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そして、それから先は誰も知らない

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 ソファーの冷たい革張りが肌に心地良い。イギリスは羊水に浮かぶ胎児のように丸くなって眠りについた。
 夢の中、額に何かが触れた。何かを躊躇うような仕草で。それから耳に、首筋に、鎖骨にと、濡れた感触がして、イギリスは眉を寄せた。すると、不意に肌寒さを感じる。
 どういうことだろう。此処は室内の筈なのに。
 僅かに身動ぎをすると、まるで宥めるように口付けが与えられる。額に、頬に、唇に。
 欲望を伴わない、優しい口付けは本当に久し振りのものだったから、イギリスは舌っ足らずな口調で再び口付けを求める。
「……良いのかい?」
 耳元でそっと囁かれた、あまりにも耳慣れたその声に、イギリスの意識は一気に覚醒した。
 部屋は暗い。けれど、窓から差し込む微かな光、横から月に照らされて、目の前にアメリカが居た。睡眠を取るには十分な大きさのベッドの上で、まるでイギリスに寄り添うように、けれど半分被さるようにして、イギリスの腰を抱えている。
 何だよ?
 どういうことだよ?
 イギリスが戸惑っていると、ゆっくりとアメリカの顔が近付いて来た。
 アメリカ。
 何をしても消えなかった、想いの先の。
 その相手の。
 その唇が。
「……待てッ!」
 触れる直前、ギリギリでイギリスは自分の口を手で塞いだ。
 その手の甲に、柔らかな感触が与えられる。
「……んっ」
 ただそれだけで、イギリスの肩先がピクリと跳ねた。
 それでも必死で自分を保とうと、アメリカの身体を押しやって少し離すと、今度は大きな手がイギリスの髪を撫でた。
 カットグラスを楽に納めていた、手。日本を抱き締めたであろう、手。
「な、に、これどうなってんだよ……?」
「さぁ、ね」
「ふざけ……どけよ、離れろ」
「もっとって、言ってたくせに?」
 ゆっくりと顔が熱くなるのが分かり、同時に怒りもやっと認識されてきた。
「お、お前だって気づかなかったんだ! ってか夢だと思ってた!」
「……ふうん。じゃあ、誰だと思ってたんだい」
「お、お前には関係ないだろっ」
 アメリカのキスなんて知らない。あんなに優しく触れられた記憶も久しくない。だから、想像なんてしようがないのだ。
「言えないの? もしかして俺の知ってる相手とか?」
「だから――」
「ま、良いや」
 何がだよ。そう言う筈だった唇は、しかし言葉を発することが出来なかった。アメリカが唇を重ねてきたからだ。
 先程のものとはまるで違う、相手の全てを奪うような乱暴な口付けに、イギリスは抵抗が出来ない。それは、突然与えられたものだからではなく、アメリカが与えたものだからだ。
「……っおま、いきなり何すんだ!」
「君、要は欲求不満なんだろ? 協力してあげるよ」
「はぁっ?」
「君の欲求不満を、俺が解消してあげるって言ってるんだぞ」
 ヒーローだからね。そう言って、アメリカはイギリスのシャツに手を掛けて、サッサとボタンを外し始める。ソファーに乗り上げた際、イギリスはジャケットを脱がなかったし、ネクタイも緩めただけだった筈だ。皺になるとは思いつつも、そんなことをする気力が無かったのだ。
 だから今のこの状態は、イギリスが寝惚けて脱いだのではない限り、アメリカが勝手に脱がしたのだということで。では、それは何故か?
 アメリカは言っていた。イギリスの欲求不満を解消してやるのだと。解消方法なんて、基本的には一つだけだ。
「お前、何馬鹿なこと言って……ッ」
 アメリカの手がゆっくりと項から髪の中に潜り込んだだけで、シャツを脱がそうとしていた逆の手から注意がそれてしまった。
 その間にベルトも解かれ、ソファーの下には次々に着ていた筈の服が溜まっていく。
 流石に本気でヤバいと思い、イギリスは遅ればせながら逃げようと横に足を踏み出そうとたが、今度は床とソファーの高さが上手く掴めなくて、危うく転びそうになってしまう。
「……っちょっと、何してるんだい」
 咄嗟にウエストに巻き付いてイギリスを抱きとめた腕の筋肉が、固く収縮するのがそこで感じられるのは、互いに素肌が触れ合っている証拠で。
 往生際悪くジタバタと暴れるイギリスを、アメリカは今度は強くソファーに押し付ける、その掌も。
 ツツーっと項を舌先がなぞり、鎖骨に辿り着くとひと際強く吸われたのが分かった。
 それがもう、ブルブルと足が震えるほど皮膚を敏感にさせ、ザラザラした感触も濡れた唇も事細かに脳まで届いてしまう。
「……ん…ッ」
「それにしても何だい、このウエスト……細いにも程があるよ。ガリガリじゃないか」
「う、うるさ……ッ、馬鹿にしやが、て……ツ」
「馬鹿になんかしてないだろ」
「してる……だろうが……ッ、俺は、日本じゃね…ェッ」
 軽く、首筋を甘噛みされた。
 そのまま食いちぎられたっておかしくない、柔らかい場所。
 歯がゆっくりと肌の上をすべり、慰めるように舌がペロリと仕上げを施す。
「誰も日本の代わりにしようなんて思ってないよ。言っただろ、協力するって」
「おま、お前、は……そんないい加減な気持ちで日本と付き合ってんのかよ! じゃあ何か、友達が彼氏に振られて寂しいからって言ったら、お前一緒に寝てやんのかよ。酷いじゃねェか!」
 胸倉を両手で掴み揺するイギリスに、目を白黒させていたアメリカは、慌ててその手首を掴んで止めさせた。
「ちょっと君……何か勘違いしてないかい? 俺と日本は別に……その、特別な関係って訳じゃないぞ。ただお互いの利害が一致したから一緒に過ごしてるだけだ」
「……何、言ってんだ?」
「別に俺が日本に今の関係を強要してるわけじゃないってことだよ。抵抗するなら直ぐに止めるつもりだったけどさ、彼は何も言わなかったし」
 アメリカの説明に、イギリスはどうしていいか途方に暮れる子供のような顔をしていたらしい。ほとほと困り果てたように、アメリカは続けた。
「だからさ、俺達二人の間には恋愛感情なんてものは無いんだよ。所謂セックスフレンドってやつさ」
 アメリカは、そんなことを本気で思っているのだろうか。
 愛情を持たない相手と、体を重ねられる……ということではない。アメリカと日本の間に、恋愛感情が存在していない、という点だ。
 それでも、そのことについてイギリスがアメリカに言及しなかったのは、それならばまだ自分にもチャンスがあるのではないかという希望を抱いたからだ。
 だから。
「なら、日本はお前と付き合ってるわけじゃないんだな?」
 日本を裏切らずに済む。そんな衝動から、気が付けばイギリスはそんなことを口走っていた。
 その途端、アメリカの目がすっと細くなり、鋭さを帯びる。
 口元は冷たい笑みをつくり、今まで一度も見たことのない、残酷な瞳が覗いた。
「へえ……もしかして君、日本のことが好きなのかい?」
 答えるつもりなどなかった。元よりアメリカの推測は見当違いである。けれど何故か、アメリカはそのイギリスの反応をイエスと受け取ったらしい。
 アメリカの唇がきつく引き結ばれ、そのままイギリスのそこに重なった。
 最初のものとは違う、乱暴に身体を拘束して、容赦なく掻き回して吸い上げるキス。
 絡めた舌をアメリカの口の中に引き込まれ、隅々までなぞり尽くされた。