POPO
「玉ねぎも魚もさばいてあげるとか言うの!それくらい練習すればオレだって…」
ぶう、と頬を膨らませるエドは、あくまでそれは子供扱いと思っているようだが…グレイシアにしたら驚きである。あの、ロイ・マスタングが。そんな甘ったるい事を。夫にそれを話した時の反応を予想しながら、彼女は少女の金髪を撫でた。
「いいじゃないの。やってくれると言うならやってもらったら」
「え?」
「男の人はね、最初が肝心。やってくれると言うならやってもらった方がいいのよ」
グレイシアはすました調子でそう言った。これは主人には内緒よ、と悪戯っぽく片目を瞑って。
庭木の手入れを終えたヒューズと、エリシアの面倒を見ていたアルが屋敷に入ってきた時、まるで年の離れた姉妹のように仲良さげに笑うふたりの姿があったが―――、ヒューズを見た瞬間にエドが噴出した理由は、ふたりだけの秘密らしい。どれだけヒューズが食い下がっても、ふたりは笑うばかりでけして教えてくれなかった。
エリシアとエドを連れてグレイシアが風呂へ入っている間、ヒューズとアルはチェスをしていた。ヒューズはあまりやらないからというチェス盤は、それらしく納戸の奥に仕舞いこんであった。
「…最初がエリシアだったから、次は男の子がいいなあと思う時もあるんだ」
駒を手で遊びながら、ヒューズは何気ない調子でそう言った。
「そうなんですか?」
てっきり、エリシアにあそこまでの親馬鹿振りを見せるヒューズだから、そういうことは考えていないのかと思っていた。アルは軽い驚きをもってヒューズを見た。
「そりゃそうさ〜。男の子がいれば、キャッチボールしたり、年頃になれば一緒に酒飲んだり出来るしな」
「へぇ…」
ふたりの父親が、ふたりが小さい頃に出奔しているという事は、ヒューズはロイから聞かされて知っている。いずれ某かの事情があったのかもしれないが、…妻と子供を置いて出て行くなんざ、言語道断、とヒューズは思っている。無論自分に置き換えて考えている。もしもグレイシアとエリシアを置いてどこかへ行こうとしている自分がいるとしたら、そんな自分を自分は許せないだろうと。
とはいえ、それを押してでも出て行かなければいけない事情もあるかもしれない、ともまた考えない事はなかった。自分にももしかしたらそんな日が来るのかもしれない。家庭より大事なものなどそうはないが、…いつか選ばされる日が来るかもしれない。そんな日は出来れば来ないでいただきたいが、こればかりはわからないのだ。
「…それに男の子がいれば心強いからな」
「心強い?」
「ああ。息子がいたら、…心強いだろ?任せていける気がするよ」
ヒューズは笑い、突然アルの頭に手を伸ばした。今は二人座っているので、そこまでの身長差はない。
「…おまえらの親父さんだって、そうだったと思うんだけどな、俺はさ」
非難する事は簡単だった。だが、それでは意味がない。
「…………中佐…?」
「俺もおまえみたいな息子なら大歓迎なんだかよ! …ってほら、おまえさんの番だ。どうする?」
息を飲んだような気配を見せたアルに、ヒューズは笑って促した。沈む隙も与えずに。
…否定する事はいつでも簡単だ。だから受け容れる事は本当に難しい。寛容は口で言うほど簡単ではないのだ。
「…、…わあ、難しいな」
アルは、…少しの間を空けて、気持ちに区切りをつけたらしい。ヒューズは目を細め、そんな鎧の少年を見守る。
そしてこっそり、心の中で付け加えた。
おまえらみたいないい子なら、いつでも本当に家族に入れてやる、おまえ達がもしも望むなら―――、と。
風呂から女性陣が出てきた時、一本の電話がヒューズ家にかかってきた。グレイシアがエドに取り次いだのは、ロイからの電話であった。
「…ロイから〜?」
と、ケチをつけたのはなぜかヒューズである。
「エド!」
「…?」
「ロイの電話に出る前に、レッスンワンだ」
「…は?」
唐突なヒューズの言葉に、エドは目を瞠って首を傾げた。
「ひとつ。男からの誘いは、三回に二回は断りなさい」
「…へ? …なんで?」
「いいか、男ってのはすぐに調子に乗る生き物だからな、あんまり気安くOKするんじゃない。三回に一回もOKしてやりゃちょうどいい。五回に一回でもいい」
「………グレイシアさんもそうしたの?」
エドはなぜかそこでグレイシアに話を降った。しかし彼女は「さあ?」とはぐらかして答えず、どうぞ、と受話器を差し出してくる。
「あっ、まだ話が…!」
「あなた、いいじゃないの」
フフ、と笑いながらグレイシアは夫にやんわり釘を刺す。
「大佐?どうかした?」
エドは首に掛けたタオルで髪を拭き拭き、不思議そうに受話器の向こうに問い掛ける。
「大体、そういうお電話と決まったわけじゃ…」
このグレイシアの台詞に、夫は重々しく首を振った。
「グレイシアはロイを知らなすぎる。いや、知らなくていいんだが…あいつがただ用もなく電話してくる男なもんか。絶対にあれはデートの誘いだ、そうに違いない」
これは父親の勘だ、とヒューズは自信満々だ。
そして、果たして…。
「え?明日?明日って…別に、特に考えてなかったけど」
「ほらな!」
「まぁ…」
グレイシアは内心噴出しそうなのを堪えながら、鷹揚に驚いて見せる。親友同士の妙な連帯が面白かったのだ。
「えーと…特に用事はないんだけど…」
エドはここで、ちらっとヒューズを見てきた。ヒューズは力いっぱい頷く。
「んとね…駄目」
「よし! それでいい!」
「え?なんでって…、うん…まあそうなんだけど…確かに用事はないんだけど…、…え? …あー…その…」
しかしエドの旗色は悪いようだ。そして。
「だって、中佐が言ったんだ。三回に二回は断れって」
これを聞いて、ヒューズはがっくりと肩を落とした。
「それを本人に言っちゃ駄目だろう、エド…」
「え? …そうか〜?そうなのか? …うーん…そうといえばそうかもしれないけど…、…え?ちょ、なんだよ勝手に決め…!え?ちょ、大佐?大佐っ?」
途中からエドの声がどんどん焦ったものになり、最後には受話器を両手で掴んで「大佐」と繰り返している。
そんなことをいくらか繰り返してから、…エドはすまなそうに顔を上げ、困ったようにヒューズを見た。
「…押し切られたのか?」
そんなエドに、ヒューズは疲れきった声で尋ねる。まったく、我が友ながら…とロイに呆れながら。
「…三回に一回OKなら、最初がOKでも後の二回断れば同じだって…大佐が」
怒る?
とでも言いたげに、エドが上目遣いで見上げてくる。その様子に怒る気も失せて、はぁ、とヒューズは溜息をついた。それにしてもロイは今どこにいるんだか、イーストに帰ったんじゃなかったのか、と思いながら。
翌日はちょっとした騒ぎだった。