臆病者
鳥飼の鼻から抜けるような、とんでもなく甘ったるく色っぽい吐息混じりの声が一音漏れ、等々力はびしりと固まった。
続いて唇で遊んでいた右手に、するりと異様に熱い指が絡みついてきて。
鳥飼は未だ目を閉じており、覚醒したとは言い難い。
寝ぼけているのだろうか。
等々力は慌てて手を引っ込めようとするが、逃がさないとでも言うように、ぱくりと。口に。咥えられた。
「っ、羽李……ゆ、指だぞっ」
堪らず声を上げても、鳥飼は目を閉じたままこちらの人差し指を横から喰むように咥えなおして舌を這わせてくる。
薄い唇からちろちろと見え隠れする赤い舌がなんだか卑猥で、見てはいけないものを見ているような興奮を覚えた。
唾液を絡められ、舌で伸ばされる。時折り吸い付かれるとじんわりとそこが痺れ、下腹部に劣情が募っていく。
そして鳥飼の舌が次第に指の付け根に上がってきて、人差し指と中指の間のひだを舌先で舐られた瞬間、快感を拾って指先が震え、出そうになる嬌声を飲み込んだ。
咄嗟に手を引っ込めようとしたとき、うっすらと鳥飼の目がひらいて緩慢な動作でこちらを見上げてくる。
どんな反応をするかと内心冷や冷やしていたが、そんなこちらの杞憂などどこ吹く風で、鳥飼は中指の側面に軽く歯を立ててきた。
「いっ…」
まさか噛まれるとは思っておらず、大した痛みではなかったが大仰に肩を跳ねさせてしまう。
しかし鳥飼は悪びれもせず、噛んだ箇所を労るようにねっとりと舐め、中指と人差し指を二本まとめて口に含んだ。
「お…おい…」
更に深く咥え、指に舌を絡ませて頭ごと小さく前後させている姿は、なんだか口淫されているようで。
以前鳥飼に手淫を施され、その感触をまだありありと覚えている雄が、指を舐められているだけだというのに反応していた。
鳥飼の表情は相変わらずぼんやりとしている。
…信じられない。こんなにいやらしいことをしておいて、寝ぼけているというのだろうか。
「羽李…!」
ぺちゃぺちゃと猫のように舐めてくる相手を諌めるが、止まる様子はない。
正気ではないということは承知の上だが、伏し目がちな様子がなんだか行為に没頭しているように見えてしまう。正直とんでもない色気だ。
このまま耐えているべきかと逡巡したが、下半身の事情を考えるとそんな悠長なことも言っていられない。
ぞくぞくと肌を駆け回る悪寒にも似た快感の波を断ち切るように、悪いと思いながらもずっと出番を待ち続けて握り締めていた左の拳を、鳥飼の腹に叩き込んだ。
「ぐふぅっ」
さすがにこれには意識を呼び起こされたようで、こちらの手を解放してのたうち回るように身体を横に向けて丸くなっている。
はじめは頬を狙ったが、口の中にものがある状態で外部から打撃を受けては危険と判断して腹部にした。…が、布団の上からでもそれなりにダメージはあったらしい。
「起きたか!羽李!」
「……おう」
「店で酔い潰れたお前を運ばせてもらった!気分はどうだ!」
「……最悪。せっかくいい夢見てたのに、何すんだよ…」
「それはすまない!どんな夢だ!」
鳥飼はこちらに背を向けて丸くなった状態で、言い澱むような間を開けてから口をひらいた。
「…颯を舐めまわす夢」
「それは半分現実だな!」
「え…!?まじっ?」
がばりと身を起こしてこちらを振り向く鳥飼の表情があまりにもキラキラしていて、可愛いななどと思ってしまった等々力だったが、ふるふると頭を振って甘い考えを払いのけ、相手の目の前に唾液まみれの右手を突き出してやった。
「お前に舐めまわされた」
「そりゃあ…、悪かった」
「いや、最初に悪さをしたのは俺だ。自業自得ともいえる」
「悪さしてたのか」
「羽李の寝顔があまりに可愛くてな」
「……」
素直に己の悪事を吐露すると、きょとんとしてから鳥飼は照れ隠しをするように不機嫌そうに眉を潜める。…とはいっても顔が赤いのでやはり可愛さが勝っている。
人の指を舐めていたときはあんなに凄まじい色気を醸し出していたくせに、とんだギャップだ。
新たな発見に等々力が顔を弛緩させていると、突然胸倉を掴まれて力任せにベッドに倒された。
「…お前には可愛いなんて言われたくねえ」
先程の甘えた声と同じ喉から出てくるとは思えない低い声音。
気を悪くさせてしまったかと謝ろうとしたが、ひと言も発する間もなく口付けによって阻まれた。
「ぅん…、」
機嫌を損ねてキスをしてくるというのがまた子供っぽい。
一度顔を出していた母性が再び擽られ、暖かな気持ちで甘受していると不意にシャツの中に手が侵入してきた。
「!?」
その手の固い感触と熱さに、驚いて目を見開く。
熱い手のひらはこちらの脇腹をまさぐり、シャツをたくし上げながら上へと登ってくる。柔らかくもない胸に辿り着くと、親指で突起をふにふにと押してきた。
「っ……こ、こら!どこを触っている…!」
「気に入らねえ…」
「何がっ…」
顔を背けてなんとか抗議の声を上げると、ぼそりと鳥飼の声が聞こえて訊き返す。
悔しそうに目を伏せて、額をこちらの頬にぐりぐりと押し付けながら、小さな声で鳥飼が独り言のように答えた。
「俺の気も知らずに可愛いとか言うお前も、そんなお前が余裕そうなのも、俺ばっかり欲しがってんのも…、」
言いつつ、面白くもないだろうに胸の突起を親指で捏ねくりまわしてくる。
顔や首に触れてくる相手の黒髪がむず痒くて上半身を捩ると、僅かに上体を起こした鳥飼が上目遣いに睨んできた。
「お前も俺を欲しがれよ。泣くほど善がれよ」
「…泣きたくはないな」
「…決めた。」
目を覚ましはしたものの、アルコールが入っていることに変わりはない。
酔っているためか目が据わっている相手をどのようにして落ち着かせようかと等々力は思考を巡らせるが、次の瞬間には言葉を失うこととなった。
「お前を抱く」
+++
……なんで、こうなった。
等々力は、Tシャツはそのままにスラックスとトランクスを片膝に引っ掛けた状態で、ベッドに肘と膝を突いて四つん這いになっていた。
そして鳥飼はというと。
シャツを脱ぎ捨ててこちらの足元に座り、片手を腰に添え、もう片方の手を尻に埋めていた。
男同士の性行為について、知識があるかと問われれば等々力にはない。
しかしそれでもどこに何を挿れるかという想像はできる。
…想像はできるが、それが自分にも適用されるかというと話は別だ。
そもそも鳥飼と想いを交わした際、心の準備ができるまで待ってほしいと伝えたはず。
……。
待てよ。
そういえば、待ってほしいと言ったことに対して返事はあったか?
……。
いや、返事がなくてもそこは普通肯定したことになる流れだろう。
「く…っ」
胎内の強い異物感に、等々力の思考はそこで中断された。
なんといっても尻だ。
ものを出すところであって、受け入れるように出来てはいない。
本来の機能を無視して強引に押し入れば、痛みや不快感は必然といえる。
「……良く、ねえか…」



