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飽和を拒む指

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「うわぁ、几帳面だなぁ」
 突然に声をかけられて、藤原は驚いてびくりと肩を揺らせた。悲鳴こそあげなかったが、傍目に見てわかりやすいほど大げさな反応だったに違いない。勢いで上がった視線の先では、クラスメイトがひとり目を丸めていた。
「ごめん、そんなにびっくりさせるとは思わなかった」
 天上院吹雪。
 入学早々から、異国の王子めいた服装で校内を闊歩したり、昼休みに突然ギターを奏でだしたりと、なにかと奇抜な言動が目立つ人物だ。藤原がまだ慣れ切っていない学園生活のなかで、探るまでもなく名前が浮かんでくるクラスメイトのひとり。
 講義室には自分しか残っていないと思っていたのに、いつの間に入ってきたのだろう。わざとじゃないんだよ、と軽い口調で弁明しながら、吹雪は自然な動きで藤原の隣に腰を下ろすと、手元のノートを覗き込んだ。「これ、毎日書いてるの?」と訊ねる。
 人の記帳を勝手に覗き見して、ずいぶんと堂々としたものだと藤原は思う。無論、慌てて隠さなければならないようなものでもないのだから、藤原からそれを叱責するつもりはなかったが。
 藤原は黙って室内を見回し、吹雪のほかに人がいないことを確認した。つい先ほどまで生徒たちで賑わっていた空間は、けれど、授業を終えたいま嘘みたいに静かだ。このかすかに人の気配の残る、放課後の教室が藤原は好きだった。雑然として、同時に森閑としている。その愛しい空気が崩れていないことに、藤原はそっと安堵した。彼ならばこれを壊さないような、そんな期待を裏切られなかったことに安堵した。
 書きかけのページに視線を戻しながら、「うん」と藤原は返す。止まってしまったペンを再び走らせはじめた。「毎日書いてるよ」
「ほんとに?」
「うん、……なにかおかしい?」
 口を開きながら、すらすらとページを埋めてゆく。手帳サイズのノートには、その日に自分が関わったデュエルの流れすべてを書きこんでいた。参加したもの、観戦したもの、授業で教えられたこと、だれかが口にしたこと、見て聞いて培ったそのすべて。
 日記とよべるようなものではない、形式的に記載してゆくただの記録。
 迷いなく記されてゆく文字の羅列に、吹雪は興味があるのかないのか、どこか投げやりとも取れるような視線でそれを見つめ、「僕のも書いてあるの?」と聞いた。
「もちろん」藤原は軽く首肯し、少し迷うように間をあけてから、「昨日の丸藤とのデュエルも全部記録してる」と言った。意図せず口元がほころんでしまい、ついノートから視線を上げて吹雪の表情を確認する。見れば、彼は照れるような、なんとも言えないようすで苦笑いを浮かべていた。
「ああ、あれ、藤原も見てたの?」
「うん、ちょうど通りかかったから」
 新入生にしてアカデミア開校以来の天才と名高い、丸藤亮と天上院吹雪のデュエルだ。それも授業ではなくプライベートでの一戦なのだから、その場に出くわした生徒たちのざわめきといったらなかった。多くの観客を沸かせたその勝負は、結果として丸藤亮の勝利で幕を閉じたものの、今朝方になってもなお興奮した面持ちで話題に上らせる生徒を見かけるほどだった。
「良いデュエルだったよね」と、藤原は言いながらページを捲る。見慣れた自分の筆跡が白いページを埋め尽くし、そこに彼らの決闘のさまを事細かに描いていた。
 吹雪はそれを覗くことはせず、やはり複雑そうな面持ちで肩をすくめる。
「悔しそうだね」と言うと、彼は「まあね」と返した。彼らはふたりともとても楽しそうに戦っていたし、見ている側もとても楽しい時間をすごしたけれど、やはり負けると悔しいのだ。あれだけの熱戦であればなおのこと、楽しんだ分だけ得るものも大きいのだろう。
「明日の実技は亮とは当たらないだろうしね。リベンジの機会はいつになるやら」
「ああ、そっか。明日は……」
「うん、順番通りなら、明日はきみと」
 教師側の指名で相手の決まる実技演習は、ときおり気まぐれにランダムされることもあったが、基本は順序があるため予想がつく。藤原が次に当たるのは吹雪だ。
「そういえば、天上院とはやったことなかったんだ」
 派手な立ち回りの多い彼の姿を観戦者側から見ることは多く、結果的に記録ばかりが手元にあったが、実際に彼とのデュエルを楽しんだことは一度もなかった。そのうちに機会があるだろうとは思っていたが、それが明日にまで迫っているとは。
 たのしみだな、と独り言のように洩らすと、吹雪はこちらこそと嬉しそうに返す。楽しいデュエルになればいいと、藤原は思った。幸いなことに、研究資料ならばこの中にぎっしりと詰まっているのだ。中途半端なところで止まってしまっていた記述に続きを書き加えながら、寮へ戻ったらデッキを見直そうと決める。一晩仕事になりそうだ。
 吹雪はというと、機嫌良くノートにペンを走らせはじめた藤原をなんともなく眺め、けれどふいに、
「吹雪」
 と言った。
 藤原は顔をあげる。
「天上院、じゃなくて、吹雪で良いよ」
 呼び方、と付け加えられて、藤原はああと得心する。先ほど天上院と呼んだのが気にかかったのだろう。聞き知る限り、彼はほとんどの生徒に名で呼ばれていたし、ほとんどの生徒を名で呼んでいた。
 自分が彼を吹雪、と呼ぶ。それはかまわない。彼がそれを望むことはかまわない。それに応えることもかまわなかった。
 けれどその先に続く言葉を思い、藤原は無意識に身を固めた。指先になにか冷たいものが触れたような気持ちになる。それはすっと血液の中をとおり、腕を抜けて心臓を抜けて、そうしてきっと喉の奥から溢れて、この静謐な、藤原の大好きな放課後の気配を失わせてしまう。
 その恐怖を知らない吹雪が言った。
「藤原の下の名前ってたしか――


 優介


 ――だったよね?」
 彼がそれを言い終わるのより早く、藤原は立ち上がった。突然のことに瞠目している吹雪を見やることなく、「帰る」と呟く。足が震えて立てなくなる前に、と無意識に気が急いた。
「え、なに、藤原? どうしたの?」
 吹雪は困惑したようすで藤原を見上げていたけれど、ふと切り替えるようなタイミングで真剣な面持ちを浮かべて「そう」と言った。「ひとりで平気?」
 ちいさく頷く。
 彼はそれ以上なにも言わなかった。
作品名:飽和を拒む指 作家名:一波