天空天河 九
林殊は貰いっぱなしで、靖王に返したことなど殆ど、いや、全く無い。
ふふふ、と長蘇は微笑んだ。
「私の寝台の部屋の、奥にある引き出しに入っている。
取ってきてくれないか?。」
「ん?、私がか?。」
「、、、タテナインダ、、、。景琰か取ってきた方が早い。」
『やれやれ』といった顔をして靖王が立ち上がり、書房の寝台の方へ行く。
「そう、そこの隣の、、、、、その二段目だ。」
長蘇が靖王に指示を出す。
「、、、これか?。」
靖王は引き出しから、それらしい小箱を取り出した。
「そう、その箱だ。」
靖王は細長い木箱を持って、長蘇の元へ戻って来る。
小筆か箸でも入っていそうな大きさだった。
「これか?、小殊。」
「そうだ、開けてみてくれ。」
靖王は無言で差し出したが、長蘇は真剣な顔で、ほんの少し微笑んでいる。
何が入っているのかと、だがあまり期待せずに、木箱を開けた。
木箱には白い絹布で包まれた、細長い物が入っている。
靖王は一度、長蘇の顔を見るが、さっき自分が抱いた様な興奮は、長蘇には見つけられない。
━━まぁ、、さすがに昔みたいな変な『お返し』では無いだろうが、、、もう大人だし。━━
そう思って、絹布の包みを取り出し、開いてゆく。
触った感じでは、棒状の物だった。
靖王は包みをゆっくりと開き、、、、、そして無言になった。
「小殊、、、、これは一体、、、、枯れ枝??。」
非常に理解に苦しんだ。
その辺に落ちていそうな一尺足らずの小枝が、大切に絹に包まれて出てきたのだ。
━━いつもの小殊の『アレ』か?。
それにしてもあの真珠のお返しが、、、、枝、、、。
、、、、まぁ、、期待してはいなかった。
期待してはいなかったが、、、これはあまりに、、、。━━
苦労して手に入れた真珠と、同等の物が欲しい訳では無いし、何ならお返しなど、いつも通りに無くても良かったのだ。
いつも林殊はこうやって靖王を揶揄って、後から、『冗談に決まってるだろ』で済ましてしまうのだから質が悪い。
既視感に目眩を覚えて、靖王は目を閉じた。
『昔もこんな事があったなよぁ、、』と、遠い目になる靖王。
酷い揶揄われ方をされていると感じて、『枯れ枝ならば無い方が良かった』と思った。
入念にその辺りから枯れ枝を拾って、それらしい様にわざわざ絹布に包み箱に入れ、手の込んだ『騙し』にしか思えない。
『私の事は全て信じているよな!!』と、試されている様にも感じて、、、、靖王は改めてうんざりとした。
━━嘗てのように、私を誂(からか)っているのか?。
私は小殊の『コレ』に付き合うべきか?。
付き合うには、今は何だか、私の心が疲れてしまって。━━
我慢強い靖王にも、少々、きつい状態だった。
「景琰、ただの枯れ枝と思うなよ。
この枝は景琰にとって、非常に役立つ物なのだぞ。
『破魔』の護具の一つだ。
梅嶺の『千年梅樹』の枝なのだ。」
長蘇が言えば言う程、靖王の心に虚しさが広がった。
「ふーん。」
枝を弄りながら、全く信じていない顔で聞き流す靖王。
「ぁっ、、、、その顔、嘘だと思っているな!。
大渝と戦う前に、たまたま見つけたのだ。
枝を手折り、懐に持っていた。
金陵に無事に戻ったら、お祖母様(今は亡き太皇太后)に差し上げて長生きをしてもらおうと思ってな、梅嶺を下りるまで、ずっと懐に持っていた。
夏江に斬られ、崖からも落ちたが、この枝に守られて、私は今ここにいられるのかも知れない。」
「ふーん、、、この枝がねぇ、、、はーん、千年梅樹、、。」
『千年梅樹』など、伝説の様なものだ。
これが『それだ』と嬉しそうに話す長蘇と、疑わしさにすっかり気持ちが冷めきった靖王。
さすがに長蘇も、互いのこの温度差に気が付く。
「、、景琰、、信じていないだろ?。
本当なのだ。
私が今までこんな嘘をついた事が?、、、。」
「、、、、。」
真顔で長蘇を見つめる靖王の言葉はない。
長蘇はここで初めて、自分がかなり嘘臭い事を言っているのに気が付く。
「、、、、ある、、、な、、、そう言えば、、この手の嘘が、、、。」
──確かに昔、この手の嘘で景琰を嵌めた事が、、、。
、、、、それも一度や二度ではなく、、、。──
今頃、反省しても手遅れだった。
「だが、本当なのだ。
これは本当に千年梅樹の枝で、景琰には肌身放さず持っていて欲しい。
持ってさえいれば、細かな『魔』に憑かれる事は無い。」
林殊だった頃に、散々『本当だ信じてくれ』と言って、靖王を騙した事を、長蘇は思い出す。
靖王が、『私にまたそんな嘘を?』と思っているのが見え見えだった。
長蘇は、胡散臭そうに見る、靖王の視線が痛い。
林殊はどれだけ信用が無かったか。
何を言っても、全て嘘に聞こえてしまう事態に困ってしまって、長蘇は何も言えなくなってしまった。
『これは本当なのだ』と、思いを込めて靖王を見つめる事しかできない。
靖王の身体に、長蘇の『魔』が伝染ったのだ。
誰にでも『魔』というものが入ってしまう事が分かった。
少しの『魔』でも、靖王の身体を穢させたくは無い。
かつて林殊であった頃。
単身、梅嶺の山駆けをしていて、崖の上の梅の木に気が付いた。
林殊は崖をよじ登り、確かめる。
崖に立つ梅は、立派な梅樹で、崖にありながら林殊が見上げる程の大きさで、幹周りは皇宮の養心殿の柱よりも太い。
だいたい、こんな高地に梅が生えている事事態が希だ。
それに梅嶺は寒く、育ちが酷く遅く、林殊と同じくらいの高さの梅でも、樹齢は百年を超すどいう。
間違いなく、樹齢千年を超えているだろう。
梅嶺の梅の枝は香仄かで姿が気高く、枝や枯葉ですら霊薬として珍重された。
中でも樹齢千年を超えるものは、霊効も格段に強い。
古来から梅嶺に生えている梅の木は、殆ど伐採され取り尽くされてしまった。
梅嶺の梅は絶えたと言われ、早数十年、発見される事も無かった。
林殊は一目見て、これは伝説の『千年梅樹』だと分かった。
『千年梅樹』は世のあらゆる穢れを浄化する。
煎じて飲めば長生き出来る、と言われていた。
林殊はこれを太皇太后に渡して、長生きをしてもらおうと真っ先に思った。
籠や鉈(なた)を持ってきて、後で枝を取りに来ようと、場所をしっかり覚えた。
どうせ大渝なぞ、忽ち蹴散らせるのだ。
大渝戦が終わったら、千年梅樹を取りにゆっくりここに来れば良い、そう思った。
だが林殊は二度と、梅嶺に来る事は出来なかったのだ。
藺晨に頼んでみたりもした。
非常に珍しいものに興味を唆られ、藺晨は『千年梅樹』を探し、長蘇が言った通りのと場所を探し当てたが、見つける事は出来ず。
そこには木の痕跡すら無かったのだ。
『それがあれば色々と試してみたい事がある』と、色々と勝手に目論んでいた藺晨は、『長蘇に騙された!!』と憤慨していたが、嘘はついていない。
『千年梅樹』の枝は、今、靖王が持っている一枝だけである。
「この枯れ枝が『千年梅樹』なのか?。」