バイオハザード Fの起源 第3話 ソニアの脱走~エイダの罠
それは、彼への信頼と、彼ならきっと自分の行動を理解してくれるだろうという甘え、そして、自分自身の意志を示すための、ソニアなりの反発だった。
ソニアは、自らの意思で病室のドアを開け、廊下へと足を踏み出した。
医療ラボの警備員たちが、彼女の姿に気づき、慌てて無線で連絡を取り始める。
「ソニア・ホークアイズが脱走! 確保せよ!」
警備員たちが銃を構えて突進してきた。
しかし、彼らの動きは、ソニアの「鷹の目」の前ではスローモーションのように見えた。
彼女は、彼らの筋肉の収縮、重心の移動、そして銃口のわずかなブレまでをも読み取り、正確なカウンターを繰り出した。
体術はレオンやジェイクほどではないが、彼女の動きは研ぎ澄まされた集中力によって強化されており、警備員たちは次々と無力化されていく。
彼女の視力は、彼らが持つスタンガンの放電のわずかな変化すらも捉え、回避を可能にした。
警報が鳴り響き、ラボ全体が赤色灯に染まる。
ソニアは、迷うことなく非常階段を駆け下り、地下駐車場へと向かった。
途中で、警備員が発砲してきたが、彼女は弾道のわずかな歪みさえも視認し、寸前で身をかわす。
駐車場には、政府関係者用の高級車がずらりと並んでいる。
ソニアは、その中から最もセキュリティの低い車両を選び、数秒でドアをこじ開けた。
エンジンを始動させると、激しいタイヤのスキール音を立てながら、出口へと向かう。
「待て! ソニア・ホークアイズ!」
出口のゲートには、重武装した特殊部隊員たちが待ち構えていた。
彼らは、彼女の脱走を完全に阻止する構えだ。
その先頭には、見慣れた男の姿があった。
アッシュブロンドの髪。
引き締まった細い長身に青いYシャツと黒のスラックス。
Yシャツの襟元を開いているのだけは、彼なりの最後の反抗心なのかもしれない。
「……レオン!」
ソニアの目に、予想通りに現れたレオンの姿が映った。
彼の表情は、心配と、そして彼女の行動への戸惑いが混じっていた。
レオンは、ソニアの乗る車に向かって走り出し、両手を広げて停車を促した。
「ソニア! 止まれ! 危ないぞ! いいから俺に任せろ!」
彼の叫びが、地下駐車場に響き渡る。
その声は、いつも通りの、彼女を守ろうとする優しさに満ちていた。
ソニアは、ハンドルを握りしめ、アクセルをさらに深く踏み込んだ。
車のスピードが上がる。
「うるさいわね、レオン・S・ケネディ!」
彼女は、レオンに向かって、精一杯の憎まれ口を叩いた。
その声には、挑発と、そして彼ならきっと自分を止めきれないと信じる、確かな信頼が込められていた。
「あなたのそういうところが、本当に…」
ソニアは、言い終えることなく、サイドブレーキを勢いよく引いた。
車体が大きく横滑りし、間一髪でレオンの横をすり抜ける。
レオンは、そのあまりの勢いに、思わず身をかわすしかなかった。
「くっ…!」
レオンは焦った。
彼女が、自分の言葉に耳を傾けるはずがないことは分かっていた。
だが、まさかここまでやるなんて。
ソニアの車は、ゲートを強行突破し、夜の都会の闇へと消えていった。
レオンは、遠ざかる車のテールランプを見つめながら、小さく呟いた。
「…行ってしまったか」
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レオン・S・ケネディは、何か手掛かりは残っていないかと、ソニアの病室に立ち、窓外の都会の灯りを見つめていた。
煌めく光の海は、この世界の裏側で蠢く暗い陰謀とは無縁であるかのように見えた。
彼の脳裏には、数時間前にクリスと交わした会話がリフレインしている。
「Fウイルス適合者」
としてのソニアの重要性、そして狂信的な組織が彼女を狙っていること。
さらに、ペンタゴンが彼女を「処分対象」と見なしかねないという上層部の冷徹な言葉も、彼の心を苛んでいた。
ソニアは、ただでさえ過酷な運命を背負っている。
これ以上、組織の都合で彼女を犠牲にすることはできない。
その時、病室のドアが音もなく開き、影のように現れたのは、黒いチャイナドレスを纏った東洋人の女性、エイダ・ウォンだった。
その動きは、まるで影そのものが形を得たかのようだった。
レオンは即座に警戒態勢に入る。
彼の右手は、無意識のうちに腰の銃に伸びていた。
エイダの存在は常に、予測不能な危険と混乱を意味する。
彼女の出現が、この緊迫した状況をさらに複雑にするだろう。
「こんばんは、レオン。まだこんなところにいたの?」
エイダの声は、甘く、しかしどこか冷たい。
その声には、相手の心を試すような響きが含まれていた。
「エイダ。お前、ソニアに接触したな」
レオンは低い、しかし確かな怒りを込めた声で言った。
彼の声には、抑えきれない憤りが含まれている。
エイダの介入が、ソニアを危険に晒している。
エイダは微笑んだ。
その微笑みは、レオンの怒りを嘲笑うかのように、皮肉めいていた。
「あら、何を言っているのかしら?私はただ、好奇心旺盛な少女に、少しばかりの情報を与えただけよ。彼女は自身のルーツと、この世界の真実を知る権利があるでしょう?」
「お前の『情報』は、いつも厄介事しか持ち込まない。ソニアを利用して何を企んでいる?」
レオンは一歩踏み出し、エイダとの距離を詰めた。
彼の視線は、エイダの瞳の奥に隠された真意を探ろうとしていた。
「利用?人聞きが悪いわね。私はただ、ゲームを楽しんでいるだけ。そして、貴方も、そのゲームの駒の一つ。そうでしょう?」
エイダは不敵に笑い、レオンの追及を煙に巻いた。
彼女の言葉は、レオンの心を深く抉る。
彼自身もまた、エイダの思惑の中で踊らされていることを自覚しているからだ。
彼女のゲームは、常に予想を超え、関わる者全てを翻弄する。
「ソニアの体は、まだ本調子じゃない。お前が渡した情報で、彼女の身に何かあればどうするつもりだ?」
レオンはソニアの安全を案じ、エイダを強く牽制した。
彼の声には、親しい者を守ろうとする、人間的な感情が色濃く出ていた。
「それは、彼女自身の選択よ。そして、彼女の『鷹の目』は、真実を見抜く力を秘めている。そうでしょう?」
エイダはそう言うと、わずかに身を翻し、再び影に溶け込むように姿を消した。
その姿は、まるで最初からそこにいなかったかのように、完璧に消え去った。
彼女の残した言葉だけが、レオンの心に重くのしかかった。
エイダがソニアに何を伝え、何を仕向けたのか、レオンにはまだ全ては繋がらなかった。
しかし、彼女の言葉が、ソニアの心に新たな好奇心と、そして抗えない運命の糸を引いたのは確かだった。
彼女は、エイダの仕掛けたゲームに乗ることはするが、決してその手のひらで踊らされるつもりはないだろう。
彼女の内に秘められた強さを、レオンは信じていた。
「エイダめ…」
レオンは低い声で呟いた。
彼の脳裏には、エイダが去り際に見せた、不敵な笑みが焼き付いていた。
彼女はソニアを操っているように見えて、実は彼女自身の覚醒を促していたのかもしれない。
あるいは、もっと大きなゲームの一部として、ソニアを駒として使っているのか。
作品名:バイオハザード Fの起源 第3話 ソニアの脱走~エイダの罠 作家名:masa