狂愛
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(猗窩座視点)
若い娘を攫うという鬼を討伐し、鬼殺隊の面々と別れてから猗窩座は人間に擬態して煉獄とともに一軒の宿屋に入った。
なんでも鬼殺隊は、衣食住を無償提供する家を日本全国津々浦々に抱えているとのことで、当初は煉獄もそこに世話になろうと考えていたらしかった。しかし鬼がついてきている状態では無用に騒がせてしまうだろうと、街の宿を選択したのだという。
こちらなど構わずに自分だけその家に行けば良いものを、わざわざ避けるというのだから、これでは一緒に泊まろうと言っているも同然ではないか。
猗窩座は呆れ半分に胸中で呟くが、煉獄は深い意味などないとばかりに至極普通にひと部屋を抑えた。
ひと部屋。つまり、相部屋。
「…おい杏寿郎。部屋は別で良くないか」
「何を言う。君、持ち合わせもないだろう?」
そこを突かれてはぐうの音も出ない。
宿の者に部屋を案内されるなり、煉獄は慣れた手つきで布団を二人分敷いていく。
猗窩座はそれを部屋の入り口で立ち尽くして、ただ見つめていた。
二つの布団は、ぴったりとくっついている。
「……」
これは、突っ込み待ちなのだろうか。
猗窩座は真剣に考えた。
肌を重ねたことがあるとはいえ、杏寿郎は色事には初心だ。
決して積極的ではないし、なんなら強引にことを運ばなくてはなんの進展も得られないのがこの男。行為に入る前どころかその最中や事後にも暴力は付きもので、正直生身の人間ではこいつの相手など務まらないと思う。おそらく満身創痍となって途中で沈められるか、うまく急所を避けて最後まで終わったとしても再起不能になるのではないだろうか。
そんな猛獣のような男が、こんな誘うような真似をするはずがない。
仮にここで素知らぬふりをして、うっかり添い寝なんぞしてみた日には何発殴られるかわからない。
いや待て。それともこれは杏寿郎のデレなのか?…これが?
杏寿郎は長兄であり、随分厳しい家で育ったらしい。甘え方を知らずに生きてきて、今や鬼殺隊の柱の座。要するに頼られる生き方しかしていない。そんな杏寿郎の不器用なデレがここに詰め込まれているのだとしたら、応えずに済ませて良いはずが
「失礼致します」
思考回路を全力でまわしていると、落ち着き払った女性の声が廊下からかけられて猗窩座は場所を空けた。
襖がひらくと、夕食が運び込まれてくる。当然、膳は二人分用意されていた。
食事の支度をする女性たちの視線も、寄り添って敷かれている布団にちらちらと注がれている。まあそうだろう。男が二人でひとつの部屋をとり、布団を並べている理由など限られるというものだ。
……ということで、良いんだよな。杏寿郎。
しかし、その煉獄の目は、完全に運ばれてきた膳に向けられていて。
「よもやそれは、飛騨牛というものだろうか!」
とても元気の良い声で女性に訊ねていた。
対する女性は料理がのった皿をテーブルに並べつつ、頷いて笑顔で説明する。
「はい、飛騨牛のすき焼きと、こちらが山菜のおみおつけ、お漬物となっています」
「随分と豪華なのだな!ここではいつもこのような食材を使用しているのか?」
「いいえ、今は物騒な事件が続いていて、飲食店は早くに店を閉めてしまうので、余った食材をたまにこうして譲ってくれるのです。お客様方は運が良いですよ」
「ふむ…確かに外には人もいなかったな」
「噂では女ばかり狙う犯人のようですが、男の人も日が沈んでからは外に出ません。…こんなこと、いつまで続くのかしら…」
鎮痛な面持ちの女性の話に真剣に耳を傾けていた煉獄は、柔らかく微笑んだ。
「なるほど。しかし安心すると良い!もう人攫いなどはなくなるだろう」
「え…?」
「残念ながら、攫われた人たちは帰ってこない可能性が高いが、今後新たな被害はなくなるはずだ。貴女たちも夜道を歩き、家に帰ることだって出来る」
「そう…なれば、いいですよね」
根拠もなく信じることはさすがに難しいのだろう。女性は煉獄の言葉に曖昧に笑みを返し、食事を並べ終えると部屋から辞していった。
「……」
煉獄と女性のやり取りを、猗窩座は壁に寄りかかって眺めていた。
鬼からすれば、人間などただの食糧だ。特に弱い鬼の強さは食った人間の数に比例するといっても良い。
人口の多い街を標的として、鬼殺隊に目をつけられない程度に食い漁る鬼というのは案外多いのかもしれない。
が、狩場とされた人間たちはどうだ。
鬼そのものを知らない中で、怪現象のように人が消えていき、時には化け物のような姿を目の当たりにして。
これまでは、人間なんて昼の間に好き放題動けるのだから夜くらい大人しくしていろと思っていたが、夜は夜の人の営みというものがあることを、先程の会話で知った。
何より、杏寿郎が任務終わりに好きな飯も食えずに腹を空かせるなんて由々しき事態だ。
こそこそと食ってまわっていないで、正々堂々勝負をして気が向いたときに食う程度でいいじゃないか。
己の今までのスタイルを思い起こし、憤懣やるかたなしと嘆息する猗窩座を差し置いて、煉獄は食卓について手を合わせ「いただきます!」とひとり声をあげていた。
念願の飛騨牛に赤い瞳が輝いている。食い意地の強い奴だ。
「うまい!」
「ふっ…」
一口食べて即行で発せられるうまいの一言に、思わず笑ってしまった。
壁から背を離し、煉獄の向かいに胡座をかいて座り、その膝に頬杖をついて猗窩座は訊ねる。
「どうだ。違いはわかるのか?」
「ッ…、違いか……ふむ」
肉を箸で持ち上げ、煉獄は大きな瞳でしげしげとそれを凝視していたが、ぱくりと口に入れるとまた「うまい!」が条件反射のように飛び出してきて。
なんというか、まあ味わっているとは思えない。
それでも普通の肉との違いを探しているようで、普段よりも咀嚼が長いような気がする。眉間に皺を寄せて。
そんな姿を見ることができただけでもなんだか満足で、愉快な気持ちになってくる。
「くくく、どうやら訊く相手を間違えた。味など気にせず食ってしまえ、杏寿郎」
「そうか。実は味わおうとすればするほど溶けてなくなってしまってな。困っていたところだ」
「肉が溶けるのか。それはうまいと言えるのか?」
「うむ。これはすごいぞ!君も食べると良い!」
「いらん。俺のぶんも頼むぞ」
肉も杏寿郎のように理由もなくうまいうまいと嬉しそうに食われたほうが幸せだろう。
感想や説明を求められなくなった煉獄が、二人前の夕食を平らげるのにそう時間はかからない。猗窩座は満たされた気分で、その至福そうな顔をただ見つめていた。