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美少女オタクと鏡音レン

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コーラス



 俺がこの家に来てから、数日が過ぎた。
 出会い頭のマスターの印象は最悪で、絶対にあいつの思い通りになんて歌ってやるものかと思った。事実、歌っていない。けれど、それは歌っていないのではなく、歌わせてもらっていない、だった。そう、実はまだ、ワンフレーズも歌わせてもらっていないのだ。リンはもはや数え切れないほど、曲を歌わせてもらっているにも関わらずだ。
 歌を歌わせてもらえないボーカロイドって、何のために存在しているんだろう。ここ数日、そんなことばかり考えている。
 今日も部屋の隅っこで、一人膝を抱えていた。
 この家にボーカロイドは、俺とリンのほかに初音ミクという先輩も居る。今日はそのミク先輩とリンでセッションするらしい。俺は、それを黙って聞いていた。
 ミク先輩は前からいるから、とても上手い。リンも、もともと声はいいから、悪戦苦闘しつつもがんばってる。でも、やっぱり聞いていると少し、惜しい。俺だったらもっとこう歌うのに。
 気がつくと、俺はリンのフレーズを歌っていた。
「そこ、雑音入れんな!」
 ぴしゃりと怒声が飛んできた。
 無精ひげがいらいらと俺を睨んでいた。
「ったく、お前はろくに歌えもしねぇのに邪魔するんじゃねぇよ。それでもボーカロイドか? あぁ?」
「ろくに歌えもしないって、あんたが歌わせてくれないんじゃないか」
「口答えすんなボーカロイドが!」
「ボーカロイド、ボーカロイドって、そうだよ、俺はボーカロイドだよ! 歌うことだけが俺の生きている意味なんだ! それしかできないんだ!」
 俺は家を飛び出した。泣きながら。
 歌えないボーカロイドに意味はない。
 リンのおまけでしかないボーカロイド。まともに歌えないボーカロイド。なんで、俺みたいな中途半端なボーカロイドが生まれたんだ。なんで。
 俺は俺を作った奴を呪った。リンのおまけでしかないのなら、いっそ作ってくれない方がよかったのに。こんなに苦しいなら、最初からいない方がよかったのに。
 気がつくと、どこかの公園で泣きつかれて眠っていた。揺り起こされたのは、もう夕方だった。目の前に、青いマフラーを巻いた兄ちゃんが立っていた。
「大丈夫かい? 君、ボーカロイドだろう? どうしたんだい? こんなところで」
 にこにことした笑みを浮かべ、ベンチの隣にそいつは座った。なんだろう。新手の変質者だろうか。いかにもひ弱そうで、頼りない。
「あ。アイスがあるんだけど、一緒に食べる?」
 と、そいつはコンビニの袋からアイスのカップを取りだした。
「こんな寒空の下で、アイスなんか食ったら腹壊しますよ」
「大丈夫大丈夫。僕もボーカロイドだから」
 何が大丈夫なんだか。って、ボーカロイド?
「あんたも、ボーカロイド? もしかして、あんたが先輩のカイト、サン?」
 男は、アイスをうれしそうにほおばりながら、うなずいた。
「そう。マスターは違うけどね。君は鏡音レン君だよね。いったいどうしたのかな? オニーサンに言ってみなさい」
 にんまりと相変わらずアイスをほおばりながら、そんなことを言う。つい、吹き出した。
 同じボーカロイドということで気が緩んだのか、俺はぽつぽつとマスターのことを話し出していた。寒いだろうに、カイトは辛抱強く俺の話を聞いてくれた。
「そう、それで飛び出してきちゃったんだ。ボーカロイドにとって歌わせてもらえないことは、一番苦しいよね」
 そっと、カイトが俺の肩を抱いてくれた。また涙が溢れ出してきた。それを見られるのが嫌で、俺はカイトの胸に顔を押し付けた。
「なんで、俺のマスターはあんな人なんだろう。あんたのとこだったら良かったのに」
「そんなこと、言うもんじゃないよ」
「でもっ」
 唇を押さえられた。
「僕たちボーカロイドにとって、マスターはなくてはならない存在なんだよ。君がマスターを信じなくて、どうするの? きっと、今にマスターもわかってくれるはずだよ。君の実力を」
 けど、マスターはリンの方が大事なんだ。自分は、必要ない。
「そんなことないよ。ほら、見てごらん」
 公園の入り口の方を、指し示された。視線を向けると、信じられないことに、そこにマスターが居た。
「マスター」
 俺を、探しに来てくれたのだろうか。 
 マスターが俺に気がついた。決まり悪そうに頭をかきながら、片手に抱えたコートを差し出してきた。
「この寒いのにそんなカッコで出て行きやがって。風邪引いてのど痛めたらどうすんだ馬鹿野郎」
「マスター」
「おまえにゃリンのコーラスに入ってもらわなきゃねーんだよ。早く来い、帰るぞ!」
 ぶっきらぼうな台詞。
 カイトが俺の背中を押す。カイトに押されるままに、俺はマスターに近寄った。マスターは俺に頭からコートを無造作にかけて、自分はさっさと歩き始めてしまった。俺は慌てて追いかけた。その途中で、もう一度カイトを振り返った。
 カイトは、相変わらずアイスクリームをほおばりながら、にこにことして手を振っていた。
 カイトの言うとおりなのだろうか。俺は、マスターを信じていいのだろうか。
 リンのコーラス。おまけというポジションに変わりはないけれど、歌える。やっと歌えるんだ。
 俺はカイトに向かって大きく頭を下げた。それから、マスターを追いかけた。マスターが歩くのは早くて、小走りでしか追いつけない。でも、コートを持ってきてくれた。隣で歩くことを嫌とは言わない。
 もう一度、マスターを信じてみよう。俺は、そう思って駆け出した。
作品名:美少女オタクと鏡音レン 作家名:日々夜