炎柱を知る(甘露寺編)
「うまい!変わった餡だな、まるで芋だ」
「うふふ、美味しいですよね。喜んでもらえてよかったわぁ」
怒涛の勢いで饅頭の山を小さくしていく中、甘露寺は猗窩座の視線が煉獄に釘付けとなっていることに気がついた。
漸く落ち着いたというのにまたもやキュンとしてしまう。
「…本当に煉獄さんのことが大好きなのね。ずっと見つめてるわ」
先程煉獄に叱られてしまったことを受けて声の調子を落とし、甘露寺は慈しむように猗窩座に笑いかける。
猗窩座は鼻を鳴らしてどこか自慢げに口角を上げた。
「当然だ。杏寿郎は強く美しいだけではない。俺に生きる意味を与えた男だ。好きだの嫌いだの、そんな陳腐な言葉では言い表せない」
「特別なのね。素敵だわ。貴方が人を襲わないというのも煉獄さんのためなのかしら」
煉獄を悲しませないように、もしくは説得されたから人を食べることをやめたのかと思い訊ねたが、猗窩座は逡巡してからかぶりを振る。
「それは違う」
「え?」
「無論、杏寿郎が悲しむことはしない。しかし人を食わないのは俺自身のためだ」
自分自身のためと言うならば、人間を取り込むことこそ鬼である自身のために直結しそうなものだが。
猗窩座が言わんとしていることがわからず煉獄に助けを求めて視線を投げるが、煉獄には伝わっているらしい。なんとも言えない優しい目で猗窩座を見ていた。
甘露寺は気づいた。
この二人の想いは猗窩座からの一方通行というわけではない。しっかり煉獄も彼を想っているのだと。
互いが互いを理解した上で受け入れている。
甘露寺がひとり興奮していると、煉獄がゆっくり口をひらいた。
「甘露寺。誰かを守るために強くなりたいと思って行う鍛錬は、誰のためだと思う?」
「えっと……えっと、守りたいと思ったのは自分で、強くなりたいのも自分だから……自分のため、かしら…?」
必死に考えを絞り出すと、煉獄はにこりと笑って頷いてくれた。
「そうだな。彼が言っているのもそういうことだ。表面上は誰かのためにしていることでも、核心を覗けばそこには己の信念がある。」
わかる気がした。
誰かの幸せを願うことも、結局はその人の幸せが自らの幸せになるからだ。
「誰かのためにやってあげていると傲慢に考えているだけでは、本質を見誤り成長には至らない。他人のために生きる者は、不幸や失敗も他人のせいにする。」
確かに、そこに当事者意識がなければ、あらゆる事象に無責任になるだろう。
「人は誰しも、自分のために生きている。醜く自分勝手に聞こえるかもしれないが、理想を掲げ、目標を達成する上で必然的に周囲を巻き込んでいくものだ」
「じゃあ、鬼なのに人を食べないっていうのは…」
「彼は強い。その強さは、大切な者を守るための強さだった。記憶を取り戻した今、これ以上力なき者を傷つけないように、猗窩座は人を襲うことを自らに禁じて獣肉を食している」
それは…あまりにも残酷に聞こえた。
猗窩座の人間の頃についてはわからないが、今の話から察するに守りたい人がいたのだ。そのために強さを求めたのに、鬼になって記憶をなくしてからはその強さをもって人々を蹂躙してきた。目的もなく、強くならなければという一心で。
何故彼が記憶を取り戻したのかは知らないが、己が犯した事実にうちのめされ、愕然としたはずだ。
想像するだけでつんと鼻先が熱を持って痛む。
眼球を熱い膜が覆っていくのがわかる。
唇を噛んでやり過ごそうとしていると、猗窩座が顔を顰めて大仰な溜め息をついた。
「泣くな、面倒だ。そんな大層なものではない。饅頭でも食っていろ。杏寿郎も喋りすぎだ。お前も黙って饅頭を食え」
「うむ、有り難くいただこう!」
猗窩座から饅頭を手に押し付けられ、甘露寺はのろのろとそれを口に運んだ。美味しかった。
同情は却って失礼なのだろう。煉獄が生きる意味を与えたと、彼は言った。二人の間に何があったのか推し量ることなど出来ないが、可哀想だと思わずにはいられない。
甘露寺がもそもそと口を動かしていると、「うまい!」と言ってから煉獄が思い出したように言った。
「そういえば胡蝶から聞いたのだが、人肉よりも豚や熊のほうが余程栄養価は高いそうだ」
「なにっ?」
「すべての鬼が君のように獣肉を克服できれば、人への被害は激減するのだろうな」
煉獄の言葉に猗窩座は思案顔で顎に指をかける。
「そうだな…。あいつにも勧めてやろう」
「あいつとは?」
「女しか食わないいけすかない奴がいる。あんなクズには野良犬でも食わせておけばいい」
「犬は微妙じゃないか」
「ならちょうど良いな」
どことなく勝ち誇った顔で笑う猗窩座と、「気の毒に…」と苦笑する煉獄の様子に、甘露寺はしょんぼりしていたことなど一瞬で空の彼方に飛んでいき、またもや胸キュンに襲われていた。
作品名:炎柱を知る(甘露寺編) 作家名:緋鴉