英雄
下げっぱなしになっていた鳶色の頭を、照れ隠しに撫でて掻き回してやる。
のろのろと顔を上げたネツァワルピリは、居心地悪そうに目を逸らしながらも頭にやっていたこちらの手を無造作にとり、手の甲に唇を押し当てた。
「…大半は八つ当たりであった。原因は個人ではなく大衆。あの者に言い募ったところで、ガウェイン殿の心は救われぬ」
吐露するようにぼそぼそと低い声で言うその目元は、伏し目がちでなんとも言えない色気を醸していて、目が離せなくなる。
久々に外気に触れた肌が、少しかさついた男の薄い唇の感触と吐息を敏感に拾い上げた。
鎧で覆われていた素肌を誰かに触れられるなど、何年ぶりだろうか。
意識してしまったことで強張った手にネツァワルピリが気付き、こちらに視線を投げてくる。
見惚れていただけに目を逸らし損ね、思いきり視線が交錯してしまった。
不本意ながら見つめ合ってしまうこと三秒。
「……」
「……」
おもむろに、ネツァワルピリは唇を当てていた手を。
俺の手の、人差し指を。
ぱくりと口に含んだ。
「ッ!?」
もはや言葉も出ない。そして動けない。
じっとこちらを上目遣いに見ながら、あろうことかその指先に舌を這わせてきた。
「き、さまっ…、何して…!」
なんとか声を出すことはできたが、ネツァワルピリが角度を変え、人差し指を横から食むようにして唇の裏で皮膚を犯してくる姿に、目が釘付けになってしまう。
熱い。ぞくぞくする。
なんなんだその色気は。
あまりに官能的な仕草に、下腹部が甘く疼きだす。
強い光を放つ猛禽類にも似た眼差しがまるでこちらを観察するように注がれると、仮面のない素顔を晒している現状を否が応でも
思い出させた。
頭から湯気が出るのではと思うほど熱いのだ。どうせ情けない顔をしているに違いない。
反対の手で慌てて口元を覆い、相手の視線から逃げるように俯く。
すると、こっちを見ろとばかりに捕まえられている手を引かれ、人差し指と中指の間を舐め上げられた。
「っ……!」
鳥肌が立ち抗議の声を上げようとするが、相変わらずじっと見つめてくる赤褐色の瞳に射抜かれ、ぐっと言葉に詰まってしまう。
こいつ……み、見過ぎだろう!
肉厚な舌の先で指の股を擽ぐられ、そんなところが気持ちいいはずがないのに劣情ばかりが募っていく。
時折り肌にあたる奴の犬歯に、呼吸が浅く上擦った。
「い、いい加減にしろっ!俺の顔に穴をあける気か!」
真っ赤に茹で上がった顔をこれ以上見られたくなくて、目のやり場に困るほどの色香を放つ男の額をぐいと手で押しやる。
舐めまわしていた手を名残惜しそうに目で追いながら不満げな声を上げてくるが、これを可愛いと思ってしまう俺はもう終わっているかもしれない。
「んぐ…。何をする」
「ここここっちの台詞だろうがどう考えても!」
噛み付くように切り返すと、ネツァワルピリは愛おしげに双眸を細めて口角を上げた。
「しばらく陽に当たっていなかった所為か、色が白く艶かしい肌である。吸い込まれそうな色の瞳もよく似合う」
「な、なまめかしい…!?」
「誠、美しい。」
まるで女性を口説くような歯の浮く台詞に衝撃を受ける。
しかし揶揄っているわけではないことは、彼の雄の炎がちらついた瞳を見れば明らかで。
立てていた膝に、するりと大きな手が触れてくる。
服越しとはいえ鎧がないだけで相手の体温がじんわりと伝わってきて、異常なほど触れられていることを意識してしまう。
「一片たりとも見逃しはせぬ。」
「っ…」
低く甘い声に、腰からぞくりと痺れが走る。
あっさりと手を掻い潜られ、脚の間にネツァワルピリの右脚が差し入れられるとずいと距離を詰められた。
同時に頬に手が添えられ、目元に軽い口付けが降ってくる。
…が、密着したのはほんの一瞬だけで。
「…しばし待たれよ」
短い言葉を残してネツァワルピリはあっさりと立ち上がり、普段と変わらない様子で一度酒場に足を向けた。
ポツンと取り残され、待つこと二分ほどだろうか。
戻ってきたかと思うと、自らのストールを外してこちらの腹にかけ、そのまま俺を横抱きにして立ち上がる。
「いやいやいや、何をしれっと普通に抱き上げているっ?」
流れるような動作に文字どおり流されかけ、堪らず抗議の声を上げた。いや確かに今は息子の状態からして立てないが!
対するネツァワルピリはにこにこと人好きのする笑顔で、やはり鎧がないと軽いななどと、なんでもないことのように言う。
「皆には諸事情によりガウェイン殿と先に休ませてもらう旨を伝えてきた。何も問題はあるまい」
「…し、諸事情で納得したのか…?」
「うむ。くれぐれも無理はさせぬようにと釘は刺されたがな」
「……誰に」
「フロレンス殿である。不束な弟ですが宜しく、と」
「ぐっ…」
バ、バレてる!
絶対にこいつとの関係がバレている!
「しかし、これまでフロレンス殿はお主の行動を遠方からでも把握していたのであろう?であれば、我等が肌を重ねたことを知っているのも道理というもの」
「…!そ、そうか、確かに…」
言われてみればそうだ。
呪いを解くための試行錯誤をフロレンスは知っている。
つまり、俺の動向は筒抜けだったということだ。都合よくこいつとのあれこれだけ知らないなどということはないはず…
…ああ。もう合わせる顔がない。
打ちひしがれ絶望するガウェインを抱えて歩き出しながら、ネツァワルピリは逆に上機嫌に声を上げた。
「実姉殿に認めてもらえるとは心強い!公認であるな!」
嬉しそうな様子にガウェインは呆れ気味に笑い、腹に被せられたストールを腕に抱いた。惚れた人の、安心する匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。
「…まったく。ポジティブ思考極まれりだな」
取り乱した己が馬鹿馬鹿しくなる。
この男が笑ってくれると、どんなことでも些事だと思えるから不思議だ。
しかし悪い気はしない。つられて心が凪いでいくとでも言うべきか、気持ちに余裕ができるのだ。
ふと視線を感じ、顔をあげると至近距離でネツァワルピリと目があった。
顔を見られることに慣れなくて、なんだか気後れしてしまう。
おずおずと視線を横にずらすと、先程の闊達な声ではなく閨の上
で聞くような甘い声で耳元に低く囁かれた。
「…我に抱かれているときのガウェイン殿の顔を、これで漸く見ることが叶う」
「だっ……!き、貴様に見せる顔などないっ」
「はっはっは!照れているその表情も実にそそられる。愛で倒そうぞ!」
「声がでかいんだ、貴様は!」
せめてもの抵抗で足をばたつかせて文句を言うが、豪快に笑う鷲王にはなんの妨げにもならず、ガウェインは成す術なく艇へと運ばれていった。