Rosa Alba
2.Rosa Alba
「――随分と差し出がましい口を利くようになったものだな?アフロディーテよ!」
不穏な空気を滲ませ、苛立ちのままに積み重ねられていた紙束が払いのけられる。バサバサと乾いた音を放ちながら、悲しげに紙が舞い散っていくのを冷ややかな眼差しでアフロディーテは眺めた。
「では、口汚くも意見した私に教皇は如何なご処分を賜るのでしょうか。そのようなことを貴方が、この私に?」
薄い微笑を張り付かせ、慇懃無礼に対するアフロディーテを男は表情の窺い知れぬ仮面の下で睨みつけていた。そろそろ虫が騒ぎ出す頃だと予想していた通り、教皇はシャカを体のいい玩具とばかりに呼び寄せようとした。だが教皇よりも先手を打ったアフロディーテによってシャカの身は隠された。そしてアフロディーテは目撃したアノ一件も含め、教皇の無謀な行動を諌めたのだった。
咆哮とも叫びともつかぬ呻きが上がる。凶暴なまでに剥き出しの感情のまま、身近にあった物を容赦なく破壊し、アフロディーテを威嚇した。
「八つ当たりはおよしください。仕えの者たちが嘆きます。その拳は私に向ければ宜しいではありませんか」
「黙れ!黙れ!黙れ!!」
髪を振り乱し、噴出する狂気のまま拳を振り上げる男。憐憫と侮蔑を含む瞳を差し向けながら、腕を組んで壁に背もたれたアフロディーテはその様子をしばし眺めた。ひとしきり癇癪を起こした教皇はようやく気が済んだらしく、不貞腐れたようにどっかりと椅子へ腰掛けた。
僅かにでも思い通りにならなければ子供のように駄々を捏ね、また、おのれの気に障れば容赦ない仕打ちを与える――それが今の聖域の頂点に立つ男。禍神のように凶暴なこの男の逆鱗に触れた者は命がないということをアフロディーテはよく知っていた。
それに満たされることを知らぬ、壊れ狂った欲望の衝動の激しさも。権力のままに、欲望のままに力を揮い続けている。だがそんな男でも崇拝し、力を削ぎ取られ、平伏すものがあるということも知っていた。
「……気は治まりましたか?」
頃合いを見計らって声をかける。慎重に近づき、片足をつくと陶器のように白く映える手を伸ばし、男の膝に触れた。まだ燻る怒りを抑えようとでもしているのだろう。小刻みに震えていた。
そしてひとつ深呼吸をしたと同時にガクンと頭を垂れるのをアフロディーテは瞬きもせずに見つめる。ゆっくりと仮面が剥がれ落ちるその瞬間を待ち侘びるように。
「――あまり、無茶はするな。いくらおまえでも、いつかアイツは……」
消え入りそうなほどに深く沈む声が呻くように発せられた。『教皇』の仮面が剥がれ落ちた瞬間だった。
震えるような心のままに彼は白く滑らかなアフロディーテの手の上へひどく汗ばむ自らの手を重ねた。目を細め、アフロディーテが微笑むとほっとしたように、いからせていた肩を撫で下ろした。
「その時はその時だと。完璧な美を追い求める彼の審美眼に適わず、残酷な結果が下されようともそれは私の力が未熟であったのだと思うだけ。結局、私は貴方の追従者でしかなかったのだと。何度も言ったように何も貴方が憂う必要などないのです……サガ」
サガの足元にしなだれる様に重ねた手の上へとアフロディーテが顔を寄せた。戸惑いながらもサガは波打つ黄金の髪に指を挿しいれ、優しく梳いた。
暗黒の精神である『教皇』は何よりも美しいものを愛でていた。その彼が何よりも愛し、固執しているのは他でもない彼自身……サガでもあった。幸いにも教皇に固執されるほどでもなかったが、その審美眼を楽しませるには十分なほど華やかな美しさを誇るアフロディーテを彼はまた愛でていた。それこそ水に挿した観賞花のように…ではあったが。
「だが……いや……もう止そう。私にはどう足掻いた所で何の手立てもないのだからな。でも、アフロディーテ。おまえはどういうつもりなのだ?あの子供を……憐れだとは思うが、隠したところで詮無きこと。すぐさまアイツは見つけ出し、捕らえ、更なる苦痛を与えることになるだけではないのか?じわじわと嬲り殺されるよりはいっそアイツが望むままにさせたほうが――苦しまずに済むのではないだろうか。残酷かもしれないが……」
そっと顔を見上げるアフロディーテに哀れむようにサガが告げた。アフロディーテは僅かに憂いさえその瞳に宿しながら、サガの苦しげな言葉を呑込んでいく。