天空天河 七
王族に対する挨拶なぞ、今は無意味な事を、互いに了承している。
甄平は直ぐさま、閉じかけの西門を開ける。
「さあ!、殿下!!!。」
そう言って靖王を通した。
そして門の外にはいつの間にか、甄平の仲間が、誰も乗らぬ馬を、数頭引き連れ、待機していた。
そのひとつに甄平は跨り、馬を連れた江左盟数人が、馬を引き連れ、甄平と靖王に続いた。
長い距離を、不休で駈けるのだ。
江左盟は、予備の馬まで、ちゃんと用意していた。
━━小殊の周到さよ!、流石だ。━━
少年の頃の林殊の姿が、鮮やかに甦る。
「夏江を倒すぞ!!。」
靖王の号令に、甄平達は皆、鼓舞された。
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一方、梅長蘇は、懸鏡司の牢の中で、丸二日を過ごした。
湿度が高く、冷えが強い。
石造りの床から、冷気が上がってきて、耐えられず、寝台に胡座をかき、布団に包まった。
──藺晨の薬を、飲んできて正解だ。
何も対策をしていなかったら、一晩目で倒れていただろう。
運ばれてくる食事は、冷えきった物ばかりで、食欲も湧かぬ。
流石に、毒は入っていないと思うが。
今後の為に、幾らかは口にしたが、半分が限界だ。──
光も射さぬ牢の中で、夜か昼かも分からない。
普通の者なら、唯一、食事が出る事で、何となく、時間が分かるのだろうが。
それも正確だとは限らない。
わざと遅らせたり早めたり。
だが、林殊であった頃に培った能力が、長蘇を助けていた。暗闇の中で、ほぼ、正確に時間を把握していた。
──靖王が魏奇を保護して、金陵に戻るまで。
何とか時間を稼がねば。
そして私も、それ迄は倒れてはならぬ。──
薄明りの中で、時間を把握するのは、至難の技だった。
深く眠る事が、出来ぬからだ。
それでも、元々の眠りの浅さと、懸鏡司という、魔窟の中に身を置く緊張感で、何とかなっていた。
兎に角、極力、動かずに、体力を温存し、保温をする。
今、長蘇に出来る事は、それだけだった。
三日目の日暮れ時に、長蘇は尋問部屋に移動させられた。
──ついに、、か、、。
まぁ、三日の間に、何事も無かったのは、救われたな。
初日から尋問があったら、早々に、体がぼろぼろになっていただろう。
ようやく、尋問が始まる、、か、、、。
ふふ、、、夏江に何をされるやら。
体はどうあれ、気持ちで負けてはならぬ。──
牢を出され、二人の掌鏡司に挟まれる様に、尋問部屋に向かった。
尋問部屋は、牢とは、さほど離れてはいない。
捕らわれた者達に、尋問を受ける者の絶叫を聞かせて、震え上がらせる為だ。
懸鏡司の牢には、梅長蘇の他には誰もおらず、尋問部屋も、ここ最近は使われてはいない様子だ。
──どおりで静かだった訳だ。
ここで尋問されるような、気骨のある者は、もはや梁にはおらず、ここ最近は使われなかったのだろう。
大概は、刑部で事足りる。
まぁ、赤焔事案のどさくさに、夏江は邪魔者を消し、後は謝玉の天下だったのだからな。
、、、いや、懸鏡司に抗しても、無駄死にになるのが、分かっているからか。──
部屋というには、かなり広い尋問部屋には、あらゆる刑具が並べられていた。
部屋の奥には、磔用の丸太が立ててある。
鎖の付いた枷を手に、掌鏡司の一人が、無言で長蘇の手首を掴む。
長蘇は、掌鏡司の手を振り払おうとしたが、力ではとても適わず、抵抗も虚しい。
「私はまだ、罪人では無い。
私の様なッ、見た目通りの非力な男などッ、鎖で繋がなくとも、抵抗なぞ出来ようかッ。
、、ぁ、、ぁ、、、触れるなッッ!!。」
長蘇の抵抗もさして相手には効かず、長蘇の細い両の手首は、忽ち鉄の手錠で括られてしまった。
「クッ、、。」
冷たい手錠が、がちゃりと音を立てて、長蘇の自由を奪っている。
長蘇は、丸太ではなく、低い大きな木製の台の前に連れていかれ、台の上に磔にされた。
両手は鎖は、頭の上の金具に固定された。
鉄の手枷が手首にくい込み、痛みが走る。
長蘇が痛みに顔を歪めても、掌鏡司達は、無表情だった。
両足も固定され、自由なのは、口ばかりになる。
「手荒い歓迎だなッ。」
「、、、、。」
きつく睨みつけ、強く吐いた長蘇の言葉にも、掌鏡司たちは無反応だ。
固定した、手首と足首の鉄具の具合を、掌鏡司達は確認をし、そして言葉も無く、尋問部屋を去っていった。
──まぁ、あの丸太じゃ無かっただけでも、良しとするか。
あの丸太に立ったまま括られては、私の身体は半日も持たない。
丸太にも、私がのった戸板にも、血の跡が残っている。
洗い流したのだろうが、こびり付いた血は、中々落ちぬ。
京兆尹や刑部の囚人を怖がらせるには、この血の跡は持ってこいだろうが。
だがここは懸鏡司。ここに収監されるのは、一筋縄ではいかぬ猛者ばかりだ。
猛者の者には、この血の跡は、少し、もの足りぬだろう。
懸鏡司は、酷い拷問や自白薬の様な物、果ては毒物も使うと聞いていたが。
一体夏江は、私には、何をくれるものやら。
焼き鏝(こて)用の石炭が、赤々と焚かれている。
ふふ、、けち臭い、夏江の事だ。石炭を惜しんで、間もなく、私を虐めに来るだろう。──
だが夏江は現れず、梅長蘇はそれから一晩、拷問用の台に磔にされたまま、寒さと戦った。
石炭のお陰で、牢の中よりは、少しばかりましだったろうか。
戸板に磔られてからは、食事も出ない。
朝になった頃、漸く夏江が尋問部屋に入ってきた。
台の側まで来て、長蘇を見下ろす夏江。
掌鏡司二人が、離れて立っていた。
一晩磔られ、身動きも取れず、隠そうとしても、疲れは隠せない。
唇は乾き、赤味を無くしていた。
「私如きに、夏首尊のお出ましとはな。」
長蘇は、不敵な笑みを見せる。
「待たせたな、江左の梅朗。
ぉぉ、、、疲労の色が濃いな。
これはこれは、申し訳なかった。
私もこれで忙しくてな。
だが、今から拷問されれば、その顔は、疲労か拷問が原因かは分からぬな、、ふはははは。」
夏江は、余裕からか機嫌も良く、長蘇の嫌味も軽く受け流す。
──、、、やはり、、、夏江に『魔』力は感じられない。
飛流は、魏奇を守るために、金陵から出した。
私の傍に飛流が居ないから、私は『魔』を感じる事が出来ないのか?。
だがそれにしても、、、。
もしや、夏江は『魔』を持つ者では無い?。
いや、全く感じないかというと、そうでは無く。
飛流や謝玉や、これまで出くわした『魔』とは、どこか違う感じが、、、。
夏江は、『魔』を持つ者としては、どこか異質だ。──
不貞腐れ、弱々しく、長蘇が言う。
「屈強な者ならまだしも、私の様な病弱な書生風情が、何故、こんな恐ろしい所で、磔にされるので?。」
「江左盟の宗主、梅長蘇よ、何が恐ろしいと?。
笑わせるな。白々しい。」
我慢がならない、と文句を言う長蘇を見て、夏江は上機嫌だ。
長蘇が苦情を言う。
「尋問にしては、少々、場所が違うのでは?。