暴走王子と散々な影武者
ああ無情
夏直前。
とはいえ、ファレナは長い雨季の真っ盛りで、空は灰色、風はじめじめ。うっとおしさは他の季節の何倍にもなる。
皆の士気も下がるというもので、今日も今日とてだらだら過ごす人間の多いこと。食堂どころか酒場ですら真昼から大入り満員状態である。しかも、一様に皆やる気が無い。
特に、彼の人は深刻だった。
その人というのは、ロイ、である。
ここ数日というもの、雨季だというのにそのうっとおしさをものともせず、ファルーシュのロイ攻勢は一層強まっていた。しかも雨季のだるさも相まって、ロイのほうはもう投げやりも通り越して無気力。
今は辛うじて軍議のさなかというので、ロイもようやく一息つけるというものである。
そんなロイのところへ、にこにこと笑顔のルクレティアが、上からちょうどレレイとシウスを引き連れて降りてきた。
「あら、ロイ君お一人ですか?」
と、ロイの向かいの席に座り、給仕代わりのシュンミンにお茶をと注文する。レレイとシウスはその後ろに親衛隊か何かのように当たり前のように立って、ルクレティアに近づく者たちに目を光らせていた。
内心、こいつらも暑苦しいと一層だらけ心に拍車がかかるロイである。だが、多分アレよりはマシではないかと思う。ソレと同時にまたアレを思い出してしまって一層ため息がこぼれた。
「ところで、これは余計なお世話かもしれませんが」
一口、届いたばかりの冷茶をすすり、ルクレティアがにこりと笑った。
「逃げた方がいいですよ、ロイ君」
何のことだと問い返そうとした途端のことだった。
「ローイー!!」
絶叫とも言える叫び声が、城中に響いた。
途端にロイは蒼白になり、がたりと音を立てて立ち上がった。
「先ほどまで、王子と軍議を行っていたんですけど、もう、あの方ったらロイ君のことばかりで軍議になるどころじゃなかったんですよね」
のほほんと笑むルクレティアの瞳の向こうに、ロイはそのときこの季節にはありえないはずの、そしてルクレティアが紋章を使えるなんて聞いたことも無いはずの、氷の息吹が見えた気がした。
だが、そんなことより我が身が大事。
「そ、そ、そういうことは早く言ってくれ!!」
ロイは脱兎の勢いで疾走しようとした。
が。
「ロイ君」
「ロイ殿」
いきなり、両側からロイはがっしりつかまれた。
振り返ると、ルクレティアよりも一層冷ややかな目のレレイとシウスが、ロイの両腕をそれぞれがっちり押さえていた。
「んなっ!」
しかもロイが何か言う前にずるずると連れ戻されて、ルクレティアの前に引き出される。
「ルクレティア様、まずは一名捕獲いたしました」
「ご苦労様、レレイさん、シウスさん」
そんな、のんびりと茶をすすりながらのやり取りが頭上でかわされる。
「どーいうことだよ、これ! あんた今、逃げろって……!」
たまらず両腕を押さえられたままルクレティアに怒鳴れば、
「だから言ったじゃないですか。余計なお世話かもしれませんけど、って」
にっこりと、そんな冷ややかな台詞。
「軍議の速やかな進行のためであります」
そして追い討ちのようなシウスの律儀な説明。
つまり、ロイは軍議を円滑に進めるための餌というわけ。
「だったら、はなっから余計なこと言うんじゃねぇよーーー!!」
ロイの嘆きが地下に響いた。
その直後だった。
「ロイ、そんなとこにいたのーっ!」
何かが厳重にロイを捕獲していたはずのレレイとシウスから、あっさりとロイを奪い取った。
しかも、レレイとシウス二人がかりの拘束よりもはるかに厳重きわまりない熱い抱擁で。
すりすりとロイの頬に頬を擦り付けるファルーシュの腕の中で、半分魂の抜け出たロイが白くなって硬直していた。
「では王子、軍議の続きを行いましょうか」
静かに冷茶の茶碗が置かれて、にこやかにルクレティアは立ち上がった。
「うん、さくっと終わらせよう」
そしてその後は、と、ロイを抱きしめながら、にやにやとこれでも貴い王族かと思うような笑みを浮かべて見せて。
だがしかし、そんなファルーシュからロイを解放すべしと立ち上がるつわものはこの城の中にはいなかった。
そして今日も一人のご機嫌な軍主殿と、一つの魂の抜け殻が生産される。
明日もこうなるだろうと周りの住人達はそんな予測を立てて、明日は誰がロイを捕獲するか、こっそりとそんな論議が、ロイの知らぬうちに進行していた。
作品名:暴走王子と散々な影武者 作家名:日々夜