甲斐性と雨宿りしたら
体内に蓄積されていく熱は、徐々にその範囲を広げているように感じる。
あの鬼はなんと言っていたか。……そうだ、吐息だ。つまり酸素と共に身体に取り込まれている。
呼吸をする度に全身を巡るとなると厄介だ。少しでも心拍数を下げ、呼吸数を最低限にして血の巡りを遅くさせる必要がある。
…とはいえ既に走ったあとである。
血鬼術は血液とともに幾重にも体内を巡ってしまったはずだ。
「おい杏寿郎、お前外にいるのか?」
流石に怪訝に思ったらしい猗窩座が、開戸からひょいと顔を覗かせてきた。服を脱いで水気を絞ったのか、上着をばさばさと広げている。
が、思った位置より遥か下方にしゃがみ込んでいたこちらに驚いたようで、ぎょっとしたように手を止めたのがわかった。
数秒のあいだ絶句していたが、もの凄い勢いで腰を下ろして顔を寄せてくる。
「なっ、なん……どうした杏寿郎っ、体調が悪いのか!」
「…大事ない」
「一大事だろうが!怪我などしていなかったはずだぞっ。息が荒い……なんだ熱もあるじゃないか!とっとと中に入れ!」
鼓膜を叩く雨音にも負けない怒鳴り声で言うなり、猗窩座は煉獄の背と膝裏に問答無用で腕を差し入れると、有無を言わさず持ち上げて小屋の中に引き返した。
屋根がトタンなだけあって、屋外よりも屋内の方が喧しい。ばちばちと大粒の雨が弾ける音が絶え間なく響いていた。
鍬や脱穀機、箒や鎌などといった道具から肥料が詰まったようなはち切れんばかりの大きな袋が所狭しと置かれた空間は、想像以上に窮屈に感じられる。歩ける範囲は一畳半程度だ。
軽々と持ち上げられたことに複雑な心境になりつつも、躊躇いなく抱え上げてきた腕と胸の温もりに不覚にも安堵してしまう。
猗窩座の普段羽織っている上着などあってないようなものなのに、それがないだけで酷く色っぽく見えてしまうのはどういうことだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、触れられている箇所が熱を通り越して刺激を拾い始めていることに気がついた。
地面に降ろされ、藁を被せた大袋に背中を預ける。
相手の手が離れていったことにほっとしたのも束の間、藍色に染まった猗窩座の指先が襟首に伸ばされた。
咄嗟に手で押し留めるが、いつもの力は入らない。
「脱がせるぞ、杏寿郎。濡れ鼠でいるつもりか」
「自分で……脱ぐ」
「いいから休んでいろ。いたずらに体温を下げては駄目だ」
猗窩座は険しい面持ちでてきぱきと煉獄の服を脱がせていく。水分をたっぷり含んだ衣類を無理に引っ張るようなこともなく、関節をうまく抜いてあっという間に隊服を剥ぎ取ってしまった。
代わりに数束の藁で半裸となったこちらの上半身を覆い、適切な保温対策を施してくれる。
くるりと背を向けて猗窩座が煉獄の衣類を絞ると、出てきた多量の水が地面にしみを作った。
本気で心配してくれているのだろう。切羽詰まった様子に煉獄は口をひらく。
「…すまない」
息継ぎの合間にぽつりと謝罪の言葉を落とすと、猗窩座は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情で半眼を寄越した。
「謝るな。今つらいのは俺ではない、お前だろうが」
「……、」
「おい杏寿郎、炎の呼吸とやらでこれは乾かないのか?」
どんな握力で絞ってくれたのか、よれよれになった炎柱の羽織りのしわを伸ばすように広げながら訊ねてくる。
煉獄は小さく苦笑してかぶりを振った。
「呼吸とは…そういうものではない」
「そうなのか。まあいい、下も脱ぐぞ」
「し、下はいいっ…」
「いいわけがあるか。足下から冷えるんだ」
慌てて拒絶するが、さらりと受け流されてしまう。
しかし今はまずい。そう思っても、身体が思うように動かず彼を止める術がない。
煉獄は早々に覚悟を決めると、諦観してきつく隻眼を閉じた。
上着やシャツもひと通り広げてから鍬の柄に引っ掛け、猗窩座がこちらの足元に跪く。
自らの手が汚れることなど気にする様子もなく、泥に塗れた草履や脚半、足袋を脱がされたところで、唐突にぞくぞくと肌が粟立った。
いや、上着の脱衣の際に既に兆しはあった。下腹部がひくつくような感覚が。
しかし制止するまでもなく、猗窩座の手がベルトを外そうとしたところで、ぴたりと彼の動きが止まった。
「……杏寿郎、お前…」
「…だから、いいと言ったんだ…」
居心地悪く呟く。
猗窩座の視線の先では、煉獄の雄が隊服を押し上げて主張していた。
「斬った鬼の気配が残っているだけだと思っていたが……そういうことか。妙な血鬼術をくらったな?」
ちらりと視線だけをこちらに向けて訊ねてくる猗窩座に、煉獄は細く息を吐いて伏し目がちに言う。
「…不甲斐ない。精神を高揚させると言っていた」
「それだけではなさそうだが…?」
猗窩座の指先が、思わせぶりにつつ、と下腹部から雄に向かってなぞり下げられていく。
隊服越しに触れられただけで、びくりと腰が跳ねた。
「さ……催淫効果も、と…」
「ほう…杏寿郎は快楽に弱いからな。なるほど、病か何かかと気を揉んだぞ」
煉獄の身体の異常が血鬼術によるものだとわかるや否や、猗窩座の声音が、明らかに変化した。
先程までの焦りも消失し、今はどことなく愉快そうに口角を上げている。
作品名:甲斐性と雨宿りしたら 作家名:緋鴉