特別への一歩
「…貴様には、……ジークフリートが、いるだろうが…」
どことなく固い声は、明らかに不安の色が見えて。
すぐにでも安心させてやりたいところだが、彼から発せられた名が意外すぎてネツァワルピリはまたもや反応し損ねることになった。
何故ジークフリートの名前がここで出てくるのか。
半ば困惑しつつも、青年の強く握り込んだ拳を見やりネツァワルピリは何も取り繕うことなくまっすぐ伝える。
「…ジークフリート殿は単なる仲間。我が恋情を抱いているのは、ガウェイン殿。お主だけである」
「う、嘘だ…!俺を馬鹿にしているのかっ…!」
揚げ足のとりようもないほどの直球すぎる物言いに、ガウェインはわなわなと震えて半歩後ずさりながら声を荒げた。
ネツァワルピリはゆったりと腰を上げ、真正面から相対する。
「我は嘘など申さぬ。数ヶ月前、共に町に買い出しに出た折、お主の笑顔を見てからというものすっかり惚れ込んでしまった」
そう。
以前から、強情で尊大な態度と強すぎる矜持の裏に、稀に見え隠れする優しさには気がついていた。
仲間思いなのに彼自身が気がついていないような、そんなもどかしさから目が離せなかった。
そしてあの日、人の温もりを知らないながらも理解しようとする姿勢に好感を持ち、不意に見せられた笑顔に全てを持っていかれたのだ。
「その場で伝えようとしたが、我の未熟さからお主に怪我を負わせてしまった…。機を逸したことで胸に秘めたままにしようと考えたのだが、ガウェイン殿があまりに可愛らしくてな」
辛抱できなくなってしまったというわけである、と己の心の変遷を辿るように説明する。
対するガウェインは、真っ赤に茹だったままゆるゆると首を振っていた。
「あ…有り得ん…、俺は……男だぞ」
「で、あるな」
意図がきちんと伝わっていることに安堵し、ネツァワルピリは目を細めて頷く。
「…こんな、顔すらわからん相手に……正気なのか?」
「確かに顔が見えぬのは非常に残念ではあるが、ガウェイン殿の内面に惚れたのだ。どんな顔であろうと関係ない。至って正気である」
堂々と言い放つと、ガウェインは脱力したようにその場にしゃがみ込んだ。
「俺の……葛藤は……なんだったんだ…」
「いや何、お主を困らせるつもりはない!」
深い溜め息とともに溢れたぼやきの意味するところは不明だったが、慌てて補足を加える。
「このような想いに応えるのは難しかろう。迷惑をかけるのは本意ではない。我の気持ちは変わらぬ故、この恋情を大切に温めていても良いだろうか」
「……」
「…ガウェイン殿…?」
「……俺はな。」
「…うむ」
「貴様のせいで大変だったんだ…。何かにつけてジークフリートといる貴様に苛立ち、それこそ墓まで持っていくつもりだった…」
「……」
恨みごとを言い連ねる調子のガウェインの真意を図りかねて、ネツァワルピリが身体を強張らせたのは一瞬のこと。
「ガッ、ガウェイン殿っ、それはつまり…!」
自身も膝を突き、蹲る青年の肩を掴んで詰め寄る。
己の考えが正解であることを一秒でも早く確認したくて、心臓が早鐘をうつ。
「…貴様に大切な人はいるかと問われたあの日、気付かされたのだ。たぶん俺はその前から…、……全部、貴様のせいだ」
「っ…!」
何かの間違いでないことを確信するべくすべて言い切るまで待ってから、ネツァワルピリは思いきり相手を抱きしめた。
「…夢では、ないのだな」
お互い鎧に隔てられ、体温も何もわかったものではないが。
届かなくても良いと折り合いをつけていた想いだったはず。それが届いただけでなく、まさか返してもらえるなど夢にも思っていなくて、奇跡のような幸せを噛み締める。
先程から可哀想なほどに赤くなっている眼前の耳に、優しく唇で触れた。
びくりと身じろぐ相手がなんともいじらしく、きゅうと胸が締めつけられる。
「…愛い」
「……んッ」
吐息混じりに低く呟き耳にそっと吹き込むと、ガウェインが耐え忍ぶように歯を食いしばったその口唇から、弱々しく甘い呼気を溢す。
途端、ぞわりと欲が腹の底から湧き上がり、ネツァワルピリはガウェインの顎を掴み衝動のままに唇を重ねた。
「んうっ……、」
突然の口付けに驚いたためか、喉を鳴らすガウェインに嗜虐心を煽られるが、全力で理性を掻き集めてすぐに相手を解放する。
しかし、それで終わりにしようとしたところで艶やかに濡れた薄い唇に目が釘づけとなり、結局啄むようにちゅ、ちゅと角度を変えて軽い口付けを二度三度と繰り返した。
「ちょ……待っ…」
抵抗らしい抵抗もせずに受け止めてくれるということは、不快ではないと思って良いのだろうか。
少しずつ上体を後退させていくガウェインと距離を詰めていくと、自然と前傾になっていき覆い被さるような体勢になっていく。
…まずい。止まらなくなってしまう。
あまり押し切るのもどうかと思い、ネツァワルピリは名残惜しく感じながらも身体を離して、仰け反ってしまった相手の身体を引き起こしてやった。
「驚かせてしまったな。我も余裕がなかった。…すまぬ」
「……、」
思春期でもあるまいし、つい盛ってしまった己を恥じて苦く笑う。
が、起こされたままの姿勢で固まるガウェインの様子がどうにも不自然で。仮面越しに様子を伺うと、彼は白い肌を朱に染めて口を薄く開けたきり、完全に放心していた。
「…だ、大丈夫であるか…?」
やはり無理をとおしてしまったことが祟ったのだろうか。
抵抗されなかったのではなく、実はこちらの勘違いで想い合ってなどおらず、拒否する暇もないくらいショックを受けてしまった、とか…
普段王として己の有りようや言動には自信を持っているが、見えない相手の心に酷く不安になる。