いのちみじかし 中編
苦い思いを噛み締めながら、自分はどうなのだろうと、義勇は己の恋を顧みる。無自覚だったとはいえ、以前より煉獄に恋していたことは疑いようがない。いつからなのか、なぜ恋したのか。戸惑いのなかで考えてみるが、これと明言できるきっかけは見つけ出せなかった。
煉獄は、こんな自分にもやさしくしてくれる。周囲に馴染めぬ義勇を厭うどころか、笑顔で話しかけてくれるのだ。好ましく思うのは当然の帰結だろう。
けれどそれは、胡蝶や甘露寺にだって言えることだ。
煉獄と違って胡蝶には辛辣な言葉をかけられもするが、親しさの現れと呼べる範疇だと思う。甘露寺だって、目のやり場に困ると思うことはあれど、明るく話しかけられるのはうれしい。そういうときにはいつだって、伊黒からなぜだかやたらときつい視線を向けられ、ネチネチと悪口を言われるので、少々困惑するけれど。
そうだ。胡蝶や甘露寺、悲鳴嶼にだって恋しておかしくないはずだ。こんな自分に笑って話しかけてくれる人は、煉獄だけではない。なのに、なぜ煉獄にだけ、心が乱されるのだろう。恋しいと想うのだろう。
「それは、俺こそが言うべき言葉だろう。君に好かれるだけのものを、俺が持ち合わせているとは思えんからな。君は歴代の水柱のなかでも、もっとも水の呼吸を極めぬいた柱だろうと、お館様が仰っていた。新たな型を生み出すほど努力家な君に、俺はまだまだ追いつけん」
そんなことはない。即座に義勇は反論しようとした。否定する言葉を飲み込んだのは、煉獄がゆっくりと身を離し、苦笑を浮かべ見つめてきたからだ。ついぞ見たことのない、やさしくも切ない笑みだった。
「それでも、後悔はしたくない。命終わるそのときまでに、追いつけるよう努力するだけだ。強くなれば恋が実るというものではないことぐらいは、承知している。だが、俺にはそれぐらいしかできないからな。……君を困らせることはしないと誓おう。想うぐらいは許してくれ」
声も煉獄らしからぬひそやかさで、少しだけ震えていたかもしれない。
命終わる、そのとき。それは、どちらの?
問えば聞きたくもない言葉が返ってきそうで、義勇は、きつく唇を噛んだ。
そんなことは考えたくない。知らず寄せた眉根や噛み締めた唇は、義勇を知る者からすればめずらしい反応に思えたろう。煉獄も、己の言葉に義勇が拒否感を覚えたのを悟ったようだ。どこか悲しげにも見えた苦笑が、ほんのわずか色を変えた。
その顔は、愛子《まなご》の我儘に少々閉口しつつも愛しくてならぬと笑う、年長者の慈愛めいて見え、義勇の眉がいよいよきつく寄せられた。
愛しさはいささかも減りはしないが、負けん気がむくりと頭をもたげる。煉獄の面倒見のよさは、反面、自分は庇護されなくてはならぬほどに弱いのだと思わされ、辟易することもあった。
反発はそれでも愛おしさの瑕疵《かし》にはならない。こういうところは苦手だと思いもするが、煉獄らしいと微笑みたくもなる。これも恋がもたらす感慨なのだろうか。
いずれにせよ、煉獄に案じられるまでもなく、義勇ならずとも無惨討伐の強い意思を持つ鬼殺隊士ならば、己の命を惜しみはしない。朝には隣で笑っていた者が、夜には亡骸になっているのが鬼狩りだ。誰だって決意は胸にどしりと据わっている。嘆く暇などろくにない。鬼狩りならば誰しもがそれを乗り越え、明日には自分が同じ道をたどる覚悟を、いっそう強く胸に刻みつけるだけのこと。
義勇自身、己の命は長くないと思っている。柱を冠したそのときから、義勇の命は市井の人々を救う盾や刃《やいば》であるだけでなく、これから育ちゆく若い隊士の糧となすべきものになった。
鱗滝のように老齢まで生き延び引退する柱は、そう多くはない。百年だ。百年ものあいだ鬼殺隊は、柱は、上弦の鬼に敵わずにいる。
けれど。
血に塗れた煉獄の幻影が、ゆらりと義勇の脳裏をよぎった。
義勇は、煉獄と共闘したことは一度もなく、剣技を目にする機会に恵まれずにいる。だが、先代炎柱を知る古参の隠が興奮しきりに、新しい炎柱様は以前のお父上と同じぐらいお強い、いや、もしかしたらそれ以上だと、仲間と言い合っているのは聞いた。
柱どころか本来隊士にすらなれなかったはずの自分より、絶対に煉獄は長く生きるはずだ。それを義勇は疑っていない。けれども本当は、鬼狩りに絶対など存在しないこともまた、知っていた。
義勇が仮初の水柱になってからも、柱は幾人も亡くなっている。明日、煉獄がそうならないとは、誰にも言えないのだ。
「……死ぬな」
ようよう絞り出した声は、煉獄のものより震えていた。
己の死は覚悟している。煉獄たちほかの柱の最期もまた、覚悟していると思っていた。けれど、まだ足りなかった。
未練と言えばいいのだろうか。後悔したくないと煉獄は言った。義勇は後悔ばかりだ。姉に対しても、錆兎に対しても。
これ以上、後悔を重ねたくはない。未練を残して死地に挑むなど、煉獄にもさせたくはなかった。
「死なんさっ、今はまだな。俺にはまだやらねばならないことがある。千寿郎の行く末を見守らねばならないし、父上の体だって心配だ。継子も育てねばならん。それに……」
ふたたび煉獄の手が、そっと持ち上げられた。熱く固い手は、今度は静かに義勇の髪に触れた。癖のある固い黒髪は、手入れなどろくにしていない。さわり心地のよいものではなかろうに、煉獄の手はまるで繊細なガラス細工に接しているかのような慎重さでもって、義勇の髪に触れてくる。
「君と、もっといろんな場所に行きたい。もっと話がしたい。冨岡、君が迷惑でないのなら……恋がしたい。君と」
煉獄の声は、やっぱり密やかだ。ささやきは手よりも熱く、そして、やさしい。ためらいがちにおずおずと、跳ねた髪をすいた手は、すぐに離れていった。
「君とでなければ、花屋敷にも行きたいなどとは思わなかっただろう。子供のころから柱になるべく竹刀を振るうばかりだったからな。君のように家族と行楽したこともないんだ。恋人と行く場所など、まったくわからん。だが、どうしても、君と花屋敷に行ってみたかった。父上と母上のように」
刹那、義勇は理解した。暗い夜の緞帳がゆっくりとあがり、世界が朝の光で満ちていくようだった。自責の念に閉ざされていた視界が晴れていく。気づきはまさに黎明だった。
鬼狩りに恋などいらないのであれば、今ここに、煉獄はいないのだ。もちろん、跡継ぎを得るためだけの婚姻もあるだろう。市井であっても耳にする話だ。だが、先代炎柱とその奥方――煉獄の両親は違う。彼らをつないだものは恋であるはずだ。だから煉獄はこんなにもまっすぐなのだ。
煉獄によく似た顔を、義勇は思い浮かべた。煉獄が円熟味を増せば、きっともっとあの人に似てくるのだろう。その人――煉獄の父である先代炎柱に初めて逢ったのは、義勇がまだ、癸のころだ。
大人数で臨んだ任務だった。あれは冬だったか。味方は全滅し、孤立無援となった義勇の救援に来た柱が、先代炎柱だ。あの日のことは覚えている。炎柱様は奥方を亡くして以来、変わった。そんな噂は義勇の耳にも届いていたけれど、間近に見た彼の太刀筋は、圧巻の一言だった。
作品名:いのちみじかし 中編 作家名:オバ/OBA