初陣
「殿下! 深追いしすぎです!! 戻りましょう!!」
副将のなんとかっていう変な頭の将軍がロイに向かって絶叫する。それを内心鼻で笑いながら言い返した。
「今は絶好の機会だ! 少しでも敵の兵力を削いでおけるなら叩き潰した方がいいに決まっている!」
それに向こうは、逃げ込むところがなくなったのか森の手前まできながら立ち往生しているではないか。その部隊ももう目前。あと少しで追い詰められるというのにここで引き返すなんて臆病だ。
そう言い返せば一瞬相手はたじろいだ。
「ですが、もし伏兵がいたら……!」
将軍の懸念が言葉に乗る。しかし、それがすでに遅いと気づいたときには、既に森の中から怒涛のような騎馬隊が突撃してきた後だった。
「な……!」
言葉を失う惨状になった。
地鳴りのような猛突撃がロイたちの部隊を襲う。馬の嘶き、敵の喊声があっという間にロイの部隊を飲み込んだ。
兵士達が言葉を発する間もなく馬蹄に踏みつけられ、蹴散らされていく。
「殿下をお守りしろ!!」
ロイの周りを囲んでいた親衛隊たちが一斉にロイの周りを固めた。しかし、それすら容赦なく敵の騎馬兵たちは切り刻み、踏みつけて叩きのめす。
親衛隊に守られたその一番奥で、ロイは動くことすらできなくなっていた。身体が震えて瞬きすることもできない。目の前に、屍が続々と出来上がっていく。腕を失い、足を失ってのた打ち回る男達がいる。
それでも
「殿下、お逃げください!!」
自分を王子だと信じて敵兵から懸命に守ろうとする兵士達。ようやくゆるく、ロイは首を振った。
違う。自分は王子ではない。と。
足が退いた。がくがくと震える足が、今にも後方の味方に向かって駆け出しそうだった。
「殿下! 紋章を……!!」
びくっとしてロイの足がまた固まった。
黎明の紋章。それを使えばこの窮地は脱することができるかもしれないと、副将が叫んだ。
だが、そんなものをロイは持っていない。それを使うことができるのは、本物のファルーシュだけだ。
苦痛を浮かべる兵士がロイを見る。何かを渇望するようにロイに向かって弱々しい腕が差し伸べられる。
違う。こんなのは違う。何もかも、これは嘘だ。
ロイは目の前に繰り広げられる惨状を否定した。
自分は王子ではない。これは自分じゃどうにもならない。そんな目を向けられても、自分にはなにもできないのだ。
今度こそ、ロイの足が動き出そうとした。
そのときだった。誰かがロイの腕につかみかかった。
振りほどこうとしたのに、振りほどけなかった。腕が高く掲げられる。その手から突如、青い光が立ち上った。
掲げられたロイの右手から立ち上る一筋の青い光。それが上空で二つに分かれる。その一方が急下降して眼前の敵兵たちのど真ん中を突き抜けた。
大地が揺れた。熱と光の衝撃が一瞬で敵兵を飲み込む。肌を焦がすほどの熱気がロイたちのいる辺りにまで及んだ。
一瞬にして、敵は崩れたった。全身を焼かれながら水を求めてのた打ち回るもの。逃げ場を求めて焼けた森の中に突っこんでいく者。周りを死体にかこまれてわけもわからずわめきたてる者。統率する者もなく、ただ混乱だけがその場を覆う。
そしてそれとはまるで対照的に、ロイたちの周りを穏やかで暖かな光が包んだ。身体の隅々まで力が満ちるような光。温もり。傷ついていた味方の顔から、苦痛が消える。
歴然と見せ付けられる差。まさに、森のむこうとこちらとで、地獄と天国が共存しているかのようだった。
掲げた右手から光が収まっていき、ようやく降ろすことを許されると、そのままロイはその場に崩れ落ちそうになった。それをまた強い力で引き戻される。
「しっかりしろ!」
頭をわしづかみにされて無理やり顔を向けさせられる。そこに見た弱いながらも力強い青に、ロイは愕然とした。
「今、君は軍主だ。みんなの主だ。そんな人間が、この体たらくでどうする!? 誰もが君のために力を尽くしてるのに、みんなを侮辱してるのか! そんなのは、僕は認めない!」
目深に被った兜の下で、白い頬を伝う、一筋の雫。だが、その瞳には強い意志が込められていた。あふれる涙の下で、その空色の瞳は力強い意志を訴えていた。
すべての苦痛をその身で受けるかのような優しさ。それでいて皆を奮い立たせる強い覚悟。
「王子、さ……」
半ば呆然としながら呟くと、彼はふと、その表情を緩め、微笑んだ。
「僕がここにいることは秘密なんだ。ロイ、僕の代わりにみんなを頼んだよ。ほら、みんなが来る。今なら、やつらを叩ける」
ファルーシュが示す。駆けつける弓兵と、その後ろから追いかけてくる騎馬兵。
ロイの周りに残った兵士達も、苦痛から解放され、ロイを見ていた。この軍を統率するものへの期待と不安をない交ぜにして。ロイを見て、王子の資質を見極めようとするかのように。
敵はまだ混乱の極み。しかも、迫る王子の軍によって、焼け残った森の中に逃げ込んだ者たちは退路を絶たれかけている。ほとんどが騎馬兵で、森の中で移動するには不利。一か八かと森から出て逃げようとする者は、そのまま追いついてきた弓兵たちの格好の的となった。多くの敵は進むか退くかも決められず、森の中にとどまる。その間にも森への包囲は着々と進んでいた。
「殿下! ご無事ですか!!」
通る女の勇ましい声が辺りに響いた。
キサラがロイのもとへと駆けつけてくる。ファルーシュは慌てて兜を被りなおしてロイから離れた。
呆然としていたロイは、それでやっと我に返った。
「大丈夫だ。それより、敵は?」
自然と顔が引き締まった。自分でも驚くくらいにすらすら言葉が出てくる。
「まだかなりの数が森の中に潜んでいるようです。ですが、弓を警戒して出てこようとしません」
「では……投降を呼びかけて、それでも出てこない場合は……火矢を使う。燻りだして出てきたら騎馬兵と重槍歩兵に突撃させる。それでいいかな。それから、ランと他に回復できる者はいる? いたら、まださっきの戦闘の傷が癒えきらない者がいるはずだ、彼らに回復を」
それから周りを見渡して、自分を見つめる視線にまっすぐ相対した。
「さっきは、僕の無謀を止めてくれたのに、応えられなくてすまない。でも、あと少しで片がつく。もう少しだけ、踏ん張ってもらえないだろうか」
副将が突然の変わりように呆然とする。だが、直後歓喜の雄たけびを辺りに響かせた。
「不肖このボズ! 殿下に命ささげまする!!」
ああ、ボズというんだったかと、ロイはようやく相手の名前を知って、内心恥じた。だが、それはボズに呼応する周りの兵士達の歓声でかき消される。
傍らのファルーシュを見やると、彼もその光景に喜びを浮かべていた。