特別への一歩
夜も更けた時分。
なかなか寝つくことができず、ガウェインは甲板でひとり夜風に当たっていた。
頭をよぎるのはあの鳥頭のことばかりで、自分自身に辟易してしまう。
ちなみに当の本人はまだ戻ってきていないようで、こんな時間まで特定の人物と一緒にいるということに怒りとも落胆ともつかない感情が渦巻き、盛大な溜め息をついた。
…なんだって俺がこんなに気を揉まなければならんのだ。
奴が誰と外出して何時まで飲んでいようが、なんの不利益も生じないというのに。
思えば、これまでも気がつけば奴の挙動を目で追っていたかもしれない。まああの声量と図体だ、意識せずとも視界には入るだろうが、特にこのひと月の間は自覚もあった。
…理由は、わからない。
そういうことにして、逃げていることは自分でもわかっている。
とうに成人した大人なのだ。さすがにこの想いがどのような感情から起因するものなのかくらい、わかる。
しかし、わかっているからといってどうしたらいいのか。
相手は男だ。それも生来からの人たらしである。
仮に気持ちが届いたところで、どうこうなるとは思えない。それどころか、依頼や周りの団員たちに迷惑をかけてしまうかもしれない。
「……」
視線を落とすと、飽きるほどに見慣れた冴え冴えとした赤い甲冑が目に入る。
…そうだ。
こんな表情もわからないような不便な身体の男に思いを告げられても、相手自身が困るだけだ。
呪いによる痛みとはまた違った、うちから絞られるような息苦しさが胸を襲った。いや……これは胸というより、心か。
同時に甲冑の戒めがほんの僅かに和らいだことも、己の気持ちに振り回されていっぱいいっぱいとなっているガウェインには気が付かなかった。
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更にひと月ほど経った頃。
キャラバンの護衛任務を請け負った。
道中に植物型の魔物が頻繁に出るという街道を抜けるまで、という内容のもので、ガウェインはグランとコルワそしてネツァワルピリと依頼にあたっていた。
護衛対象の商隊の荷物はそこそこ多かったものの、幸いにも魔物の襲撃はなく問題の街道を抜けていく。
その先は切り立った崖となっており、荷物を載せた台車の車輪がなんとか通れる程度の幅しかない。
目的の町は崖を越えた先だという。迂回を検討するが、なんとか今日中に荷物を届けたいというキャラバンの強い希望により、やむなく崖の細道を通ることになった。
「…どうする?ネツァワルピリ」
グランが表情の固い長身の男を振り仰ぐ。
そういえば奴は高所が苦手だと聞いている。騎空艇にはなんとか乗れているが、足元に目を向ければ当然崖下を意識せざるを得ないだろう。
急な傾斜に逆らうように木がまばらに生え、下にいくほど木々が生い茂っていくその崖下は、底の方までは視認できず深さもわからない。
ちらりとガウェインも男の様子を伺うと、コルワが気遣うように微笑を向ける。
「無理しなくていいわ、鷲王さん。ここまで来れば魔物だっていないでしょ。私たちだけで大丈夫よ」
「気遣い痛み入る…。しかしこれしき、なんの問題も……な、ない…はず…」
「いや、声震えてんじゃねえか…」
ビィに指摘されても返す言葉もない。
明らかに平静を装おうとして失敗し、不安が滲み出るどころか全開に溢れ出ているネツァワルピリ。
グランは苦笑して、キャラバンを率いる依頼主に訊ねた。
「ここから先、危険な魔物の目撃情報とかはあるんですか?」
「いや、聞いたことはないな。今通ってきた街道が厄介だったくらいさ」
その言葉にグランが頷き、ネツァワルピリの胸をぐいぐいと押し戻して崖から少しばかり遠ざける。
「聞いてたでしょ?僕たちだけで行ってくるから、ネツァワルピリはここで少し待っててよ」
「…つっても、ここはここで魔物が出るかもしれねーんだよな」
心配そうに呟くビィに、依頼主もなんともいえない複雑な面持ちになる。
「どっちかというと、ここに残るほうが危険だと思うんだが…」
が、それに対してグラン、コルワ、ガウェイン、ネツァワルピリの声が綺麗に被った。
「それは大丈夫でしょ」
「それは大丈夫よ」
「それは大丈夫だろう」
「それは大丈夫である」
「まあ、ネツァワルピリはつえーからな!」
ビィがおかしそうに笑い、グランが依頼主に行きましょうと声をかける。
「皆、足元には十分気をつけるのだぞ!」
ネツァワルピリの見送りに各々応え、グランを先頭にキャラバンは道幅に沿って一列で進む。中央付近にコルワを挟み、ガウェインが最後尾についた。
やや日は傾きつつあるが、目的の町は小さいながらも目視できる距離まで来ている。
今日中に着きたいという依頼主の希望も叶うだろう。
「ッガウェイン殿!!」
突然、離れた位置から背中に鋭い声がかかった。
振り返ろうとした刹那、足首を何かに思いきり引っ張られてがくんと膝が折れる。
咄嗟に戦斧を地面に突き立てるが、地盤ごとごっそりと足場が崩れ、大きく体勢を崩したところで足首を起点に崖に向かって放り投げられた。
「くっ…」
落下していく中、視界の端には意思を持った蔓のようなものが地面が突き出ていて。
ネツァワルピリが一足飛びに蔓が伸びる地中に剛槍を突き立てるのが見えた。