女王と影武者
荘厳な音楽が流れ始める。
玉座の前で、ロイはひざまずいていた。
床は美しく磨き上げられた大理石で、ピカピカなそこにはロイ自身の顔がよく映る。
しかし、別に自分の顔など鏡を見なくていつももそこにいるから見慣れているわけで、見たいわけでもない。むしろ、今日自分たちを呼んだと言う女王リムスレーアの顔を一目見てみたかったが、さすが女王の謁見だけあって顔を上げることは許されない。
それに、たとえ顔を上げることができたとしても、ロイの位置は、末席に近い位置。仲間だけではなく、他にも貴族や他国からの貴賓もいるのだから、リムスレーアの顔はほとんど見えはしないだろう。
こんなことなら、来るんじゃなかった。ろくに相手の顔も見えないのに、長い式典に耐えていなければいけないのだ。こういった場所が苦手な人間の部類に入るロイには、退屈で仕方がなかった。
とはいえ、出てきてしまったからには仕方ない。今はただ、ついついこぼれてしまうあくびをかみ殺し、早く終わらないかと待つだけだ。
そういえば、王子はどこにいるのだろう。さすがに軍主であり女王の兄でもあるのだから、一般の兵と混じっているわけもない。もしかしたら、妹思いで有名な兄は、今も妹に付き添っているのだろうか。
そう考えて、ふと今更なことにロイは気づいた。そういえば、今日会う女王陛下は、あの王子の妹なのだ。10歳の、小さな少女。
今まで話にはよく聞いていたが、実際に会ったことはないロイは、想像でしかリムスレーアを知らない。
あの王子の妹なのだから。さぞかわいらしいのだろうが……。はたして性格はどうなのだろう。やはり王子のように優しげであるのなら、とても愛らしい女王ではあるだろうが……。しかし、それで女王など務まるのだろうか? 思わず、首をひねるロイだ。
だがまあ、幼い女王とはいえ、今後は両脇に王子とルクレティア、それに女王騎士の一同やルセリナ、ボズをはじめとした新しい貴族の面々がずらりと顔をそろえる。これでファレナが揺らぐわけもない。きっと、ルクレティアが執務の大半を取り仕切って、王子が軍の統率にあたるのだろう。安心してファレナを任せられるというものだ。
そう考えて、自分で考えたことに自分で笑うロイだった。
何を自分は考えているのだろう。そんなことはそれこそルクレティアや王子に任せておけばいいのに。
別に自分が国の中枢に関わるわけではないのだから、気楽にしていればいいのだ。
そう、今みたいに新しい女王がかわいいかどうか、なんて下品な想像でもしておけば似合いというもの。
さて、そうと決まれば、どうにかして女王の顔を拝まなくては。こっそり顔を上げるくらいなら許してくれないだろうか。
そんな勝手な想像にふけりかけたとき、謁見の間に朗々たる声が響いた。
「女王陛下、御成り!!」
シンと静まり返っていた広間の中が、更に張り詰めた空気に包まれた。思わずロイも今考えていたことを吹き飛ばして背筋を正す。
静々と、小さな足音が玉座に向かうのが、微かにわかった。
玉座の前に立ち、リムスレーアはこの戦を乗り越えた一人一人の姿を目に納め、そして凛とした声音で言った。
「皆、面を上げよ!」
第一声。集まっていた面々はその幼さが残るものの、堂々とした威風さえある声に、弾かれたように顔を上げた。
ロイも例外ではなかった。
そして、遠くからでもはっきりとわかった。
身体は幼い。けれどもその眼差しは100年生きるよりも強く、活き活きと輝いていた。
「何故わらわが真っ先にみなの顔を上げさせたのか、わからぬと言いたいのだろうが」
再び、リムスレーアの通る声が響く。それが、突然ふわりと優しく和らいだ。
「おぬしらはこの国を救ってくれた恩人である。そのおぬしらが、なぜわらわに頭を下げねばならぬ道理があろう」
深い慈愛の笑みだった。まるで春の日差しのような。
この太陽宮の最上階で輝く、太陽の紋章のような。
そしてリムスレーアは更に皆を驚かせる。
「むしろ、わらわの方がおぬしらに頭を下げねばならぬ」
女王が自ら臣下に膝を折る。しかしそれは、臣下に屈するのではなく、まるで女神が民に愛の手を差し伸べるかのように。
「ファレナを救ってくれて、ありがとう」
目が離せなかった。
その一挙一動、どれを取っても。これで、10歳の少女だというのだろうか。
信じられなかった。
気がつくと、式典は終わっていた。まるで夢でも見ているような気分の間に。
終わってもまだ、夢見心地のまま。
「ロイ?」
傍らのフェイレンが訝しそうな目でロイを見上げるのも、気づかなかった。
けれど、夢かと思わずつねった頬は、ひどく痛かった。