見繕い、それを抱えて和室に戻った研磨は瞳を瞬かせた。
既に運び終わったクッションに赤葦を寝かせようとした黒尾が止まっていたからだ。片腕に赤葦の半身を寄り掛からせたまま。
「クロ?」
「…研磨。赤葦に何があった?」
いつもの飄々とした口調は成りを潜めた声は低く硬いものとなっている。ここまで真剣な声音は研磨とて久し振りに聞くもの。何の事を指して言っているのか、と黒尾の腕の中を覗いた研磨の眉間に皺が寄る。
寝かせる際に赤葦のコートを取ってやろうとしたのだろう。だが問題はそこではなかった。脱がし掛けたコートの下から見えた赤葦の手首に二人の視線は注がれていた。そこには赤黒い痣がまざまざと刻まれていたのだ。それは一体どれだけの力で掴まれたらここまでの痕を残すというのか、という程に深い。無言でコートを取ればその痣は両方の手首にある。
舌打ちしそうになる黒尾の横から研磨がそっと指先を伸ばして赤葦に触れる。そこは、シャツの首元。
「おいおい」
しっかり着込んでいても見えるそれは痛々しいまでの噛み痕や赤い痣。シャツから覗く箇所だけでもこの惨状だ。見えない部分にも続いているだろうと容易に想像ができる、それらの数々に流石の黒尾も声音に剣呑さが増していく。
「研磨」
「それをやったのは木兎さんだよ」
研磨の言葉に数秒だけ黒尾の時間が止まる。そして様々な感情や思考が駆け巡ったのだろう、深々と溜め息を吐いて髪の毛をガシガシと掻き乱していく。ただでさえ自由な髪型が更に乱れていくが、そんな事は気にも留めず黒尾はここにはいない直情的な友人に向かい「あんの馬鹿っ」と毒づいていく。
「誰に何を聞かれても赤葦がここに居る事は言わないでね」
「りょ〜かい」
これはどんな理由があろうと問答無用で門前払い案件だ。目許を赤く腫らした赤葦が研磨を頼ったのもこれならば納得がいく。梟谷のメンバーに話せる内容ではないだろう。
赤葦の身体をクッションに横たえた黒尾は何かを思い付いたのか自分の携帯を取り出し構えていく。
「クロ?」
「まぁまぁ」
そう言いながら何枚かの写真を撮る黒尾に研磨は胡散臭げな眼差しを向ける。
「赤葦の寝顔を撮ってどうするの」
「悪いようにはしませんよ」
思い切り怪しさしかないが研磨が危惧するような使い方はしないだろうとは思うので任せることにする。
「確かまだ湿布と包帯あったよね」
「俺が持ってくるからお前も寝る支度してこいよ。どうせこれから寝るんだろ?」
黒尾の提案に研磨は逡巡し、頷いた。
「じゃあ俺も赤葦と一緒に寝るから今夜か明日にでもまた顔を出せる?」
「多分平気だと思うぜ。何か必要な物があったらメールしといてくれ」
「ん」
そうして黒尾はやっと寝る事が出来たであろう赤葦を眺め下ろしてまた深い溜め息を吐く。
「拗れるとは思ったけどお前も苦労すんね」
それだけを言い残して黒尾もまた湿布を探しに腰を上げていくのだった。