もうひとつの、ぼくは明日……
「え、福寿さんはこちらにおいでなんですか」と南山は尋ねた。
「ちゃうの、愛美にはもう会わんといて、帰ってください。南山さん」
友紀の瞳には、従妹を想う故の怒りが宿っているようだった
「南山さん? あの……どうして僕の名前を……?」
南山の声は消え入るようで独り言になった。
「とにかく帰ってください」
友紀の剣幕に南山は帰っていった。
ベンチ
「大野さん、すいません、休憩時間終わりました」
愛美が休憩時間を終えて、カウンターの大野に声をかけた。
大野は少し躊躇したようだが、口を開いた。
「さっき、変な人が愛美ちゃんを訪ねてきたで。変な人って顔はイケメンやけど、朗読大会の優勝者の福寿愛美さんと、連絡が取りたいって言ってきたん」
「朗読大会って、今更なに、中学生のときの話」
「愛美ちゃんがここに勤めているのは、知らへんみたいやったよ。友紀先輩が南山さんって、呼んでた」
「南山さん……、何歳ぐらいに見えた? 中学生とかとちゃうよね」
「いや、中学生って。私、前に愛美ちゃんと付き合ってた人ちゃうかと思ってんけど。同い年くらいやな」
「そうなんや、大野さん交代せんとあかんねけど、ちょっとだけ交代待って、それってついさっき?」
「ちょっと前、友紀先輩が連れていったけど」
「大野さん、ありがとう」
愛美は踵を返して貸出確認ゲートから出ていった。
「あっ、愛美」
友紀が廊下で声をかけた。
「ごめん」
そう言うと愛美は出口へ走り出していた。
正面出口を出て横断歩道を渡った先にバス停がある、横断歩道まで来てバスが発車するのが見えた。
「最悪」
中学生じゃなくて高寿が同い年だったら、文句を言ってグーでパンチしてやろうと思っていたが、走り去るバスを見て、本当は逢いたかったんだと思い知った。胸に穴が空いたような気がした。職場に戻る必要があったが、図書館の横にある公園のいつものベンチに足が向いていた。
いつも座るベンチには先客がいた。若い男がうつむいて座っていた。
見覚えのある容貌、膝が震えてきたがゆっくり歩いて前に立った。
「高寿……」と声をかけた。声も震えていた。
南山は顔をゆっくり上げて、目を見開いた。
「愛美……?」
「高寿、逢いたかった」
愛美には五年の歳月がまるで嘘のように感じられた。愛おしい――愛美はその感情にのみ支配されていた。堰を切った感情が愛美を突き動かした。
愛美は南山に飛び込んでいった。
南山は一瞬、抵抗しようとしたが、愛美を抱きしめたかっこうになった。愛美は顔を上げてキスをした。
「逢いたかった、ホンマに逢いたかった」
愛美は再び南山を抱きしめた。
南山は最初手を浮かせていたが、その細い背中に腕を回し抱きしめ、目を細めた。
刹那、南山は我に返ったように抱きしめていた腕をゆるめて、愛美の肩を持って少し離した。
「あ、あの……福寿、愛美さん、ですよね?ちゃんと話せなくてごめんなさい。初めましてになると思います。僕は南山……高寿と言います」
「えっ……、初めまして?」
愛美は驚きを隠せない。
「僕も混乱してるんですが、取り敢えずここに座ってください」
「はい」
愛美は南山の顔が見えるように、ベンチに斜めに腰かけた。南山をじっと見つめる瞳には、涙が溢れていた。
南山は少し距離を取り、混乱しながらも、つとめて落ち着いた声で話し始めた。
「信じてもらえないかもしれませんが……僕はこの世界の南山高寿と言います。この世界って言うと変ですが、今いる世界です。僕は五年ほど前、そう二十歳のときに、別の世界から来た『福寿愛美』という女性と恋に落ちました」
高寿は愛美の反応を見た。
「別の世界」
思わず愛美は繰り返していた。
「そう。時間の流れが逆の世界から来た女性と付き合ったんです」
「時間の流れが逆……そんな」
愛美はまた繰り返した。
南山はゆっくり説明を続けた。お互い五歳のときに命を助け合って、二十歳のときに三十日間だけ恋人になったこと、その五年後に会って、運命のことを相手に教えること。
「えっ……私にそれを信じてというの?」
愛美は訴えた。
南山はスマホに映る動画を見せた。
鴨川デルタで、顔の横にピースサインを掲げる福寿愛美の姿があった。
動画の福寿愛美はしばらく静止してから
『だめだよ、動画撮ってるなら動画って言ってくれなきゃ』と言っていた。
大阪弁なまりじゃなかった。
愛美は愕然とした。
「僕はもう少しで十五歳の恋人に会うんだよ、君は十五歳の恋人にあったりするのかい?」
南山が畳みかけてくる。
「うん……そうやねん。会う約束やねん」
「そうなんだ、僕の絵を君が見にきたって聞いて、信じられなかった。この世界にも愛美がいるのかも知れない、もし勘違いして十五歳の恋人に会いにいかなくなると、大変だから、君を探そうと思った。福寿愛美で検索したら、図書館の朗読大会で優勝した記事があった。だからここに探しに来たんだ」
愛美は自分の恋人の高寿と、目の前にいる南山は違うことがなんとか理解できた。
さっきキスしたことを思い出してハッとした。
唇を三本の指で押さえて言った。
「わ、私、キス、しちゃった……。ご、ごめんなさいっ」
愛美の目から、大粒の涙がぽろぽろと溢れてこぼれた。
「私、どうしたらいいのか、もう、わからない……」
愛美は消え入りそうな声で呟いた。
「話が急すぎるよね、僕も気持ち的には受け入れられない。もう少し話ができるかな」
南山の愛美を見る目も潤んでいた。
「仕事が終わったら話できない?」
南山はやさしく愛美を見ていた。
「今日はもう……仕事できひん。早退する。ここで待ってて、休暇届け出してくるから」
そう言って立ち去って行く愛美の後姿は、細くて痛々しかった。
小箱
愛美と南山は、バスに乗って枚方市駅前にきた。ブロックが積み重なったような特徴的な外観のビルの喫茶店に入った。駅前のビルの中でも異彩を放っている。
愛美は隅の方の席がいいと思った。南山は察していたのか、隅の席に行った。
「あの絵は、愛美が僕の引っ越しを手伝ってくれたとき、髪を束ねたのを描いたんだ。うなじを見る目がいやらしいって言われた」
愛美の口元が少しゆるんだ。
「君と愛美は双子のようにそっくりだ、話し方は違う」
南山は少し考えたように言った。
「あなたと高寿も双子のようにそっくり。まだなんや騙されてる気がする」
「僕もだよ……」
「騙してへんけど」
愛美は少しおどけたよう言った。
「わかった。僕ね、修行も兼ねて、パリで仕事をしてるんだ。愛美と別れて現実逃避したようなもんだけど。まあまあ活動できてる。五年後の約束があったから、少し早く帰国したんだ。親友の上山って奴から『元カノ! 絵を見にきてたぞ!』って言われてびっくりしたんだ。それで念のため上山に、聞いたんだ」
南山が続けた。
「何歳に見えたって聞いたら、『お前ら同い年だろ』って言われた」
「私もさっき訪ねてきた人は中学生かって聞いたわ」
愛美は少しだけ笑顔になった。
「あっ、さっき図書館で、女の人にめっちゃ怒られたんだけど」
「ああ、友紀ちゃんね。私の従姉で図書館の先輩で同居人なの」
「そうなんだ」
作品名:もうひとつの、ぼくは明日…… 作家名:高山 南寿



