【腐向け】夢
強い日射しを避けて木陰に入ると、同様の理由か幾人かのチームメイトも集まってきた。微かな風が吹き、汗に塗れているためか知らず身体が震える。藤代は額に流れる汗を拭い、雲一つ無い空を仰いだ。
渋沢への恋心を自覚してから一月半が経った。
ほぼ毎日顔を合わせるためか想いは日に日に強くなり、FWとGKとして渋沢と対峙する夢も、ほぼ毎日見ている。
渋沢は変わらず優しく微笑み、一チームメイトとして接してくれる。――その一挙一動に、藤代が胸を震わせていることにも気付かずに。
それで構わない。想いを伝えて今の関係を壊してしまうのは最悪だ。伝えずともチームメイトとして、後輩として傍にいて笑顔を見られる、優しい声が聴けるのだから、これ以上の幸福はあるまい。そう思っていた。
ぼんやりと天を見つめていると、束の間の休息の終わりを告げるホイッスルが鳴った。日射しから身を隠してくれた木陰を惜しみながら、太陽の下へと戻る。その熱を感じつつも、未だ纏わりつく寒気に疑問を抱いた。風は止まっている。
集合場所へ、歩を進める――と、大きな揺れを感じた。危うく倒れそうになるが、なんとか踏み留まる。地震でも起きたのだろうか。それにしては、周りの仲間達は平然としている。
どうしてか頭が重い、痛い。
「誠二、どうしたの? 早く集まらないと」
声に顔をあげると、チームメイトであり友人の、笠井竹巳がすぐ横に立っていた。不審そうな顔が伺える。
「ちょっと、大丈夫? ……凄い汗だよ。走ったからとか、そんな理由じゃないよね」
言われて額に手をやれば、手の甲に多量の水滴が確認できた。
「……本当だ。いや、でも大丈夫。サッカーやってりゃ平気だろ。サンキュ、タク」
微笑んで笠井の肩を叩くと、彼は未だ納得がいかないような顔をしつつも、分かったと言った。
そうだ、サッカーをやっていれば治る。気分が優れないのはこの暑くて寒いおかしな気象の所為だ。気を取り直し、改めて足を踏み出す。今度は先程のような揺れは無かった。
ふと周りを見遣ると、既にほとんどが集合していた。しまった、と軽く舌打ちをして、すぐそこの集合場所まで足を急がせた。
「――、あ」
ゴールポスト脇を抜けるとき、またしても正体不明の揺れに襲われた。しかも先刻よりも大きい。
辛うじてゴールポストの縁に手を掛けたが腕にも脚にも力が入らず、そのまま地に身体を打ち付けてしまった。衝撃のためか、急速に目の前が白んでいく。
遠くにふじしろ、という渋沢のものらしき声が聞こえた気がして、――そこで、意識は途絶えた。
暑い、寒い、気持ち悪い。
そこは泥沼の中だった。
泥は熱く、けれど妙な冷たさも抱いており、自分はそれに腰まで呑み込まれていた。
抜け出したい、抜け出さなければ。
しかし、そうしようともがけばもがく程にこの身は沈み、身動きが取れなくなっていく。
どうすれば良い。怖い。誰か助けて。――助けて、渋沢さん。沈みたくない。せめて伝えたい、あなたが好きだと。泥に呑み込まれて、自分が、この感情が、消えてしまう前に。
恐怖と後悔から無意識に涙が零れる。既に胸まで泥に浸かってしまっている。
渋沢さん、渋沢さん、渋沢さん。たすけて。
泥が肩をも呑み込み、残るは頭と片腕のみ、呼吸さえ難しくなった時だった。
左手が温もりに包まれる。何事かと視線を向けると、どれ程焦がれたか知れないあの大きな手が、自分の左手を掴んでいた。その先には――優しい顔をした、あのひとが。
助けにきてくれた。先程とは違う意味の雫が頬を伝った。
嬉しさに、知らず唇が彼の名を紡ぐ。喉が音を発する。
――渋沢さん
突然、視界が明るくなった。眩しくはない、柔らかな光。
「……起きたか。大丈夫か、藤代?」
オレンジ色の光の中に、その光よりも柔らかな微笑みがあった。
「渋沢、さん……」
「部活中に倒れたこと覚えてるか? あの後、監督がここまで運んで下さってな」
その言葉に、きょろりと辺りを見渡す。光の色に染められた見慣れぬ天井に同様の無地のカーテン、微かな消毒液の臭い。
「ここ……って、もしかして保健室っすか?」
「そうだ。部活も終わったし、起きたら寮まで付き添った方が良いと思ってついてたんだ。凄い熱だったそうだけど、気付いてすらいなかったらしいな」
少し困ったような笑み。このひとは、自分が馬鹿なことをやったとき、いつもこんな顔をする。
「なんか、地面が揺れて……バランス崩して倒れたのは覚えてます。……おれ、熱出したことなくって。熱出ると、暑くて寒くて……なんか、よくわかんねぇことになるんすね。」
初めて知りました、と答えつつ、先程のあれは夢だったのかとぼんやりと思う。左手は夢に続いて暖かく、目だけをそこに向けた。
目線に気付いた渋沢が、少し焦った顔をしてから微笑む。
「……これか。ちょっとうなされてたから……その、大丈夫か、みたいな気持ちで握ってみたんだ」
でももう目も覚めたしいいか、と手を離される。温まった手に冷たい空気が触れる。もっと握っていて欲しかった。握っていて貰えるなら、永遠に悪夢を見続けても構わなかった。
「それにしても、藤代はあまり病気をしないだろうとは思っていたけど……まさか初めてとはな」
小さく声を出して笑う。続けて、咳だとか風邪みたいな症状もないしな、と口にした瞬間、何かに気付いた様に二度瞬きをした。
「……もしかして、何かあったのか? 熱を出すくらい考え込むこととか……」
苦笑いから一転、真剣な顔をした渋沢にどきりとする。
恐らく、彼の言う通りだ。柄にもなく、胸の奥で燃える恋の心を持て余して悩み続けていたのだ。
普段はサッカー以外のことに関しては鈍いのに、こういうときだけ鋭いなんて。
「何かあるならいつでも話してくれよ。そのためにも、おれはいるんだからな」
優しい笑顔。瞳は真剣な色を帯びて、心配してくれているのがよく分かる。見ていると、全て話したくなってしまう。
「……あの……実は、ですね。……好きなひとが、できたんですよ」
少し驚いた顔が見える。霞のかかった頭で、このひとはどんな表情も魅力的だなどと思う。
「そうか……。うん、でも良いことじゃないか。おれは恋愛なんてしたことないからな……純粋に羨ましいよ」
本当に? 相手が男だとしても、あなたは羨ましいと思ってくれますか?
「――おれの好きなひとっていうのが、男だって言っても?」
思ったことが勝手に口から出る。自嘲の笑いが零れて、気持ち悪いっしょ、と続いた。熱の所為だろう、目の奥が熱い。鼻がつんとする。
渋沢は予想だにしていなかっただろう発言に、数秒、或いは一瞬であったかもしれないが、じっと藤代の顔を見つめた。顎に手を添え、軽く唸る。
「……そうだな、男っていうのは全く頭になかったけど……でも、気持ち悪くはないな。おれがその相手だったら、性別を越えてまで好きになって貰えて嬉しいと思うよ」
模範解答。それならばと、熱に包まれうまく働かない頭は考え、口はそれを告げた。
「ねぇ、それじゃ……それがあんたなんだって、渋沢さんのことなんだって言っても、おれのことケーベツしないでいてくれる?」