天空天河 九
「疑う事は景琰にとって、悪いことでは無い。
ふふ、残念だが飛流に仕込んだ訳では無いのだ。
飛流は峰天愁ではない茶を飲み、それを峰天愁と言う事は無い。
だが、峰天愁を間違うことは無い。」
「峰天愁が分かると?。
もしかして外の茶も分かるのか?。
だとしたら、私よりも優秀だな。」
「峰天愁だけだ。
他を飲んでも、他は多分、味も分からない。」
「峰天愁だけだと?。
なぜ飛流は、峰天愁だけは分かるのだ?」
「私が最も好む茶だからだ。」
長蘇は微笑んで、靖王に答えた。
━━ぁぁ、、、小殊が好きな茶なのか。
だから飛流は覚えたのだ。
主が好きだからこそ。━━
靖王は空になった自分の器を取り、茶の残りの香りを匂った。
どこか野性味のある、強い茶の香り。
林殊の頃に好んだ茶とは、違っている気がした。
━━小殊は今は、これが好きなのだ。
、、、、考えたこともなかった。
小殊の好きな茶、、、。━━
飛流が茶の名前を知っていたという事よりも、長蘇の好みを分かろうとしなかった自分に、驚きと、何よりも自分に幻滅をした。
━━小殊の事は、誰よりも知っていると、私は驕(おご)っていたのだ。
小殊の好みの茶すら知らぬ癖に、私は、、、。━━
「小殊、もう一杯、峰天愁をくれぬか?。」
「ぁぁ。」
長蘇は微笑むと、茶葉を入れ替えて、湯を零し、新たに茶を淹れ、熱い峰天愁を靖王の器に注ぎ、靖王に手渡した。
靖王は器の中の色付いた湯を見つめ、香りに目を閉じて思いに耽る。
━━小殊のこの一杯を覚えよう。━━
そして手首を返し、ぐぃと飲み干し、味わっている。
「提された者の作法としては、満点だ。」
「やっと先生から満点がもらえたか。」
靖王が嬉しそうに、微笑んだ。
━━茶とは、こうして飲むものなのだな。
振る舞われた者は、振る舞った者の心を、茶を通して知るのだ。
私を想い、茶を丁寧に淹れてくれる事に、意味があるのだ。━━
「峰天愁は覚えた。
蘇先生と飛流に、心から感謝する。」
靖王は居住まいを正し、長蘇に対し丁寧に拱手する。
「宜しい。今後一層の研鑽をしなさい。」
長蘇が誰かの口真似をして言った。
「ふふふ、、、、黎崇先生か。
懐かしいな。」
二人、恩師を思い出し、懐かしんだ。
「宗主。」
長蘇の配下の黎綱が部屋の外から声をかけた。
「入れ。」
長蘇の許しを得て、部屋に入り、、靖王に拱手して挨拶をする。
「宗主。」
黎綱は極小さな紙巻きを、長蘇に差し出した。
長蘇が受け取ると、黎綱は部屋を下がった。
長蘇は受け取ると、紙巻きを開く。
一瞬、眉を顰めた長蘇だったが、直ぐに嘲笑へと変わる。
「小殊、一体、何が?。」
『見ろ』と、長蘇が無言で靖王に渡す。
靖王は紙巻きを開き、愕然とした。
「夏江が寒牢から逃げただと??!!。
どうやって、、、。
寒牢を脱け出す事は、不可能な筈だ!!!。
刑部は一体何をしていたのだ!!!。」
靖王は立ち上がり、地下通路へ向かおうとする。
「急ぎ、寒牢へ行かねば。」
「景琰、止せ。」
気が逸る靖王を、長蘇の言葉が引き止めた。
「景琰、この情報を何処から聞いたと言うつもりだ。
これは江左盟の内偵が、緊急に送って寄越すものだ。
今時分は恐らく、刑部の上層部に、漸く伝わったかどうかという所だろう。
どこにも報告していない情報を、景琰が持っていたら。
あらぬ警戒や罪名をでっち上げられかねん。
慎重に動くのだ。」
長蘇は椅子の背もたれにゆっくりと背中を預け、笑っている。
「そんなに悠長に構えて、、、、。
小殊、夏江が金陵から出てしまったら、捕らえられなくなる。」
長蘇は手持ち無沙汰に、自分の爪など見ている。
余計に靖王の気が逸る。
靖王も見ずに、長蘇は答えた。
「非常線を張って、検問が厳しくなるだろうが、、。
私は検問で夏江が阻止できるとは、とても思えない。」
「なッッッ、、、。」
改めて靖王に向き直り、長蘇は言った。
「夏江に並外れた武功があっても、寒牢から、脱獄は不可能だ。」
「ならば夏江はどうやって、、、、。
堂々と寒牢から出たと言うのか?。
聖旨でも無い限り、寒牢から出るなど不可能、、。」
そこまで言って靖王は、はっと思い立ち、己の考えに衝撃を受ける。
「まさか、、陛下からの聖旨が?。
、、、いくら何でもそんな筈は、、、。」
「、、、分からぬが、その可能性が無いわけではないが。
内偵の密書には、『聖旨で夏江が牢を出た』とは書かれていない。
聖旨では無いのだろう。」
「ならば、、、、?。」
長蘇は滔々(とうとう)と話し始める。
「そう恐らくは、寒牢の役人の中に、夏江の手の者がいるのだ。その者が手引きをしたのだろう。
関わった者は一人や二人ではない。
私との懸鏡司での一件で、夏江の『魔』力が激減した。
人が夏江を捕らえておける程に、弱ったのだ。
捕らえていたとは言え、夏江の『魔』は無くなった訳では無い。
謝玉の様に、『魔』力で直接人を攻撃するのと違い、人を操るのにさほどの『魔』力は要さない。
寒牢の中に、『魔』玉を与えられた者がいたのかも知れぬ。
夏江の少しの力で、『魔』の影響のある配下が、牢の鍵を開け、外に連れ出す事など難しくないだろう。
夏江が『魔玉』を与えた者たちが、この梁の中には無数にいるのだ。
懸鏡司の配下、都の兵士や辺境の兵士にまで。
『魔玉』さえ飲ませれば、夏江の軍を作り上げられる。
夏江が直接、飲ませに行かなくとも、『魔玉』を飲んだ手先が、他の者に飲ませ、、、。
この大梁の国土に、どれ程の手先がいるのか、計り知れぬ。」
「、、、恐ろしい話だ。
人の命を一体何だと、、。
あの日、即座に処刑しても良かったのだ、、。」
真剣な眼差しで靖王が言った。
「ははは、、、夏江にどんな罪名で?。
景琰、無茶を言うな。
お前の評価が下がる。
今は損な事をすべきでは無い。」
「夏江さえいなくなれば、『魔玉』を飲まされた者は、解放されるのでは?。」
靖王の問に、伏し目がちに長蘇は答える。
「、、、そうはいかぬかも知れぬ。
滑族の首長の血筋に、『魔』を操る者が現れる。
傍系や隠し子、、全てを把握ずるのは至難だ。
陛下は、滑族の男は全て処刑したが、女子は生きている。
何処からどう、ひょっこりと現れるか分からぬのだ。
その者が、『魔玉』を飲んだ者を統べる『魔力』を持っていたら?。
死士の軍隊を自在に操れる『魔皇』になる。
滑族の恨みを引き継ぎ、梁の王族や貴族、草民に容赦はあるまい。
今後の事を考えても、この憂いは断っておきたい。」
「ならば、小殊、、、。
滑族の『魔』を阻止する為に、私は何をしたら良い?。
お前の脳裏には、これから起こる『先』が見えているのではないか。」
「どうとでも動きえて、なんとでも変わりえる。
今は何とも言えん。
今後の成り行きをみよう。」
「小殊、、、一つ聞きたい事が。
、、、、、誉王は何処にいる?。