もうひとつの、ぼくは明日……
「それで、司書資格取れる大学に入って、アルバイトもしてる」
愛美は高寿と話をしていることにウキウキしていた。
「図書館一度行ってみたいな」
「いっぺん来てみて!」
その後、植物園に行った。木々がライトアップされていた。
しばらく言葉を忘れ、二人はただ目の前に広がる光のページェントに見入った。木々の枝という枝に無数のLEDが星屑のように瞬き、夜の闇に幻想的なシルエットを浮かび上がらせている。まるで夢の中のような、非日常的な空間だった。
「南山くんってなんか前から知ってたみたいな親しみがあって、とっても落ち着く」
ふと、愛美がそう呟いた。
高寿はゆっくりと愛美に向き直り、その瞳をまっすぐに見つめて言った。
「僕もだよ。福寿さんのこと、ずっと前から知っていたような気がするんだ」
高寿の強い視線を感じて、愛美の心臓が大きく鼓動した。
次の言葉が出てくるのを、思わず息を止めて待った。
高寿が真顔で愛美のほうに向き直って、目をしっかりと見つめてくる。
「福寿さん、僕は福寿さんが好きです。僕と、付き合ってください」
ストレートな告白。
愛美の頬が一気に熱くなるのがわかった。
喜びと、少しの戸惑いと、いや、やっぱり大きな喜びが胸を満たす。
「はい……っ。よ、よろしくお願いします!」
気づけば、食い気味に、そして震える声で返事をしていた。
「こちらこそよろしくお願いします。あー良かった、ちょっとドキドキしたけど、返事早くて良かった」
「あかんかった?」
「あかんくない」
「えー、何弁?」
愛美は笑った。
そして両手で自分の頬を押さえた。
ちょっと頬が熱かった。
もっと一緒にいたかったけど、少し遅い時間になっていた。
「もうぼちぼち帰る?」
「そうだね、帰ろうか。でも明日も会いたい」
「うん、私も会いたい。明日も休みやし」
「だったら明日は絵を見に行こう」
「うん」
四日目
京都の美術館に行った。
川沿いの桜並木の横にあるおしゃれな建物だ。
まだ少し桜の開花には早い。
エントランスには大きな窓あり、川沿いからの光が差している。
白を基調とした室内は落ち着いた雰囲気だ。
何度か来たはずなのに、愛美は高寿と一緒に来て新しい場所に来たように思えた。
隣り合って絵画を追ううち、不意に互いの手の甲が触れ合った。びくり、と愛美の肩が小さく震える。高寿を見ると、彼は悪戯っぽく微笑み返し、ためらうことなく愛美の手をそっと握ってきた。指が絡み合う感触に、愛美はハートがふわふわと浮き上がるような心地がした。つながれた手を見つめ、それから高寿の顔を見上げると、自然と笑みがこぼれた。
二人は美術館の帰り宝ヶ池を散策した。
池のほとりの東屋で少し休憩をした。
愛美が五歳のときに起こったことを話し出した。
「私、五歳のとき、ここでちょっと怖いことがあったん。本当はたいしたことじゃないんだけど」
二〇〇五年三月 愛美五歳
宝ヶ池の畔(ほとり)の道を五歳の愛美が歩いている。
セミロングでベージュのコートを着ている。
暖かくなるのはまだ先のようだ。
愛美は、ボート乗り場の桟橋のほうへ向かっている。
靴紐が片方だけほどけている。歩くたびに大きく跳ねている。
ふと、ベンチに座っていた見知らぬ男性が優しい声で呼び止めた。
「お嬢ちゃん、靴紐、ほどけてるよ。危ないから、ちょっと待って」
愛美は少し驚いて立ち止まったが、自分の足元を見て、ほどけている靴紐に気づいた。
男はさっと立膝をつくと靴紐を直しながら、笑顔で話した。
「桟橋に一人でいったら危ないよ」
男が愛美の靴紐を結び終えようとした、まさにその時だった。一人の女性が二人の横を風のように駆け抜け、ためらうことなく池へと身を躍らせた。水面が激しく揺れた。
「子供が溺れてるぞ!」
誰かの緊迫した叫び声が響く。
目の前の光景と大人たちの怒声に、幼い愛美は全身を揺さぶられたような恐怖に襲われ、考えるより先にその場から駆け出していた。
「そう、そんなことがあったんだ。溺れた子供はどうなった?」
高寿が東屋の欄干にもたれながら尋ねた。
「わからへん。自分も靴紐踏んで池にはまったかもしれんと思って、怖くなって逃げたから」
「そうか、子供助かってたらいいね」
「今更わからへんけど助かったと思いたい」
愛美も高寿の隣で欄干にもたれた。
「僕も五歳の頃、本当に危ない目に遭ったんだ」
「えっ! そうなん」
愛美はそんな偶然あるんだと思った。
「もう少しで爆発事故に巻き込まれるとこだったんだ。お祭りで迷子になってね、わけもわからず歩いていたら、ふと優しい声の女の人に『坊や、迷子なの?』って呼び止められて……。その人がいなかったら、僕は爆発現場の方に行ってたと思う」
「それほんまに危ない話やん。大きな事故やったん?」
「後で知ったんだけど、出店の人と中学生の女の子と大人の女の人の三人が死んだって」
「大変な事故やったんやね」
七日目
図書館の裏の公園で待ち合わせをした。
避難場所にもなっている広い公園には噴水もあるし、コンクリートで小高くした場所に滑り台を作ったエリアもある。ただ、今日は少し寒いので散歩をする人がちらほらいるだけだった。
愛美はA勤だったので三時半過ぎに仕事が終わった。速攻で着替えて、いそいそと公園にやって来た。
「待った?」
「いや、大丈夫。さっきまで図書館の中を見てた」
高寿は待合せより早い時間に来て、六階建ての大きな図書館の中を見てから、公園のベンチに座っていた。
「どうやった?」
愛美はベンチに腰掛けた。
「やっぱり図書館来ると色々手に取りたくなるね」
「そうやろ、ちょっとワクワクせえへん?」
「色んなジャンルの本があって、見てて楽しかった。漫画もいっぱい置いてあってびっくりしたよ」
高寿は目を輝かせてしゃべってる。
「そうやねん、漫画も結構人気で。実はね、漫画って聴覚に障がいのある方が擬音語とかを理解するのに、すごく役立つって言われてるねん。最初はそういう方向けの取り組みやったんやけど、今は誰でも借りられるようにしてる。ただ、ほとんど寄贈で賄ってるから、最新作がズラリってわけにはいかへんのやけど」
「そうなんだ。でもあれだけあれば、なかなか選ぶのが大変だね」
「そうやで。あっ、バス来るからぼちぼち行こ」
「そうだね、今日は海遊館行くんだね」
「そう、夜の海遊館行ってみたかってん」
愛美はさっと立って高寿を見た。
二人は公園を抜けてバス停へゆっくり歩いた。バス停に図書館員の大野が立っていた。
「あっ、愛美ちゃん」
大野は愛美に声をかけたが、二人連れと察して、高寿に軽く会釈をした。
高寿も軽く会釈をした。バスが来るまで三人横並びに立っていた。まもなくバスが来て愛美と高寿の二人はバスの最後尾の座席にいった。大野は前の一人掛けの席に着いた。二人はなんとなく小声で話した。
「前に座ってんの大野さんて言う職員さん。明日、何か聞かれるかも」
愛美が高寿を覗き込む。
「別に付き合ってるでいいよ」
「うん。脱輪のときのイケメンって言っとこ」
「なにそれ」
高寿の口は少し開いて、首が傾いでる。
「それでわかるねん」
愛美はとっても笑顔になっていた
作品名:もうひとつの、ぼくは明日…… 作家名:高山 南寿



