Tパロ
(中略)
セフィロスはクラウドの額に手を伸ばした。ジェノバの力は他者に行使できなかったが、クラウドは別だった。同じ細胞が体内に息づいているせいだろうか。
「やめろ……!」
クラウドの震える声が静止を求めるが、セフィロスにはやめてやる理由がない。ふたりはジェノバ細胞のネットワークで繋がれている。クラウドの記憶を読むのは自分の記憶を掘り起こすよりも容易かった。ピンで固定された羽虫を観察するように、セフィロスはクラウドの中をゆっくりと眺めた。
クラウドの記憶の大部分は幼少期の故郷への複雑な思いで構成されていた。愛すべき母と、よき隣人。寒村ながらも神羅の技術によって恩恵を受けた不自由のない生活。しかしクラウドの幼馴染の滑落事故をきっかけに平穏な生活は変容していく。
滑落事故により、幼馴染は頭を強く打ちつけた衝撃で意識を失っていた。彼女を助けようとし一緒に落ちたクラウドは打ち身と擦り傷で済んだものの、その怪我の程度の差で彼女を突き落としたのだと疑われた。そうして、途中まで同行していた幼馴染の取り巻きの偽りの証言により、クラウドは冤罪を擦りつけられた。それを皮切りにクラウドは子供たちの輪から外れ、大人たちからも距離を取られた。その村八分はクラウドの母にすら及んだ。滑落事故により部分的に記憶を失った幼馴染はクラウドを責めることはなかったが、罪を晴らすほどの縁をクラウドに感じてはいなかった。事故後の違和感を口に出せずにいる彼女のもの言いたげな視線はクラウドの無力さを責めているわけではなかったが、クラウドは次第に罪の意識に苛まれた。何かをなしえる人間にならなければ罪を晴らせないと思うようになった。村での孤立が英雄への傾倒を加速させた。
クラウドにとっての苦い思い出をセフィロスは反芻する。それは心地よい記憶だった。クラウドの気持ちが手に取るように分かった。害するような行動を取る人間なのだと勝手に断じられた怒りと、どうあがいても理解されないという悲しみ。弁解すらしない強情さは気高さではなく、拒絶を恐れる故の観念でしかない。
クラウドの記憶はセフィロスをこの上なく満足させた。クラウドはセフィロスと同じ形の傷を有し、世界から爪弾かれていた。自分と同じく、孤独を、理不尽を知る者だった。
「私だけだ。お前という人格を正しく理解できるのは」
「いやだ、おれを、みるな」
クラウドの拒絶は尤もだった。過去が暴かれるのは辱めでしかない。英雄からしてみれば取るに足らぬであろう過去に囚われている矮小さを観察されているのだから。目を背けようとあがくクラウドの顎を掴み、じっと瞳の奥を覗き込む。
「クラウド」
セフィロスがクラウドを理解したように、クラウドにも理解させる必要があった。分かたれた細胞を介し、記憶を再結合させる。クラウドの体内にあるジェノバは従順だった。クラウド自身すら英雄に憧れ、それになろうと望んでいたのだから。
「私を、受け入れてくれないか」
瞬間、クラウドはセフィロスの記憶を垣間見た。セフィロスが公に英雄と称される以前の遠い記憶。救おうとしたものをを斬り捨てることしかできなかった幼き日のセフィロスの姿を。
海に囲まれた崩れゆく孤島に巨大な煉瓦の煙突が立っている。もうもうと煙を吐くその下、煤に汚れた少年がいた。少年はまっすぐにセフィロスを――その体の内にいるクラウドを見つめた。
セフィロスと相対しているのは敵国を守る少年だった。気のいい年上の部下たちは少年と懇意にしていたという。少年を助けたいと願う彼らの気持ちを叶えるためにセフィロスは会話を試みた。けれど、少年はセフィロスの言葉に耳を貸さなかった。それは彼の矜持ゆえだった。彼は孤島の観測者ではなく、ひとかどの戦士だった。彼はこの日のために生まれてきたのだ。
「きみが救いたいのはおれじゃないだろ」
少年は残酷な事実を告げる。仲間を助けたくば自分を見捨てろと――この身を斬れと言う。だがセフィロスの部下たちはそれを望んでいなかった。消えゆく命を見逃すことのできない情の深いひとたちなのだとセフィロスは理解していた。その優しさに報いたかった。報いたかった、と過去形に思ったところで、セフィロスは気が付いた。結論は最初から出ていたのだ。少年に言われるまでもなく、セフィロスは自分が誰を救うべきかを理解していた。まだすべての命を救うほどの力はない。英雄として育てられ、それにふさわしい戦力を身に着けたつもりだった。けれど、何もかもが足りなかった。無力感に苛まれながらも、セフィロスは刀を構えた。
「だめだ!」
セフィロスの目を借りてその光景を見ていたクラウドは思わず叫んだ。だが、過去の記憶は止まることはない。
刀の切っ先が少年に向く。視界が一瞬ぼやけて、瞬きの後に曇りはなくなる。地滑りの音、潮騒、それに紛れて制止を叫ぶ声が遠くに聞こえる。だが、どれも振るう刃を止めることはできなかった。手に骨と肉を断つ手ごたえが伝わる。どう、と肉塊が地面に倒れる音だけがやけに耳についた。
すべてを見届けたクラウドの口から嗚咽が漏れた。
「あ、ああ……」
感情の波がクラウドを浚った。それはセフィロスの声なき慟哭だった。
セフィロスには選ぶ余地がなかった。どちらも救うという選択肢は存在しなかった。少年と部下、どちらかしか救えないと言われたのなら、セフィロスに迷う余地はなかった。だったら「自分なら少年を助けられる」などという安請け合いをすべきではなかった。約束を違えた後悔が胸に重苦しく渦巻いていた。
「なぜ殺した?」と問いかける部下の言葉は怒りに満ちていた。セフィロスとて少年を殺したくて手にかけたわけではない。少年と部下を天秤にかけたとき、後者に傾いただけだった。少年を救うということは彼の矜持を折り、部下を危険に晒すことだった。だが、セフィロスは自身の心情を明かすことはなかった。どんな過程を経ようとも望む結果を得られなかったのだから、申し開きなど無意味だった。クラウドにはそれが痛いほどに分かった。故郷で冤罪を着せられたクラウドも、そんな観念から釈明を避けた。かつてのセフィロスはクラウドの傷そのものだった。
部下がふと地面に目を止めた。セフィロスの探していたペンダントが振動に震える土の上に転がっていた。あの中には母親の写真が入っている。この任務に就くまで部下も友人すらもいなかったセフィロスの、唯一の心の支えだった。部下の足先がペンダントを蹴り上げる。それは紛れもなくセフィロスへの報復だった。なくしてから部下たちも必死に探してくれていたそれは、あっけなく地割れの中へ落ちていった。しかしセフィロスの心にあったのは絶望ではなく観念だった。彼らの大切に思っていたものを奪ったのだ、当然の報いだ。
セフィロスは選ばれなかった。彼らの中ではセフィロスよりも敵国の少年のほうが大事だったのだ。