特別への一歩
扉が軋むような音で意識が呼び起こされ、ガウェインは目を覚ました。
「っ…ガウェイン殿!気がついたのであるな!…いや、我が起こしてしまったのか」
喜んだかと思えば反省したような声が扉口から聞こえてきて、そちらに首を向ける。
普段の精悍な面持ちはどこへやら、ほっとしたような弱々しい笑顔のネツァワルピリが部屋に入ってきたところだった。
どうやらグランサイファーの自室のベッドに横になっていたらしい。
「…俺は、何故寝ている…」
「ああ……その、なんと言うべきか…、」
もごもごと言い澱む男を訝しみつつ、身体を起こしかけたところで尋常でない頭痛を覚えた。
「ぬおっ、なんだこれは…!呪いが脳天にまで…!?」
堪らず頭を抱えると、膝の上にぽとりと氷水が入った袋が落ちてきた。頭の上に載っていたようだ。
歩み寄ってきたネツァワルピリがそれを拾い上げ、持ってきた新しい氷をこちらの頭上にあてがう。
「いっ…」
氷の角が触れるだけで痛みが走り、不覚にも声が出てしまった。
「…すまぬガウェイン殿。それは呪いではなく、我のせいでな…」
「なんだと…?」
呪いが悪化したのかと絶望しかけていたが、相手の言葉を受けて我に返る。
次第に気絶する前の記憶が蘇ってきた。
……そうだ。俺はこいつに殴られたのだった。
「……」
「まさかかように立派な瘤になってしまうとは思わなんだ…。まこと申し訳ないことをした」
「いや、あのときは俺も動転していた。というか瘤になっているのか?」
「うむ…」
恐る恐る触れてみると、成程異様に頭皮が盛り上がっている。
確かに街の通りのど真ん中で大声で取り乱していたのは、周囲への迷惑を省みない行為だったとはいえ。この野郎。
氷を受け取り、加減しながら自分で頭にのせる。
「……そう言えば、調味料の買い出しがこれからだろう」
「それは問題ない。今しがた済んだところである。その足でガウェイン殿の容態を見にきたのだ」
「…かなりの量だったはずだ。一人で行ったのか」
「ちょうどお主を運び込んだ折にジークフリート殿に会ってな。助力をいただいた」
「……」
男の口から出たジークフリートの名に、凪いでいた胸の内に細波がたつ。
ほとんど接点はなく関わることもない相手だが、噂だけは聞いている。一人で竜を倒してしまうような常識はずれの噂のおかげで、団員の顔と名前をあまり覚えていないガウェインでも認識できている数少ない人物のひとりだ。
そしてその男は、ネツァワルピリと時折り親しげに話していた。
属性力も異なれば立場も異なるにも関わらずだ。
いっそ誰とも話さなければいいのに、という暗い欲が再び鎌首をもたげてくると、買い出しの際に出た独り占めしたいと思う相手とやらに否が応でも結びついてしまい、認めたくなくて心に蓋をした。
黙り込むガウェインの様子をどう捉えたのか、ネツァワルピリは溶けかけた氷水の袋を持ちなおして扉に手をかける。
「長居は無用であるな。此度のこと、申し訳なかった」
「謝るな、鬱陶しい」
「…では、失礼する」
「……、」
向けられた笑顔に何故か唐突に寂しさが胸に押し寄せてきて、口をひらきかけるが何を言ったらいいのかわからず俯く。
そのままネツァワルピリが部屋を辞し、扉が閉まると不意に圧倒的な静寂に包まれた。
「……」
本当は引き留めて、もう少し話をしたかった。
何をと訊かれても話題などないし、何故と訊かれても理由はわからない。
それでも、自分のもとから離れてしまえば、あの明朗快活な人気者の鷲王が誰かに話しかけられてしまうような気がして。
「ちっ……くだらん。だからなんだ」
毒づくように呟いた声は我ながら上辺だけで、孤独な室内に虚しく響いた。
+++
それからひと月ほどが経ったある日。
素材集めの依頼から戻ると、ちょうど別の依頼から戻ったらしい団員たちとグランサイファーで合流した。
期待していた収穫があったのか、どこかあどけなさを残した笑顔のグランがほくほくの嬉しそうな顔で声を張る。
「みんなお疲れさま!今日はこの島に停泊するから、明日の朝には艇に戻ってね」
その言葉を皮切りに、まだ昼時ということもあって団員たちはそれぞれ食堂に向かったり自室に戻ったり町に降りたりと、思い思いに散らばっていく。
ガウェインも食堂に足を向けたが、聴覚がとある声を拾って思わず意識がそちらに傾く。
「ネツァワルピリ殿、良ければこのあと、どうだ?」
「おお、ジークフリート殿。うむ、臨むところである。まだ日は高いがな」
「先ほど町の人から聞いたのだが、ここの酒場は良いものを出すらしくてな。一人で行くつもりだったが、このタイミングで貴殿に会えたのも縁だろう」
「ほう、それは我も運が良い。では少し装いを改めてくるとしよう」
「確かにその装備は目立つな」
「はっはっは!お主も大概であるがな!」
「ん……そうかな」
愉快そうに笑い声を響かせて自室へと引き上げるネツァワルピリと、己の出立ちを見下ろして首を捻るジークフリート。
落ち着きのある応酬からは大人の空気が感じられて、自分ではまず作り出せない雰囲気に悔しさのようなものを覚えてしまう。
話の内容は昼間から飲みに行こうという堕落したものなのに。
無意識に止めていた足を再び食堂へと向け、ガウェインは胸中に芽生えた焦燥感を押し殺した。