もうひとつの、ぼくは明日……
告白
十八日目
朝九時、友紀が旅行から帰ってくるのは夜だ。
愛美はなんの話かわからないので、とても不安で逃げ出したかった。
いい話の訳がない。
実は未来からきたとか言われるの? そんなことあり得ない。
なんにしろ、別れ話はいやや。
高寿は友紀のマンションに来た。
愛美は三人掛のソファーに座る。高寿は隣には座らず、ローテーブルの横の一人掛のソファーに座った。
高寿は真剣な表情で、緊張した面持ちだ。
「愛美、これからかなり現実離れしたこと言うね。この世界の隣に、もうひとつ世界があるんだ。僕はその世界から来たんだ。そして二つの世界は時間の流れが逆なんだ」
高寿の眼は何かを訴えるように見開いている。
「なにそれ! 、何言うてるか意味わからへん」
愛美は少し怒っているようにも見えた。
「そうだよね、すぐには理解できないと思う。だけど、最後まで話を聞いてほしいんだ」
高寿は真剣な眼差しを愛美に向けた。
「……うん」
愛美はかろうじてうなずいた。
頭の中が真っ白になりそうだ。
想像しがたい内容に、心臓がドキドキした。
「僕は……君に会うために、この世界に来た」
高寿の声は静かだが、有無を言わせぬ響きがあった。
「君に会うのは三回目。そして、君が僕に会うのも三回目なんだ」
「えー、それは普通とちゃう」
そう言ったが、愛美は何を言われるのか身構えたままだ
「十五年前に君に助けられて、君のことが好きになった」
「十五年前って高寿が五歳のときやね? おませさんやったんや。てか、私も五歳やね。助けたってなんやろ」
「前に話したことあるけど、お祭りの爆発事故のとき、迷子の僕に声をかけてくれたのは君なんだ」
「そんなん知らんけど」
愛美にそんな記憶はない。
「声をかけてくれたのは……三十五歳の君なんだ」
「三十五歳って?」
その言葉が愛美の頭の中をぐるぐる回る。
三十五歳の私って何? 想像もつかない。
高寿は、一体何を言っているのだろう。
「二回目にあったのは僕が十五歳、君が二十五歳のとき」
「年齢違うって、意味わからへん」
愛美が独り言のように呟いた。
高寿はそのまま続けた。
「そして三回目にこっちの世界に来たのは二十歳同士で恋人になるためなんだ」
「言ってることは……聞こえてはくるけど、全然、頭に入ってこない……。なんか、こわい……」
愛美は混乱し、自分の感情を整理できないでいた。
三十五歳の私? 二十五歳の私? そんなことを言われても、現実感がまるでない。
「ルーズリーフ見たよね? 日付の順、変だったよね」
「そうね、なんか日付が遡(さかのぼ)っていて、僕の何日目、彼女の何日目とか書いていた」
「僕の世界はここと時間の進みかたが逆で、君にとっての未来は、僕にとっては過去なんだ。君にとっての過去は、僕にとって未来なんだ。愛美が五歳のとき、宝ヶ池で靴紐を結んでもらったことあったでしょ。それは三十五歳の僕がすることなんだよ。君が十五歳のとき、僕が公園で絵を描いていたら君が見に来て、少し話をした。そのときの僕は二十五歳」
「そんなことあったわ。なんか長いことしゃべった気がする」
愛美は思い出した。
「なんかいっぱいしゃべるんだよね。僕はまだ経験してないからわからないけど」
「あっ、そうや」
愛美はスマホに指を走らせた。
「あ、写真あった」
愛美は写真を見て止まった。
スマホには二十五歳の高寿と十五歳の愛美のツーショットの写真があった。
二〇一五年三月 愛美十五歳
中学生の愛美はマラソン大会の応援に山田池公園に来ていた。
大きな池を取り囲むように公園がある。
ランニングに適した周回コースも複数ある。
今は常緑樹の濃い緑に覆われている。
ちょっと時間が早かったので公園をぶらついた。
山田池の畔(ほとり)で、東屋の絵を描いている人がいた。
少しそばに行ってみた。
二十代半ばの青年だった。
その青年は向こうの世界から来た二十五歳の高寿だった。
高寿は愛美の気配で振り返った。
足元に気が付いて、教えてくれた。
「靴紐ほどけてるよ」
「えっ、ありがとうございます」
愛美は礼を言って、靴紐を結びなおした。そして、はっとした。思い出したんだ。
「あのー、靴紐おじさんですか」
「えっ、なにそれ?」
高寿は聞き返した。
「私、五歳のときに宝ヶ池で靴紐結んでくれたおじさんに、礼も言わずに逃げたことがあって、ちゃんとお礼言わなきゃって思ってたんです。そのときのおじさんに雰囲気が似てるんです。違いますか」
「おじさんねぇ」
高寿は少し苦笑いをした。
「すいません。違いますよね」
「いや、それ……たぶん僕だよ。宝ヶ池のボート乗り場の、桟橋の前じゃなかった?」
高寿の言葉に、愛美は息をのんだ。
「はい、そうです! え、ほんまに!? めっちゃ偶然やないですか!」
そうだ、あの時の青年だ。
優しい声も、少し困ったような笑顔も、今目の前にいる人と重なる。
忘れていた記憶のピースが、カチリとはまる音がしたような気がした。
「あのときはありがとうございました。それにおじさんだなんてすいません」
愛美はぴょこりとお辞儀をした。
「いいよ。子供から見たらおじさんだし」
「すいませんでした。お礼が言えてスッキリしました。こんな偶然あるんですね。すいません、しゃべりすぎですよね」
「大丈夫。僕もびっくりした」
高寿は目を細めた。
「もともと、絵を描いてるなと思って見に来ただけで声かけるつもりじゃなかったんです」
「いやいや、声かけたのは僕だから」
「あそうや、そうですね」
愛美は左の手のひらに、右の拳をトンと当てた。
「ここ、いい感じだよね。あの東屋とか良くて、ちょっと書いてみようかと思って」
「へぇー、絵完成したら見せてください」
愛美はスケッチを覗き込んだ。
「いあー、一旦持ち帰るし、しばらくここには来ないかな」
「そうですか、残念です。写真撮ってもいいですか」
「いいけど」
「じゃお願いします」
愛美は高寿の横に立ってツーショットの自撮りをした。
「絵のほうかと思った」
「また、会えたとき、絵を見せてください。その時のために顔を覚えてないと」
「そう言うことか。僕もいい?」
「えーー、……まあ、いいですよ。スマホ貸してください」
高寿はスマホを出してカメラを起動した。
「えっ、画面でかっ、こんな大きっな画面あるんですね?」
「まあまあ大きいかな」
高寿は笑顔で十五歳の愛美とカメラに納まった。
「あ、写真あった」
愛美は写真を見て止まった。
スマホには二十五歳の高寿と十五歳の愛美のツーショットの写真があった。
確かにそこには、少し大人びた高寿と、まだ幼さの残る制服姿の自分が写ったツーショット写真があった。
日付は五年前。指が震える。
「うそ……。この写真、確かに撮った。あの時の人が、高寿やったなんて……。信じられへん」
現実感が希薄で、まるで夢を見ているようだ。
でも、スマホの中の笑顔は紛れもない真実を突きつけてくる。
これまで感じていた「初めて会った気がしない」という不思議な感覚の正体が、今、はっきりと形になった。
恐ろしさと共に、なぜか納得する気持ちも湧き上がってくるのを愛美は感じた。
高寿が説明を再開した。
作品名:もうひとつの、ぼくは明日…… 作家名:高山 南寿



