特別への一歩
(ネツァワルピリ視点)
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崖下に落とされたガウェインを目で追いながら、ネツァワルピリは前方へと声を張る。
「グランよ!ガウェイン殿が落ちた!地中に魔物が隠れておるやもしれん!一匹始末したが、注意されよ!」
「土の中っ?わ、わかった!」
「お主らは依頼を続けよ!町で合流しようぞ!」
一方的に言い放ち、ネツァワルピリは躊躇いなく身を低くして急斜面へと足を滑らせた。
半ば落ちるように足底で地を削りながらくだり、林立する木々を腕でいなしていく。飛び出た枝葉に頰を打たれるが、赤い鎧を見落とすまいと冷静に周囲に視線を巡らせる。
しばらくそうして落ちていくと、眼下に探していた人物を見つけた。
「ガウェイン殿!」
足場を蹴って駆け寄り、横ざまに倒れていた男の肩を掴み上向かせる。
下は砂利だ。途中の木々にも身体を打ちつけているだろうし、打ちどころが悪ければ命取りになりかねない。
「ガウェイン殿っ、ガウェイン殿!」
「……喧しい。耳元で名前を連呼するな」
大儀そうに頭をずらし、弱々しい声ではあるが普段の鬱陶しそうな響きを伴ったガウェインの声に、ネツァワルピリは深く安堵の息をついてその身体を強く抱き竦めた。
「お、おい…」
戸惑う相手の金色の頭を片手に抱き込み胸元へと押し付け、目を閉じて後頭部に呟くような問いを落とす。
「……怪我は」
「…しているに決まってるだろうが」
「大事なくてよかった…」
「ノブレスを張ったからな、折れたりはしていないだろう。」
不意打ちで足を捉えられたままぶん投げられたのだ。空中で受け身を取る間もなく、木の幹や岩肌に身体を打ちつけたのだろう。
「……おい、いつまでそうしている。全身が痛い」
気怠そうな抗議の声に、慌てて身体を離した。
同時にガウェインの頭を支えていた己の手甲にべっとりと血痕が付着しているのが見えて。
「ガッ、ガウェイン殿!あ、頭から出血しているぞっ」
「なんだと!」
ほかにもあちこちに切り傷を拵えていたが、動けないほどではない。
少し離れたところに川が流れていたため、目につく傷口はざっと洗浄した。
「…貴様もあの蔓に投げられたのか?」
「いや、あの魔物は倒した。その後すぐにお主を追ったのだが……随分下まで来たのだな」
「……俺を追って、崖から飛び降りたのか?」
「まあ、滑り降りたと言ったほうが適切かもしれぬが」
「あの高さから、お前が?」
「うむ。」
信じられないとばかりに訊ねられるが、自分が一番信じられない。
「…人間、いざとなればどうとでもなるものであるな」
以前にも医者を助けるために飛んでいる騎空艇から飛び降りたことはあるが、それと同様にもう二度とやりたくない。
「馬鹿が……無茶をするな。貴様も傷だらけじゃないか」
川辺に座り込んで話していると、おもむろにガウェインの腕が顔に伸び、鎧に包まれた指先がこちらの頬を撫でてきた。
そういえば途中、枝に頬を打たれていた。軽く切れているかもしれない。
「……、」
その触れ方はひどく優しくて慈愛に満ちていて、それ以上に扇情的で。
彼に触れられたことなど、これまでになかったと思う。
驚きのあまり一切の反応もできずに硬直してしまった。仮面に隠れて表情こそ見えないが、こんな僅かな擦り傷にも我がことのように心を傷めていることがわかる。
彼にそんな一面があるとは思わなかった。
ネツァワルピリが心のままに、頬に触れてくる相手の手に己のそれを重ねると、はっとしたようにガウェインは手を引っ込めてしまった。
「よ、要するにっ!貴様は阿呆だということだ!わざわざ無理をおしてまで俺なんかを追ってこずとも、上で待っていれば良かっただろうがっ」
照れ隠しのためか頬や首を赤く染めて、早口に捲し立ててくる。
そんな姿が愛おしくて堪らず、相好を崩した。
「気がつけば飛び出していたのだ。惚れた相手が危険に晒されていてじっとしていられるほど、我も腑抜けてはおらぬのでな」
「……、……な、……え、」
赤かった顔が白くなり、青くなって、また燃えるように赤くなっていく様をにこにこと眺めていると、ガウェインはこちらの視線を振り切るように勢いよく立ち上がった。
「そっ、そんなわけあるか!貴様はっ……貴様は……、俺では、ないだろう…」
両の拳を握り込み、俯いて何かを堪えるように声を絞り出す青年。
好意を向けられて動揺しているというより、まるでそれは有り得ないことだと確信しているかのような様子に、ネツァワルピリは小首を傾げて訊ねた。
「…ガウェイン殿?それは……どういう意味か?」
「……っ、」
言葉にしたら何かが終わってしまうとばかりに奥歯を噛み締める相手を、根気強く見つめて言葉を待つ。
言いたくないことなら無理に聞き出すことはないが、ことは自分の想いをどうやら勘違いされているらしいという一大事。
打ち明けるつもりなどなかったが、あまりの可愛らしさに気持ちを抑えきることができなかった。
口にしたことを後悔はしていない。寧ろ何かしらの誤解があったらしいことが発覚したようで僥倖である。
しばらくして、ガウェインが重たい口をひらいた。