天空天河 八
━━私はそんなに、体躯の大きい方ではないのだが、、、。
私の肌着を着ても、小殊の身体は細く小さく見えて、、、。━━
長蘇の身体の細さは分かっていたが、改めて見ると、今にも息絶えてしまいそうな、儚さを感じた。
━━この身体で、あの得体の知れぬ『魔』と戦っているのか。━━
知音が、こんな運命を背負ってしまった不憫さを悲しんだ。
そして、こんな病弱な身体ではなく、健康的な林殊の身体であったなら、と嘆いたが、今更変えられぬのは分かっている。
成長して、逞しくなった林殊を思い浮かべる一方で、嘗て共に遊んだ、少年の頃を思い出していた。
━━鎧を着た小殊は、目の前に持て余す程の障壁が現れれば、一瞬、たじろぐのだ。
ほんの一瞬、側にいる私にしか分からぬ程の、僅かな瞬間。
だがそれは、直ぐに闘志に変わる。
連戦錬磨の狡猾な策士をも大胆に凌駕し、未来を[[rb:画 > えが]]き、二重三重の緻密な作戦を立てたのだ。
皆に役割を与え、皆で窮地を乗り越えた。
赤羽営は、小殊と一心同体の強さを誇っていた。
だが、今はどうなのだ。
小殊はたった一人で戦っている。
確かに、、、、確かに私は、小殊の役には立っているのだろう。
だが、、、、だが、、、、。
、、、まるで小殊は全てを自分で背負うが如く。
、、、、私は、、、、なんて無力な、、、、。━━
靖王は、長蘇の手を自分の頬に当て、それを自分の掌で包んだ。
長蘇の冷たい掌が、靖王の、熱を持った頬を冷やす。
靖王の眼は潤み、熱をもっているが、長蘇の冷たい掌でも、涙を止めることは出来ずに。
瞼を閉じた瞬間、頬へと零れた。
悔しい、と言うよりも、精一杯、力を注いでも、長蘇を守りきれなかった事実に、只々、虚しさが心を占めた。
━━小殊を守りたい、それだけの事が、、、。
何故こんなにも難しい。━━
靖王の、掌の中の長蘇の指がぴくり動いた。
靖王が目を開けると、横たわる長蘇の目が少し微笑んでいた。
そしてゆっくりと親指が動き、靖王の涙を拭いた。
長蘇は僅かに口を動かして、何か言っている。
「え?、、、何と?、、、。」
な き む し め
「なッ、、、!、、、、。」
笑みを浮かべながら、声の出ない長蘇の口が、そう言っていた。
━━私を怒らせて茶化したくて、そんな事を、、、、。
いつもそうだった。
小殊は、空気が重くなると、こんな風に、私に悪態をついて、怒らせて、、、そして、笑わせて、和ませてしまう。━━
靖王は、林殊との記憶が溢れ出して、止めることができない。
━━そうだ、いつも、、、いつも、、、小殊は、私に優しい悪態をつく、、、。
、、、怒らせて、笑わせてそして、、、。
最後には私を、丸ごと包んでしまう。━━
「、、、ばか小殊!。」
止まらない涙に抵抗する様に、靖王が言った。
『なんだと!。』
長蘇は靖王の言葉に、そんな顔になったが、それすらも、靖王には林殊を思い起こさせる。
━━あ、、、あぁ、、、、。
小殊、、、小殊、、、。━━
──あぁ、、、また、失敗だ。
今日という日は、璇璣公主といい、景琰といい、ままならぬ日だな。
若い時は、掌の上に転がせたのに。──
長蘇は困った顔になったが、靖王はそれを見る余裕が無い。
靖王の涙は止まらない。
──景琰は、傷付いているのだ。
、、、たまには泣くのもいいさ。
景琰は我慢のし過ぎだ。
気持ちが落ち着けば、いつも、私のくだらない一言で、笑顔を取り戻すんだ。──
靖王は、幾らか涙がおさまって、そして長蘇を見た。
━━失いたくない。━━
じっと見つめる靖王の眼から、また大粒の涙が零れた。
──あぁ、、、そうか、、、。
景琰は私との別れを怖がっているのだ。
景琰は、何かを、察してしまったのかも知れない。
、、、だが、、、。──
どんなに言葉を尽くしても、靖王の恐れは拭えない、長蘇はそう思った。
──別れを怖がっていては、越えられない。
『魔』には勝てぬ。
しっかりしろ、景琰。──
長蘇は指に力を込めて、ぎゅっと靖王の頬を抓った。
頑張って力を込めても、力が入らず、起き上がる事も出来ぬ長蘇の身体では、摘んだうちにもはいらなかった。
「、、小、、、殊、?。」
靖王は始め、長蘇が何をしているのか分からなかったが、自分の頬を抓っているのだと、暫くして気がついた。
長蘇は必死に、思いっきり抓っているが、必死な顔の割には、指に力が入らない。
「、、ン、、、。」
「、、ぁ、?」
抓ろうとして、抓る事が出来ないという事に、漸く靖王が気がついた。
「、、、、ぇ、、、と、、、。」
頑張って抓ろうとしているのに、頬を掴めもしない長蘇を、笑って良いのか、力が入らないのを気の毒に思って、気遣った方が良いのか、非常に靖王は困った。
──力が、、、力が、、、入ら、、、。
くーッ、景琰の頬なんて、掴み放題、抓り放題、だったのに、、。(大して痛くはなかっただろうが)──
次の瞬間、靖王は、酷く柔らかな眼差しになった。
「『しっかりしろ』と、私を励ましてくれたのだろう?。」
靖王は、長蘇の掴めない手を、そっと取り、その手に口付けた。
──ぁ、、、。──
長蘇はじわりとした、[[rb:擽 > くすぐ]]ったさと、靖王の優しさに包まれる心地の良さと。
『、、、幸せ、、だ。』
長蘇の言葉にならない声を、靖王が聞き取ったのか。
「私もだ。」
靖王はそう言って、また優しく微笑む。
靖王の涙は、いつの間にか止まっていた。
「疲れただろう?。眠ると良い。
私は、小殊が眠るまで、ずっと側にいる。」
靖王は布団を長蘇にそっと掛ける。
長蘇の手を、そっと握り、目を瞑ったのを見ると、靖王は長蘇の冷たい手を両手で包み、温めるように息をかけた。
──いつだって、景琰はこうやって、私を護ってくれる。──
靖王と、間近で視線を交わすと、身体の奥から甘やかなものが溢れてくる。
嫌ではなく、ずっと浸っていたいと思う。
ふと靖王は、温めていた右手を外し、外した手で、布団に広がる長蘇の髪を一束、くるくると弄りだした。
「、、、、?」
靖王は、暫く髪を弄んでいたかと思うと、時折、ふるふると頭を振り、長蘇の手と髪を持ったまま、自分の頬に当て、、、、自分の頭を支えて、、、。
「、、、、グゥ、、、。」
──、、は?、、、景琰?、、、
、、、寝てしまった?。──
あっという間の出来事だったが。
──あははは、、。
眠るまいと、私の髪を弄っていたのか。
私の髪を弄り出すとは、珍しいとは思ったが。
、、、無理も無い。
、、、、無休で駆け続けたのだ。
景琰は疲れ切ったのだ。──
心の中で飛流を呼ぶと、忽ち姿を現した。
『飛流、景琰の身体に、何かを掛けてやってくれ。
風邪を引いてしまう。
そこの衝立にかかっている、厚手の衣が良い。』
飛流は頷くと、衣を取り、鎧を着けている靖王に、そのまま掛けた。