One Wish
・・・何処か、遠くて、近いところから柔らかな音がする。
揺り動かすでもなく、急かすでもない。ただ心に直接ゆっくりと浸透してくるような、そんな響きが。
何だろう。
これは呼びかけ、だ。優しい声が、自分を呼んでいる。
…なぜだろう。すごく安心する。
応えなきゃ。
まとわりつくこの眠りを祓って、早く応えないと。
待ってて。
今、呼ぶから。
そうして、息を思い切り吸い込もうとした瞬間
どこか心の深いところから沸き起こってきた感覚に息が詰まった。
――――こえ、が。
無意識に、何も見えないはずの目前の暗がりに向けて手を伸ばした。
声が。
声が届かなくても、手を。
する、と伸ばしていた手に不意に重なる温度に、反射で身体が竦んだ。
「・・・大丈夫だ」
僅かに低い、掠れた声が耳元で囁きを落としてくる。
自分の置かれている状況がわからずに強張らせた背を、まるで子供を宥める様に軽く叩かれた。
宙に向けて伸ばされていた手を取り、指を絡めるように掌が握りこまれる。遊戯は大きな薄紫の瞳を零れんばかりに見開いて呆然と眺めていると、もう一度問いかけるように呼ばれた。
「・・・あ?」
捕られた手を触れ合う腕をたどって、すぐ傍にある影に小さく応えると、僅かに笑う気配が返ってきた。
声を出そうと息を吸った途端、こみ上げてきた咳に喉が痛んだ。乾燥してしまっているのか、うまく声が出せない。もう一人の遊戯は手振りだけで無理に喋らなくていい、と示してくれた。
まだ薬が効いているのか、不自然に酷く眠い。まだ熱も引いてないのだろう、何となく視界もぼやけているような気がする。・・・心の部屋だということはわかったが。
・・・それより、何でこんなに近いところにもう一人の遊戯がいるのだろう。
ぐるぐると纏らない頭で考え込んでいると、間近に迫った紅い瞳がゆっくりと細められ。
ちょん、と。
少し冷えた柔らかなものが、軽く触れる感触だけを残して離れていった。
「・・・え?」
「――――まだ熱は下がっていないみたいだな」
さらり、と前髪をかき上げられて、額を合わせられる。
もう少し寝てるといい。と、そのまま抱き寄せられかけて、遊戯は頬に血を上らせた。
「・・・ずっと付いててくれたの?」
はぐらかされたと思ったが、なんだか自分のおかれた状況を色々自覚したら自覚したで、居た堪れなくなった遊戯は、毛布になかば潜りこみながら問うた。ちらり、と見上げた先には穏やかに笑って頷く、彼。
・・・風邪引いて、心配かけて、寝込んで、添い寝。
・・・これじゃまるっきり子供みたいだ。
――――でも。
きゅ、と繋いだ手に力を込める。
「・・・相棒?」
毛布の中から顔を少しだけ覗かせて、遊戯は熱だけではない赤みのさした頬を緩めて、薄く笑った。
「ちょっとだけ、いい?」
弱気になっちゃって、ごめん。
…でも、もう少しだけ、こうしていて欲しい。
目が覚める直前まで見ていた夢が頭をよぎる。
身体が弱れば、心も弱る。・・・そう言っていたのは誰だったか。
確かにそうだ、と。知っているけれど、風邪が、熱が見せた夢だと繰り返し思っても、胸につっかえた様な重苦しいものを祓えないでいる。
だけど、こうしていてくれたら。
大切な、大切な彼が、ここにいることを確かめられたら。
このまま夢も見ないほど深く眠って。風邪が治ったら、目を覚ましたら、もう一人の遊戯に心配かけてごめんと謝って、・・・そして笑えるはずだ。
――――明日になれば、きっと。彼の、『相棒』に戻れる。
硬く目を閉じて、強く、昇る日を、朝を思った。
けれど、意識をすればするほど思考は雁字搦めになっていく。
「――――大丈夫だ」
そうっと。
囁くような柔らかな声。
「・・・もう一人のボク?」
「もう夢は見ない。・・・相棒が起きるまで、ずっとこうしてるから」
嫌な夢も、不安も、全部オレが追い払ってやるから。
近寄らせたりしない。・・・少なくとも、今は。
「…呼べばいい。オレを」
手を繋いでいるから。
…呼ばれれば、応えるから。
さっきのお前のように、必ず。
繋がれたままの手を持ち上げて、絡めた指をゆっくりとほどくと、掌にそっと唇を寄せた。
音もなく静かに、乞うように真摯に。
・・・触れた掌の熱は、心を融かすように温かい。
「・・・・・・キミは?」