CherieRose ...1
11.
目の前で一体何が起こったのか、理解出来なかった。今まで散々腕っ節に物を言わせて来た取り巻き達が、残らず地に伏していた。呻き声こそ上げてはいるが、立ち上がって此処から逃げ出すのはまず不可能な状態だ。そうしたのは、此方の半分の人数しかいない奴らだった。小柄で、とても同年代とは思えないような。
「ふん……口ほどにもないな」
腰に手を当てながら偉そうにそう言い放ったカークランドは、地面に座り込んだまま荒い息を吐いている、一応は共同戦線を張った相手を見遣った。
「おい、しっかりしろよ。お前も一応正規訓練受けてんだろーが」
「あなたが化け物なんですよ! それに私は元々文化系なんです」
それから何度か深呼吸をした相手は、それでも先程までは中々の身のこなしを披露していた。――今現在、こうして情けなく腰を抜かしている自分とは、違って。
「あ……う、ううっ……」
昔から、甘やかされて育てられて来た自覚はあった。自分のことなど殆ど出来ないし、出来るようになろうとも思わなかった。そんなことは、使用人にやらせれば良いのだと、そう教わって来たのだから。当たり前のように。
「お前ら……こんなことして……」
「どうなるか……とでも? 残念ながら、どうにもなりませんよ」
いつの間にかすっかりと息を整えた相手は、自分で落とした本やノートを拾うばかりで、此方を見ようともしない。そうする価値が、無いとでも言うように。
「?大人の権力の介入を許さず?――これがこの学院の理念です。ご存じありませんでしたか? ……正直に申し上げて、あなた、情けないですよ」
拾い上げた本に付いた汚れを払いながら、一瞥だけが寄越された。その視線に嘲笑の欠片でもあれば、まだマシだったのに。けれど実際に向けられたそれは、まるで路端の石ころでも見るようなもので。
「……っ黙れ、ナッシング・クラウンのくせに!!」
言った瞬間微かに見開かれた黒い瞳は、乾いた音と共に視界から消え失せた。殴られたのだと――しかもこの自分を殴ったのはあの『王子様』ではなく、くそ生意気なカークランドだと気付いたのは、鈍い痛みが頭に達した頃だった。
「行くぞ、キク」
それなのに、殴った相手ときたらそれでもう用は済んだとばかりに此方に背を向け、困惑した表情を浮かべた相手にそう声を掛けて此処から立ち去ろうとしている。
「何だよ……何なんだよ、こいつら……っ」
興味など、微塵も無いように。この、自分に対して。そんな、振る舞いを。
悔しい。悔しくて悔しくて堪らない。腹立ち紛れに拳を握れば、指先が削り取った土や雑草と共に、不自然に固い物体の感触が伝わった。目を凝らして見てみれば、それは万年筆で。やけに細かな装飾が施されていて、値段も相当なものだということが分かる。
――けれど、そんなことはこの際大して重要ではない。
キャップを外せば、良く手入れされたペン先が覗く。ペンは剣よりも強し……そう言ったのは、果たして誰だったかは分からないし興味も無いが、確かにこの鋭さは人間に一撃を与えるには十分な鋭さを有していて。
「この……やろおおおっ」
無防備に背を向けて、ゆっくりと遠ざかっていく相手に向かって、大きく万年筆を振り被った。
人間は死の淵に立たされるような状況に陥ると、見る世界が変わるらしい。決して、比喩ではなく。フルカラーだった景色がモノクロに見えたり、物体の動くスピードが通常よりも遅くなったり。今の自分にとって、必要最低限の情報だけに絞られるのだと。――そう、昔何かの本で読んだ気がする。誰かから、聞いたのかも知れない。
兎に角、そうした状態になった者は、通常では考えられないようなことが成し遂げられるのだ。不可能なことが、可能になる……らしい。
直ぐ目の前に、鈍い光を放った万年筆が迫り来る。振り向かなければ、多分背中に傷を負っただけですんだもの。けれど、雄叫びに意識を奪われたのは致し方無いことだ。
見れば、自分の前を歩いていたキクが血相を変えていた。いつも感情を露わにしない相手にしては、珍しいことだ。嫌われていると思っていたが、そして、その考えに間違いはないのだろうが、此方が思っていた程は憎まれてはいなかったということなのか。嗚呼でも、その場所からではきっと助けは間に合わないだろう。
万年筆が刺さったところで死ぬとは思えないし、顔が傷付いたところで今更自分の価値が下がるとも思えない。だから、そのこと自体はどうでも良かったのだ。
けれど、もし、本当に、不可能なことが可能になるというのなら。
「…………ル……」
願っても、良いだろうか。望んでも、構わないだろうか。
――だって、知っているんだ。
護ってくれるんだろう。側にいてくれるんだろう。
あの時、そう約束した。
「……っアルフレッド!!」
例えそれが、『俺』に約束した言葉じゃなくても――お前は確かに、そう言った。
作品名:CherieRose ...1 作家名:yupo