もうひとつの、ぼくは明日……
大野はロングヘアをハーフアップにした髪型が清楚な感じの若手の図書館員だ。
土日のイベントをいくつも仕切るしっかり者でかなり美人だ。
「交代ですね、じゃあ、大野さんお先に失礼します」
愛美はカウンターの席を大野に譲った。A勤は九時から三時半までのシフトだ。
「バイトはええな、はよ帰れて」
バックヤードから出てきた友紀が、からかうように声をかけてきた。
友紀は愛美の従姉であり、この図書館の正規職員、そして愛美が居候させてもらっている部屋の主でもある。
「正職員は遅いよね、飲み会で」
笑顔で愛美がかえす。
「それ友紀先輩だけ」
大野がつっこんでくる。
「すいませーん」
友紀が頭を押さえながら笑ってごまかしてる。
「じゃ、お先。あっ、友紀ちゃん、晩御飯、何がいい?」
「ごめん、飲み会あったん忘れてた。晩御飯いらんわ。あー、それと明日の狂言、行けへんかも。シフトの交代せなあかんかもしれへんね」
「えっ、そうなん?」
「これから調整するから、また帰ってから言うわ。あと、昨日擦ったミラー、弁償してや」
友紀はニヤニヤしてる。
「もー、なんで今さら言うん? 昨日も一昨日も一緒にいたのに。だいたい、あのミラー、元々傷だらけやったやんか。修理なんてせんでええって。そうや、友紀ちゃんの新しい車、いつ来るん?」
「ミラーの話したら、イケメン思い出した?」
友紀は更にニヤニヤしている。
「えっ、イケメンてなんの話」
大野が顔を突っ込んでくる。
「もー変なこと言わんといて」
愛美はそう言い捨てると、そそくさと更衣室へと歩き出した。
更衣室で一人になり、ふう、とため息をつく。
そうや、昨日、あの人にせっかく注意してもらったのに、結局あの後すぐにミラーを擦ってしまったんや。
……あの人。爽やかで、でもどこか寂しそうな瞳をしていた人。
大学生くらいやろか。
ああ、あかん。ふとした瞬間に思い出してしまう。
もう二度と会うことあらへんやろうに、心の隅から彼の面影が消えへん。
愛美は着替え終わると図書館のすぐそばにあるバス停から枚方市駅行きのバスに乗った。四時過ぎなのでバスの席は空いてる。
愛美は晩御飯一人やから、服でも見てから食材の買い物しようと思った。
駅前は買い物客が多い。
人の流れをぬって、駅の北側のコンビニ横の小路をショッピングモールに向かって愛美は歩き出した。
駅前なのに古い町並みが一部残っていて、車が通れないほど細い路を買い物客が行き交ってる。
そしてその道の途中、不動産屋の前に京街道の道標がある。
その道標を撮影している人がいた。
会いたいイケメンはそこにいた。
ショルダーバッグをかけた青年が一眼レフのカメラを構えていた。
愛美は思わず立ち止まった。後ろからドンとぶつかられた、少しつんのめった。
「あっ、すみません」
慌てて振り返って愛美は謝った。
不機嫌そうな中年の女が何かぶつぶつ言って通り過ぎていった。
そんな愛美の耳に、不意に明るい声が届いた。
「やあ、こんにちは」
青年が愛美を見つけて明るく声をかけてきた。
愛美が声の方に振り返ると、まさに今日、頭の中でぐるぐる考えていたその人が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「こ、こんにちは……」
愛美の声は少し上ずっていた。
昨日助けてくれた人だ。本当に、目の前にいる。夢じゃない。
「何してるんですか?」
愛美は標準語で、高めの声で話した。
「ここの道標を見に来ていたんです」
「ああ、ここに道標ありましたね。普段はあまり意識しないけど」
そして愛美は思い出したように続けた。
「あっ、昨日はありがとうございました。助かりました」
「いいえ、どういたしまして。あれから大丈夫でした?」
青年の柔らかい笑顔が眩しい。
「道標はちゃんと見れました。ミラーは擦っちゃったけど」
「それは良かったと残念とでしたね」
青年はちょっと返答に困ったようだった。
「はい」
――話終わっちゃう。なんかあらへんかな?
そうや、そばに歴史街道あるから、その話してみようか。
その時、青年が聞いてきた。
「あの、歴史街道って、知ってますか?」
えっ、偶然?
「知ってます。案内、案内しましょうか?」
愛美は思ってたことを言われてちょっとドキドキした。
「いいんですか?」
青年の白い歯が眩しい。
「ええ……、全然、全然大丈夫です。昨日のお礼に一緒に廻ります」
「じゃ、お願いしちゃおうかな」
青年はとても笑顔になった。
愛美は歩き出しながら思った。
こんなことってある?
偶然に会ったりする?
一緒に歩いてるし、なんやろこの感じ。
ほんまにドキドキする。落ち着かんと。
大きな商業ビルの横を過ぎて、少し歩くと石畳と黄土色の舗装の道になった。
二人は所々に古い町家が立つ宿場町の跡をいっしょに歩いた。新しい家でも町家風にしている家もある。普通のマンションもある。
「ここ時代が混在してますよね」
愛美が青年を見ながら歩いている。
「そうですね、不思議な通りですね」
青年が歩きながら愛美を見る。そして、少しまじめな顔で口を開いた
「あの、自己紹介まだでしたね。僕は南山高寿、二十歳です、美大生です」
「へえ、そうなん。私は福寿(ふくじゅ)愛(え)美(み)、二十歳です。文学部の学生です」
もう大阪弁でちゃった。
「同い年なんだね、タメ口でいい?」
高寿が笑顔で尋ねた。
「はい、敬語って距離があるからタメ口がいい。あと、私、大阪弁やねん」
愛美も笑顔になって顔を見合わせた。
――なんかとってもワクワクする。
散策をしながら、他愛もない話をした。
高寿は街並みや愛美をカメラで撮影した。
二人一緒に自撮りした。
一緒に歩きながら、そっと彼の横顔を盗み見る。
話しかけると、ふわりと優しい笑顔を向けてくれる。
ただそれだけで胸の鼓動が早まる。
彼の横顔も、私に向けられる笑顔も、全部好き。
……ううん、違う。彼自身が、好きなんや。
昨日、あの瞬間に、私はきっと一目惚れしたんや。
もう一度会いたいと、あれほど願った。
まさか今日、こんなふうに会えるなんて。
これって、ほんまに運命かもしれへん。
運命やったら、ええな。
帰りに歴史街道の入口辺りの喫茶店に入った。
白い壁にオーク色の木製のサッシが歴史街道の入り口に相応しい喫茶店だ。
通りがよく見える窓際の席に座った。
「ここは昨日のお礼に私が出すね」
愛美は、少し恥ずかしいから斜め前に腰掛けた。
「え、そんな気を使わなくてもいいよ。案内してもらったし」
高寿は笑顔を返す。
「私バイトもしてるし、大丈夫」
「ふーん、何のバイトしてるの?」
「図書館でバイトしてる。南山くんはアルバイトしてるん?」
「いや、今はしてない。ちょっと時間あるから写真をうろうろ撮り廻ってる」
高寿はそう言って、カメラを触った。
「写真撮るのが好きなん?」
「もともとは絵を描くほうなんだけれど、ちょっと今はカメラにハマってる。古い物を撮ってる」
「そうなん。最近はスマホでしか写真撮ってへんわ」
「少し見てみる?」
高寿はカメラのディスプレイを愛美の方に向けて見せた。
「へえー、写真にすると感じが変わんねんね!」
愛美は切り取られた街並みに見とれた。
「構図の勉強になるんだ」
作品名:もうひとつの、ぼくは明日…… 作家名:高山 南寿



