天空天河 十
十八 出立
靖王は己の配下の列戦英を、靖王府の留守に置き、皇宮に向けて王府を出た。
薬を使って長蘇を眠らせても、どうにも靖王の不安は消えない。
心置き無く任務に当たる為、考えに考えての対応だった。
誉王の救出の任務が、靖王に決まった時から、靖王は戦英を王府に残そうと、決めていた。
戦英は靖王と共に任務に加われない事に、がっかりとしていたが、直ぐに理由を察して、承諾した。
戦英は、留守番と言えば留守番だが、要は長蘇の見張りだった。
眠っている長蘇を見守るだけでは無く、何か不測の事態があった時に、卒無く対応出来るのは、戦英しかいない。
靖王が、靖王府に残していくのは、戦英への信頼の証だった。
戦英は辺境の任務で、靖王と常に共に行動をしており、自分が金陵に残るなど、滅多に無い事だった。
今までは辺境へ発つ前の戦英は、ずっと忙しなく靖王と自分の荷造りをし、辺境へ向かう役目を負っていた。
この度は精鋭十人程が任務に赴く。
選ばれた配下達は荷造りは既に終えて、靖王が聖旨を受ければ、何時でも出立できる。
靖王の荷造りなど、とうに終わってしまった。
手持ち無沙汰なせいか、戦英は今回の居残りが、どうにも落ち着かない。
戦英は、王府の門で、靖王が皇宮に向かったのを見送った。
任務に当たる配下は、聖旨を受けた靖王を、南門で待つ事になっている。
靖王は聖旨を持って南門に行き合流し、そのまま金陵を発つ。
城門への、
『見送りはしなくていい』
と、靖王には言われている。
見送り不要は、戦英を気遣った訳ではなく、梅長蘇をしっかり見張れ、ということなのだ。
靖王から、『梅長蘇の正体は小殊だった』と打ち明けられて、俄(にわか)には信じ難かったが。
靖王は、策士を激しく嫌悪するのに、梅長蘇だけはこれ程に大事にしている謎、そして靖王府からの脱走へのこの警戒。
戦英は今までの主の行動に、漸く納得が出来たのだ。
この事実を知らなかったなら、靖王が江左盟からの宗主奪還を、阻止している様にしか見えない。
そうではない。
どういう経緯で、あの様に林殊の姿が変わってしまったのかは、戦英には想像もつかないが。
梅長蘇が林殊であるならば、例えば薬で動けなくしても、どうにか脱出してしまう、そんな靖王の不安は、戦英には理解ができる。
靖王の側で常に林殊を見ていて、『規格外の男』の印象が強く、『都の怪童』では、少々言葉が物足りないと思っていた。
口では大人も敵わない、とか、
何を仕出かすかわからない、とか、
常識外れの方法で状況を覆す、とか、
文武共に桁外れ、とか、
将軍顔負けの戦場での活躍、とか、、、、。
間違いなく『怪童』などでは林殊を言い表せていないと確信している。
林殊を見ていて、つくづく、靖王の敵でなくて良かったと、心々底々、戦英は感じていたものだ。
林殊を全て知っている靖王が不安なのだから、やはり油断は出来ぬのだ、と戦英は気を引き締めた。
一度、様子を見ねば、と、戦英は書房に向かった。
兵を書房の外の四方に立たせている。
戦英は書房の扉を開け、中に入った。
中では簡易の質素な寝台の上に、梅長蘇が寝かせられている。
近づいて顔を覗くが、この姿が林殊とは、やはりとても思えなかった。
靖王だからこそ、梅長蘇の正体に気がついたのだ。
梅長蘇は、死んでいるのではないかと思うほど、深く眠っている。
横たわる梅長蘇の玉のような白い肌は、まるで生気が感じられない。
つい口元に手をやって、呼吸を確認してしまう。
梅長蘇は静かに息をしていた。
そして戦英は書房の中を見渡した。
これと言って、何時もと何も変わらぬ書房の内部。
奥の書棚が開き、地下に通路があり、蘇宅と繋がっているという。
靖王から打ち上げられた話は、どれも信じられぬ話で、戦英はかなりの衝撃を受けた。
蘇宅との地下通路は今は封じてあり、梅長蘇は封印の解き方を知らない、と靖王は言っていた。
靖王府の書房は、密室と言っていい。
これだけ固めてもまだ心配する靖王を、可愛らしく思ったが。
『、、、まぁ、相手が小殊ならば、、、、』
その心配も納得をする。
靖王は若い折、林殊に振り回されていた。
ある意味では、戦英は最も大変な任務を受けた。
『主の期待に応えねば』
戦英はそう思って、書房を出てた。
扉を閉めれば、配下と視線が合った。
「静かだからと油断をするなよ。
何せ梅長蘇なのだ。」
戦英は厳しい表情で、兵士に強く言う。
「はっ!!!」
拱手した若い兵の顔が引き締まった。
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戦英が去った書房は、しんと静まり返る。
書房の寝台に、長蘇が一人残された。
横たわり、動くことも目を開けることすら出来なかった。
飛流
書房では、長蘇の為の暖を取っていた。
換気のために薄く開けた窓から、すーっと風が入る。
程なく、靖王府の書房に、音もなく飛流が現れた。
「蘇哥哥。」
ぁぁ、来たか、飛流
飛流は長蘇の枕元に寄り添う。
全く動かない長蘇だが、心は飛流と通じ合い、飛流を呼んだのだ。
「云。」
飛流は長蘇の姿を見て、眉を顰めた。
ついこの前まで長蘇から感じた、『魔』の気配がすっかり消えていた。
飛流は、長蘇が自分と同じ様に『魔』を纏ったと、喜んでいたのに、微塵も感じなくなって、がっかりとしていた。
虚弱な長蘇が、飛流の『魔』力を得れば、体に残った、酷い『寒症』を克服し、長蘇は体力を保つ事が出来ただろう。
それを知っていても、今まで、『魔』を頑なに拒んだのだ。
だが懸鏡司で長蘇が注入された『魔』は、飛流でも気色が悪いと思える『魔』力だったので、ある意味では無くなって良かったと、飛流は思えた。
飛流の心に長蘇の声が響く。
飛流、お前の『魔』力を、
私に分けてくれ
「ほんと??。」
信じられない!!と、飛流は聞き返したが、それでも嬉しさが勝った。
今まで、どんなに『魔』の力を注いで、長蘇を楽にしたかったか。
あの懸鏡司での一件で、長蘇に『魔』が宿ったことに、飛流は正直喜んでいたのだ。
あの時は、自分の『魔』力では無いが、これで長蘇も自分と同じになる、と、飛流は純粋に喜んだ。
飛流は布団の中を探って、長蘇の手を引っ張り出しだ。
「蘇哥哥。」
飛流、始めてくれ
飛流は、握った長蘇の手を、更に反対の手でも包み、自分の額に当てた。
飛流の身体からゆらゆらと黒い靄が現れ、それはゆっくりと長蘇が横たわる布団へ吸収された。
急に長蘇の中に『魔』を押し込んでは、長蘇が苦しむだろうと、飛流は時間をかけて、ゆっくりと注入していった。
長蘇が目覚めるまで、ゆっくりと、ゆっくりと、苦しむ事が無いように。
長蘇の手を握る飛流のてからも『魔』力が入り、長蘇が体内に取り込んだ『魔』を整えていく。



