天空天河 七
ここは、拷問部屋では無いか。
私など、鞭の一振りで息が絶えますよ。
だが、虚弱であっても、仮にも江左盟の惣領。
私が死んだとなれば、夏首尊は江湖の全てを敵に回すことに、、、。」
「安心しろ、殺しはせぬ。
死んだ方が、まだマシかも知れぬがな。」
薄笑いを浮かべ、夏江が答えた。
「、、、、。」
長蘇が口籠る。
「恐ろしいか、梅長蘇。
私の手から、逃れた者はおらぬからな。
少々、目立ち過ぎたな、梅長蘇よ。」
「謝玉の事か?。
言っておくが、謝玉を殺したのは、私では無いぞ。
手を下したのは、夏首尊の手の者なのだろう?。」
「ふふ、、謝玉なぞ。
梅長蘇よ、少々、嗅ぎ回り過ぎたな。」
夏江が顎で合図をすると、側の掌鏡司が、長蘇が磔られた、台の板の半分を起こした。
長蘇の上半身が起こされ、座っている形になった。
そして夏江は、指をぱちんと鳴らした。
すると奥から、別の二人の掌鏡司に腕を掴まれ、足を引きずられ、一人の男が、梅長蘇の前に連れて来られた。
髪や肌はは汚れて乱れ、衣服も酷く汚れている。
長蘇の前に跪かせられると、掌鏡司が、手荒く髪を掴み、ぐいと顔を上げさせられた。
男は懸鏡司に間者として潜入して、行方が分からなくなった、江左盟の者だった。
この男の兄夫婦が、貴族に陥れられ、無惨に殺された仇を、江左盟が代わりに討ってやった。
この男は、恩に報いたいと、自ら間者になる事を申し出た。
兄夫婦の事案で、世の中の闇を見たのだ。
不遇に果てた者の魂を救う、江左盟の役に立ちたいと。信頼の出来る若者だったが。
男の額に、黒い痣が現れていた。元々こんな痣は、この男には無かった。
拷問で出来たものでも、刺青でも無い、異質な黒い痣だった。
「!!。」
「覚えているだろう?、この男。
実に勇敢な男だったぞ。
私の懸鏡司に潜入するとは。
こそこそ嗅ぎ回る前に、早々に捕まったがね。」
男の瞳に眼力は無く、呆けて虚ろに、口元には涎を垂らしていた。
──生きていた!。
良かった。
今は真面(まとも)では無い様子だが、、『魔』のせいでこうなっているのならば、元の様に戻す術はある。──
恐怖の色を浮かべ、恐れ戦く長蘇を演じながら、この者が生きていた事に、ほっとしていた。
長蘇の表情に広がる畏れを見て、満足な夏江。
「この男の様になりたくなければ、懇願してみろ。
場合によっては、善処してやろう。
せめて、その綺麗な顔のまま、生かしておいてやろう。」
「夏主尊、私が、この男の様になると?。」
「めでたい奴め、懸鏡司に来て無傷で済むと?。
この男の様に、薄汚れて生かされるか?。
どの道、お前は我を無くし、この懸鏡司で、私の傀儡となり、私の為に江湖を動かすのだ。
この男の様に、汚れた牢に置かれるか、それとも、綺麗な部屋で、世話を受けるか。
頭の良いお前ならば、言うまでも無いだろうがな。、」
夏江が顎で合図をすると、掌鏡司達は、部屋から男を連れて出て行った。
「夏首尊に懇願すれば、あんな風にはならずに済むのだな。
汚い姿も、我を無くし、呆けてしまうのも御免だ。
私は仮にも、江湖の一大勢力の宗主だ。
私を傷つけないでいてくれたら、何でもしょう。
夏首尊の言うなりになろう。」
縋るような目で長蘇に懇願され、夏江の心は浮ついた。
「何と物分りの良い。
だが、我を無くし、綺麗な人形になってもらう。
それが傷つかぬ最低の条件だ。
生きていたいのだろう?。
望み通り、生かしておいてやろう。」
「何っ、人形とは、、、、。それでは私が、あまりに、可哀想だ、、、。何とかならぬか?。
ぁぁ、、全く、、、虚弱な身で、江左盟の宗主になったのが間違いだった。
長くは生きられぬ体とはいえ、命は惜しい。
夏首尊の為に、何でも協力をしよう。
約束する。お願いだ。」
「あはははは、、、何と無様な!。
江湖の首領が、こうも簡単に、私の手に落ちるとは。
だが、梅長蘇よ、信用ならぬな。
特に、お前の様な奴は。
一体、何を考えておるのだ。
そこらの奴とは、腹の中が違う。
お前をそのまま生かしておくなぞ、愚か者のする事よ。」
「なんだと?、私の言っている事がわかっているのか?。私は、夏首尊の言うなりになると、言っているのだ。
これ程、頼んでいるのに、駄目なのか?。
夏首尊は、一体、どうやって私の我を無くさせると?。
あの男の様に、私を拷問して、気を狂わす気だな?。
痛いのは御免だ。私は痛い思いなどしたことが無い。
耐えられぬ。
夏首尊の、役に立つ前に私は死んでしまうぞ。」
「なに、安堵するが良い。
痛みなど無い。
丸薬を飲むだけだ。」
そう言うと、夏江は、懐から黒い袋を取り出した。
袋の中には、白い小瓶が入っていて、夏江は自分の掌に、小瓶の中の、親指の先ほどの大きさの、黒い丸薬を出した。
「これを飲むだけだ。」
夏江は長蘇の目の前に、指で摘んだ丸薬を見せる。
「味も無く、飲みやすい。丸薬の効果に身を任せれば、苦しみもせずに、気持ちが楽になる。
飲んだ者は、呆けているが、幸せな気持ちになっているのだ。快楽に喜ぶ者もいる。
迷うことは無い。
さぁ、飲むが良い。」
夏江は長蘇の顎を掴み、力ずくで口を開けさせようとした。
「ま、、待て、、待ってくれ、、。
丸薬は何で作られているのだ?。
私は食物によっては、過剰反応を起こすのだ。
死にかける事も。」
そう言って、顎を掴まれたまま、長蘇は口をぎゅっと結び、夏江が丸薬を唇に押し付けるも、絶対に口を開けなかった。
「ひ弱なくせに、何て面倒な奴だ。
これは一般的な滋養薬だ。」
「滋養薬で、我を無くしたりするものか!、一体どんな仕掛けがあるのだ?。
まさか、、滋養薬と言いつつ、本当は毒か?。
そんな危険な物、飲めるものか!。」
必死に抵抗する長蘇を、夏江は嘲笑う。
「クックックッ、、、。
中々の用心ぶりだな。
それで無くては、お飾りだろうと、江湖の総領なぞ、務まらぬだろうがな。
良かろう。
逃げもせず、あっさりここに来て、磔にされている気骨の無い奴だ。
特別に教えてやろう。」
そう言うと、夏江は首元から、首に掛けた、玉の筒を取り出した。
物の豊富な金陵でも、見たことの無い玉の色だった。
──石柱にあった、砕けてしまった玉の筒に似ている。
これは遥かに小さいが。
しかもあれとは違って、酷い色をしている。
汚らしい、、、不快な色だ。──
「この中には、『魔』力の元が入っている。
私の力の全てだ。」
夏江は、梅長蘇の柔弱さと、気骨の無さに、些か油断をしていた。
自分の持つ能力を明かしても、この者は反撃も出来ず、意のままになると、長蘇を侮っていた。
「『魔』?、『魔』だと?。
そんな危ない物を身につけて、夏首尊は大丈夫なのか?。
何故、夏首尊は気が狂わぬ?。」
「アッハッハッハッ、、、。
肝の小さい奴め。
私だからこそ、大丈夫なのだ。
これは滑族の玲瓏公主が持っていた『魔』だ。」