英雄
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呪いが解けたことをまるで我が事のように喜び祝ってくれるグラン達には、本当に頭が下がる。
ガウェインは、皆に鎧を引っ剥がされ久々の身軽なインナー姿に違和感を覚えつつも、有り難さを噛み締めていた。
とはいえフロレンスから発信される、己の幼少期の暴露は聞いていて耐え難い。
なんとかトイレを言い訳に酒場から脱出し、酒気に火照った身体を夜風に晒していると、前触れなく空気が震えるような気配を感じて周囲に視線を走らせた。
「……」
殺気…というほど殺伐としたものではないが、強い気配の揺らぎのようなものだろうか。
ガウェインは気配を頼りに、足音を消して酒場の裏へと足を向けた。
次第に声が聞こえてきて、注意深く意識を傾ける。
その声はよく知った男のものだが、明らかに普段とは違った。
…怒りだ。
すぐにそうとわかるが、信じがたい。
ガウェインの知るその男…ネツァワルピリは、怒りとは縁遠い性格をしている。
常に余裕のある微笑を称え、危機に陥っても豪快に笑い飛ばしてしまう度量を持っている。
建物の影からそっと様子を窺うと、団員ではない若い男と対峙しているところだった。
「不愉快である。」
聞いたこともないような、心底軽蔑した声音にガウェインの肩がびくりと跳ねる。
ネツァワルピリの怒気に当てられたのか、男が半歩後退した。
「お主が過去に何をされたかなど、確かに興味はない」
低い声にばっさり斬り捨てられると、男は唇を引き結ぶ。
盗み聞きはよくないと思いつつも、誰の話をしているのかわかってしまい、足が動かない。
「他人事だから、ですか…」
「否定はせぬが、そうではない。過去の咎をガウェイン殿が一切口にせぬ故よ。それは悔いているからこそであろう。寧ろ、自慢げに話してまわっているのはお主ではないか」
話題は、案の定自分のことだった。
誰よりも知られたくない相手に何を吹き込んだのか知らないが、胸がざわざわする。
どうやらあの男は、以前己が起こした不祥事の関係者らしい。正直心当たりがありすぎてわからないが、あの物腰から騎士団の者だろう。
「それと、ひとつ訂正させて頂く。ガウェイン殿は他人などではない。共に死線を潜り抜けてきた、大切な仲間である。聞けば、ウェールズを退けたかの戦いにおいて、ダルモアの騎士団はガウェイン殿を残し籠城したそうではないか」
…それは、苦い記憶。
援軍が来ると信じ続け、命を賭してでも守ろうと馬鹿正直に戦い抜いただけの、間抜けな話だ。
俺は、運良く生き残ったに過ぎない。
その後に賜った英雄の名は、虚しいだけだった。
そんなガウェインの胸中を押し流すように、力強い言葉が発せられる。
歯軋りさえ聞こえてきそうな、怒りの籠った地を這う声。
「武人として恥ずべき行為であるにも関わらず、棚に上げて英雄などと……よくもまあ担ぐことができたものである。咎のはじまりはガウェイン殿ではなく、ガウェイン殿を英雄たらしめた周囲であろうに」
……ああ。
欲しかった言葉を、どうしてこいつは、こうもあっさりと。
当たり前とでも言わんばかりに。
心臓が痛い。絞られるように、胸が苦しい。
「あ、あの場にいなかったあなたに何がわかるっ…!俺たちだって待機命令されて…!」
「命令に疑問は抱かなかったのか」
「っ…疑問は……あったが…俺の立場じゃ…」
「声を上げても意味はないと?その命令のもとひとりの命が散ろうとも、お主に責はないと?」
「……ッ、」
大気が、震える。
鷲王の怒りに、風が怯えていることが肌でわかる。
「……青い。醜聞を広めるだけの口なら、今ここで切り落としてくれようか」
「ひっ…」
底冷えするほどの冷たい声は、隠れているこちらの心臓をもひたりと掴み上げてくるかのようで。
腰が抜けてしまったのか、男がその場にへたり込む。
ネツァワルピリは構わず一歩男に近づき、憤怒を露わに睨み下ろした。
「己が行動を省みるべきぞ。手前勝手な評価を、人に押し付けてくれるなよ」
「す、すみませっ…」
男は呼吸も浅く慌てて足をばたつかせ、半ば四つん這いになりながらその場から逃げていった。
少しすると、店内からの賑やかな喧騒が聴覚に戻ってきた。
ガウェインが息苦しさを覚えながら壁に背を預けずるずるとしゃがみ込むと、ネツァワルピリの気まずそうなぼやきが聞こえてくる。
「……ちと、言い過ぎてしまったか」
あまりの落差に思わず笑ってしまいそうになるが、足音がこちらに向かってきた為慌てて顔を引き締めた。まずい。こっちに来る。
角を曲がり、座り込んだこちらに気付くなりネツァワルピリがぎくりと身体を強張らせる。
「なっ……ガ、ガウェイン、殿…」
「…おい。あれほどの啖呵を切っておきながら、今更言い過ぎも何もないだろう。」
酷くばつが悪そうな、引き攣った表情がおかしくて、せっかく収めた笑いがぶり返してきてしまった。
「ふ…くくっ、貴様は怒ると恐ろしいな。少し奴に同情したぞ」
「…いつから、そこに…?」
苦虫を噛み潰したような渋面も珍しい。
ネツァワルピリの様子にくつくつと肩を揺らして笑いながら、ガウェインは片手で口元を覆いつつ答える。
「不愉快だ、と貴様が言ったあたりだ」
こちらと目線を合わせるようにネツァワルピリもしゃがみ込み、先程まで般若のような形相だった顔を至極申し訳なさそうにして、頭を下げてきた。
「差し出がましいことを言った。…すまぬ」
「ふん、謝るな。…痛快だったぞ。」
そう。実際奴の言葉のおかげで、胸がすいた。
行いが行いだっただけに自分には味方などいなかったが、自らの力に溺れる前であっても、誰からも投げてもらうことの叶わなかった言葉の数々。
感じた胸の痛みは。息苦しさは。
「……嬉しかった。俺なんぞのために怒ってくれたことに、礼を言う」
歓喜によるものだったのだ。