想いと誓い
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「杏寿郎!」
「猗窩座…!やはり君か!」
煉獄の前方に降り立ち、猗窩座はぱっと顔を上げる。
この胸を焦がす熱。これは杏寿郎しか俺に与えることができない特別な熱だ。
久しぶりの極彩色の金と赤に、思わず目を細めた。
煉獄は一度表情を明るくしたが、すぐに踏みとどまって日輪刀の柄に手をかける。全身に纏う闘気が、こちらを警戒しているのがわかり猗窩座は笑みを深めた。
「安心しろ杏寿郎。…俺だ。お前を迎えにきた」
「…確かに、君だ。身体は大丈夫なのか?」
認めつつもどこか戸惑うように隻眼を揺らし、こちらを注視する煉獄は、日輪刀からは手を離さずに言葉を続けた。
「いや、話はあとだ。俺は今任務の途中……む。」
言いながら猗窩座の手元を見遣り、煉獄が口を噤んでぱちぱちと瞬きする。
対する猗窩座は眉尻を下げて玉壺二世を煉獄の前に突き出した。
「土産だ、杏寿郎。川に棲む鬼ならこいつがそうだ」
「ええっ、参様!?こここここいつは鬼狩りですよ!しかももしかして柱じゃ…ごふっ」
喚き立てる玉壺二世の顎を、空いていた拳で殴り破壊する。首の繊維でかろうじて頭部と胴体が繋がっている状態だ。再生していた触手を再び引きちぎり、煉獄の前にその巨躯を投げ捨てて猗窩座は嘆息した。
「喋ったら口を潰すと言っただろう」
「君…随分強くなったな」
自身の倍はある鬼を片手で投げ、部位を易々と破壊している姿に煉獄は口元を引き攣らせて笑った。
以前相対した『彼』ではなく間違いなく猗窩座であるし、あの禍々しい殺気は感じられない。変わったことといえば、鬼としての気配が強く、密度の濃いものになったということか。
「動くなよ玉壺二世。…さあ杏寿郎、頸を斬れ」
まな板の上の鯉となった鬼に同情の眼差しを向けていた煉獄だったが、礼儀とばかりにしっかり呼吸を使って頸を落とした。
崩れ落ちていく鬼の身体を尻目に、猗窩座は満足そうに煉獄に笑いかける。
「これで邪魔はいなくなったな。少し話をしよう」
その後、鎹鴉を通じて鬼の討伐完了の報告をした二人は、自然と川の方へと足を向けていた。
月が煌々と輝き、降り注ぐ青白い光に煉獄の美しい金色の髪が少し冷たい印象を放つ。
「杏寿郎、お前少し背が縮んだか?」
並んで歩いてみて、ふと気になったことを口にしてみる。煉獄は噴き出すように声を上げて笑った。
「はっはっは!それはないだろう!身長は伸びるものであって縮みはしない。歳を取れば、背骨が曲がることで小さく見えることもあるが、俺はまだそういった歳ではない!きっと気のせいだ!」
「ふうん…。お前はいくつなんだ?」
「二十歳だ!君こそ鬼なんだ、体型は変えられるんじゃないか?」
「…擬態は苦手なんだ。得意な奴もいるようだが、肩が凝る」
「ふむ、そういうものか」
他愛のない会話が、ひどく心地良い。
戻ってきた、と。そう思えた。
川の手前まで来ると、橋には行かずに煉獄が横に逸れた。川を臨む形で草の上に腰を下ろし、隣を手でぽんぽんと軽く叩いてこちらを見上げてくる。
「座ってくれ。君の話を、聞かせてほしい」
「…そうだな」
言われるがままに煉獄の隣に足を投げ出すように座って、猗窩座は揺蕩う水面を眺めて口をひらいた。
「もう半年くらい前になるか。無惨様に、支配から抜けている件で捕まって、しばらく監禁されていた。」
拷問だとか折檻だとか、そういったことは口にしたところで何も変わらない為割愛する。無駄に心配をかけるものではないだろう。
黙ってこちらを見つめ、耳を傾けてくれている煉獄に言葉を選びながらぽつぽつと話す。
「それから無惨様の血を入れられて、俺の意識がしばらく飛んだ。そばにいた奴に聞いたところ殺戮人形のようになっていたらしい。…そんな中、お前に再会した」
「…人形か。言い得て妙だな。あのときの君は、確かに殺意の塊でなんの意思も感じられなかった」
「だが、杏寿郎の声は聞こえた。お前に怒鳴られて、ずっと暗闇だった中に光が差したんだ」
あのふわりと浮き上がったような、掬い上げられた感覚は今でも覚えている。あれがなければ、俺は未だ人形のままだったかもしれない。
「今は…身体はどうなんだ」
控えめに訊ねられて、猗窩座は小さく笑った。
「絶好調だ。お前に喝を入れられたのを境に、身体が自分のものに戻っていった。今の俺は上弦の弐すらをも上回る。血戦でも申し込むか……いや、今回はあいつのおかげでもあるからな。ほとぼりが冷めたら弐を取り返してやる」
半ば独り言のように言って、ぐっと両腕を上に伸ばして背筋を伸ばす。そのまま後ろにぱたりと背をつけて倒れ込み、夜空を見上げた。
月が明るすぎて、星が見えない。夜といえば暗闇だが、今宵はなんだか青い夜だ。
頭の後ろで手を組んで、澄んだ夜空をじっと見つめていると、不意に隣から腹に拳骨を落とされた。
闘気を感知できるはずがまったく反応できず、思いきり鳩尾に深く決まったその一撃に身体を丸めて悶絶する。
「っ…う、ぉ……きょうじゅろ…、なに…」
幾分か消化器官が潰れたかもしれない。
完全に油断していたが、もしかして俺はこの容赦ない炎柱に殺されるのだろうか。
不覚にも涙を浮かべながら煉獄のほうに顔を向けるが、当の本人は川を見つめる形で座ったままだ。
寝転がっているこちらからは白い羽織を被った背中しか見えない。
「君は、もっと俺に謝るべきだ」
「え、あ…、」
表情は見えないが、その声にいつもの快活さはない。
そうだ。意識がなかったとはいえ、俺は杏寿郎を危うく殺してしまうところだったのだ。
猗窩座は跳ね起きるように身体を起こし、素直に正座をして煉獄の背に向かい頭を下げた。
「…そうだな。すまなかった。守ると誓ったお前を……俺は、また傷つけた」
「違う。そうではない。」