POPO
ぱちぱちとエドは瞬きした。
グレイシアと会うのは初めてではなかったが、ヒューズほど話した機会があるわけでもない。それなのに突然何事か、とエドは首を傾げるしか出来ない。
「エドくんは、…今、一四歳?」
「え? …うん、えっと、次に誕生日がきたら十五歳」
「そう。…こんなことを突然言うのは失礼だけど…」
「………?グレイシアさん?」
「生理は、まだでしょう」
「…セイリ? …整頓?」
ぽかんとした顔をするエドに、やっぱり、とグレイシアは頷いた。そしてほんの少しの複雑な気分。
…なんであの人、ちゃんと気付いているのかしら、と。
そもそも、ロイがヒューズに頼んできたのは、「そういった事情」を教えてやって欲しい、ということなのだ。どうも女の子としての自覚に欠けるのも問題だが、恐らく初潮もまだなのではないか、と。だがさすがに男の自分がそれについてあれこれ教える、というわけにもいかないので、申し訳ないが、ヒューズ夫妻にそのあたりの教育をしてやってくれないか、と。
さしもの彼も、今度ばかりは副官を頼るわけにも行かなかったらしく、しかし親友とはいえその細君にそういったことを頼むのもどうか、とそれなりに悩んでいたらしい。らしいのだが、どうにも危なっかしくて気が気でないから、恥を忍んで…ということだった。
エリシアの予行演習ね、と。
グレイシアはそんなことを思った。エドは自分の娘というにはいささか大きいが、いずれ来る日の練習と思えば。あの子にもこんな話をする日が来るのかしら、と思いながら、グレイシアは続ける。
「生理よ。初めて生理が来るのを初潮といいます」
ここまで説明して、理解が得られたらしい。あ、とエドは目を見開いた。知識が全くないわけではないらしい、とグレイシアはひとまず一安心。
「…うん。…まだ、…です」
消え入りそうな声で、エドは顔をそらして答える。
「そう。…では、必要なものもきっと揃っていないわね」
「…必要なもの?」
「ええ。下着とか」
「下着…?普段のじゃ駄目なの?」
そこで不安げに、エドは顔を上げた。
―――誰も、エドにそんなことを教えてくれる人はいない。聞いた話では故郷には身内のような人もいるとのことだったが、本当の家族ではないようだし(ある意味本当の家族以上に家族だが、グレイシアはそこまでは知らない)、それにエド自身がそこに頻繁に帰らない以上は、そういったレクチャーを期待することは難しい。視点を変えて軍の中にそういったことを教えてくれる人を求めるのも難しい。エドが助けを求めるとすれば、…ホークアイ中尉くらいだろうか?
「駄目なのよ」
「…どうして?」
「それはなってみればわかるのだけれど…。逆に、ならなければ実感としてわからないかもしれないし」
「…………」
エドは情けない顔をして黙り込んだ。不安になったらしい。
「そんな顔をしなくてもいいのよ。怖い事じゃないから」
「……でも…血が出るんでしょ…?」
エドは不安げに問う。本当に、一応知識はあるらしい。
グレイシアは知らないが、イズミからもある程度の話は聞かされていたのだ。そういうものがある、ということは。それに、人の成り立ち、そういった「情報」をエドは真理の門の向こうに見てきている。人よりも理解は深かった。
だが、それは知識であって、経験ではない。だから漠然と恐怖のようなものを感じていた。体から血が出るのだ、怖いに決まっている。
「ええ」
「……痛いの…?」
「そうね。それは人によるわ。寝込む人もいるけれど、逆にまったく平気で普段と変わらない人も居るから」
「…そうなの?」
ええ、とグレイシアは頷いた。眉間に皺を寄せ不安げな表情を浮かべているエドに、やさしく微笑みかけてやりながら。
「大人の女の人に、…ううん、お母さんになるための準備なのよ」
だから怖い事じゃないの、彼女はもう一度繰り返した。
「…おかあさん…?」
幼い口調が舌足らずに繰り返す。エドの目は、見開かれていく。
“おかあさん”
突然、くしゃり、とエドの顔が歪む。
「エドくん?」
驚いたのはグレイシアだ。泣いてしまうような話をした覚えはなかったから。
「どうしたの?」
そっと肩を引き寄せて顔をのぞきこむグレイシアに、エドはぶんぶんと頭を降った。今にも泣き出しそうな顔をして、それでも必死に涙を堪えている。
「…んでも、…ない、…ごめ…なさ…」
「なんでもないなんてことないでしょう?」
どうしたの、とグレイシアはとうとうエドを抱き寄せた。
エド達が母親を亡くしているのは聞いていた。だから、それを思い出させてしまったのかもしれない。
例えば私がエリシアを遺して逝ってしまったらどうなのかしら、…エド達の境遇の一部を聞いた時、彼女はそう思った。きっと不安で仕方がないだろう。誰がこの子を守ってくれるかと、きっと気がかりでならないだろう、と。
だから、エドにも、アルにも、やさしくしてやりたいと思った。きっと彼女達の母親も、グレイシアと同じように考えたと思うから。
「…ねぇ、エドくん?」
エドの金髪を撫でてやりながら、穏やかにグレイシアは語りかけた。
「エドくんは、お母さんのことが好きだった?」
エドはただ、こくりと頷いた。
「大好きだった?」
もう一度繰り返せば、やはりこくりと頷く。
「なら、きっと大丈夫。エドくんも、いつかエドくんのお母さんみたいな、素敵なお母さんになれるわ」
「………でも…っ」
エドはたまらず顔を上げた。金の目には、零れ落ちんばかりに水の膜が浮いていた。
―――でも。
いいことだって信じていたけれど、…お母さんに、大好きなお母さんに、してはいけないことを、してしまった。
だから「お母さん」にはなれないと思う。
それをグレイシアに言う事は出来ないけれど。
「…大丈夫よ」
けれどグレイシアは―――、まだ若い、エリシアという小さな女の子のお母さんは、穏やかに、けれど力強く笑ってエドを引き寄せた。
「大丈夫」
何一つ根拠のない言葉だったが、エドにはそれは、不思議と本当の事に思えた。だから、小さくではあったけれど、「うん」と頷いたのである。そうしたらグレイシアはまた笑って、今度は少しからかう口調でこう言ってきた。
「さあ、泣き虫さん、涙を拭いて?そしたら今度はさっきのクッキーを焼きましょう?」
女の子のお話の続きはまた今度ね、と悪戯っぽくウィンクする彼女は、とても素敵な「お母さん」だった。
以前、ロイが片手で起用に卵を割るのに対してまったくきちんと卵を割れなかった事が悔しかったエドは、実は密かに練習した。おかげで、一応、何とかそれなりに割れるようになっていた。グレイシアにクッキーの作り方を教わりながら、卵が割れるようになったのは大佐のおかげなんだ、と言ったら、彼女は大層驚いていた。
「でもさ、大佐ってばオレの事すぐ子供扱いするんだ。卵割れなくてもいいとか言うんだよ?」
グレイシアに対しては幾分丁寧な口を利くようで、普段よりエドの口調はいくらかやわらかかった。
「あら。それは…」
グレイシアは意外なのと微笑ましいのとで笑ってしまう。