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末期の庭

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「それより秀吉。相談していた東の押さえについてだけど、三成君に任せようと思うんだ」
 早くこちらを休ませようとする友を見上げたまま、思い出したとばかりに話題を変える。それには、ふと秀吉の表情が曇る。
「三成にか…?」
「ああ、そうだ。彼は未熟だけど、いずれは君のいい手足になると思うよ」
 半兵衛が見ることが出来ない未来の、布石としての駒。そんな将来有望な若者の名を挙げてみるが、秀吉の反応はあまり芳しくない。自身が召し抱えた若武者のひとりでも、まだ重要な場面で用いるには信用が不足しているらしい。
 豊臣軍の悪いところは、秀吉や半兵衛が先に動いてはあれこれとすべてにおいて指示を出すせいで、下に全権を渡すことがほとんどないということ。
 一地域を制圧するだけならば、それでもよかっただろう。でも、豊臣軍はどんどん大きくなっている。なにかしら誰か任せるということだって必要になるし、秀吉自身にもそれに慣れてもらわなくては困る。
 ただこの反応はある程度予想できていたことなので、大丈夫さと笑って続ける。
「万が一、彼が抑えに失敗しても、僕や君が転進すればいいだけのことじゃないか。任せて育てるのも、悪くないんじゃないかな?」
 信頼という名の褒美をちらつかせ、忠実な犬を作る。それは、豊臣軍を強くするのに必要不可欠なこと。犬は多ければ多いほどいいのだ。特に、この先のことを考えれば。
「わかった。お前の判断に任せよう」
「ありがとう、秀吉」
 同意の頷きを返す秀吉のたくましい腕を一度、安心しろとばかりに軽く叩き、今度は広域の地図に目を落とす。
 軍の振り分けについては、進言する時点で当然だがもう決めている。しかし秀吉のあまり芳しくない反応からして、いま少し東側に向ける兵力を多めに調整したほうがよいだろう。
 豊臣全軍の兵力はすべて頭の中に入っている。それらを陣取りの碁石のように、将棋の駒のように脳内で動かしていく。
 溢れんばかりの可能性と、それに対しての完璧な対処法。それがさざ波のように、頭の中で引いては満ちる。それに身を委ねるときこそが、軍師として生きる者の一番快楽なのだ。
 このときの半兵衛は、誰にも邪魔を許さない。唯一の例外者である秀吉もそれを知っているから、溜息を吐くと陣屋を後にした。


 翌朝、まだ日も昇りきらぬうちから豊臣軍の一部がこの地を離れて行ったとの報は、すぐに元就にも届けられた。
 正確な情報は夜陰に紛れてもたらされる報告を待つしかないが、篭城していても不便はないのだ。今のところは、それなりに。
 不用意な立ち入りを禁じた私室の一角で広域の地図を前に、元就は溜息を吐く。
 今年の、この周辺の収穫はほぼ見込めない。来年は年貢を下げる必要がある。だが、来年の毛利はどうなっている? 豊臣と和議を結んでも、ある程度の制裁金なりは求められることだろう。ならば年貢など低くは出来ない。場合によってはこの一角は豊臣に譲渡する可能性もある。いや、先に欲しがるのは銀山のほうか。
 篭城で煩わしい内務のあれやこれやからはある程度切り離されているとはいえ、頭の一角は常に内政をどうするべきか、この先の計算ばかりで占められている。豊臣が動いたというだけでこちらのスイッチまで入るのだから、困ったものだ。
「よぅ、毛利。豊臣が動いたな」
 入室の許可を求めることもせず、ずかずかと鬼は人の部屋に入り込んでくると胡坐をかく。怒鳴ったところでこの男は改善もしないのだから、怒りは溜息に紛らわせる。躾ければ理解する犬のほうがまだ可愛いげがある。
「……聞いたのか」
「ああ。竹中の野郎、今度はなにを仕掛けてくる気か」
 これまた勝手に地図を覗き込んで、首をひねる。もちろん、同盟国相手だから戦評定のときなどこちらの地図を広げることもあるが、本来、この手のものは最大機密のひとつ。先のことを考えれば、決して見せてよいものではない。
 しかし、この男にはなにを言っても無駄であろう。またも嘆息がこぼれる。
「城でも落としに行くつもりか」
「……かも知れぬな」
 篭城する側でも囲む側でも、一番難しいのは士気を保たせること。奮い立たせるにはやはり勝利がなによりで、そうなれば周辺の城を落としに行けばよい。現に、豊臣軍は初手の段階でいくつかの城を落としている。
 だからこのたびも、いまだに落ちぬ城を叩きに行ったか。
 空返事で頷いたものの、いや違うなと首を振る。
 あくまで豊臣の狙いは、毛利軍の要であるこの高松城を落とすこと。それに周囲の城攻めをしても、現存する城の守りはそれなりに堅いし、うかつに兵力を落とすのは得策ではない。
 だが、現に兵は割かれている。
「貴様ならどう読む、長曾我部」
 顔を上げて問えば、めんどくせぇとはっきり顔に出して鬼は頭を掻く。
「こういうまだるっこしい戦は、苦手だって言わなかったか?」
「無駄飯を食っておるのだ。少しばかりは知恵を出してみよ」
 手助けに来たと言いながら、今だ一度たりとも役に立っていない。この男に食わせる一食分が減ったほうが、まだ毛利のためになるのではないか。
 追い出すべき言葉を口にしようとしたとき、それを読んだのか、まあ待てよと大きな手が遮る。
「篭城して一月、そろそろ諸国がこっちの様子を伺い始めている。豊臣も新たな一手は打ちたいだろうさ」
 うかつに豊臣側になにかあって、篭城で萎えている毛利の士気が戻っては意味がない。
「襲撃か、牽制か」
 とん、と地図を指しながら呟く。
「どっちもかもしんねぇな。秀吉もその懐刀の竹中もこっちにつきっきりなんだ。これ幸いと、反旗を翻す奴がいたのかもな」
 言われて、それもそうだと気づかされる。
 元就にとって半兵衛と戦をするのはごくごく当たり前のことになっていたが、豊臣側からしてみれば当然でもなんでもない。
 初戦はまだわかる。お互いの出鼻をくじくのが肝要で、元就と正面きって戦うならば豊臣側で半兵衛が出てこないはずがない。だが、篭城戦に移ってのち、半兵衛や秀吉がこの地にいる必要などまったくないのだ。
 時間ばかりがかかるこの策。見張りは部下に任せれば済むことで、頭のふたりが篭城戦に付き合っていられるほど豊臣軍も安泰ではないはずである。西にも東にも移動できる場所にあって、豊臣軍の強化を図るなりするのが、ごく当然の選択なのかもしれない。そうでなくても、豊臣軍は大きく支配勢力を広げている。
 だからこそ、そこから元親の言う通り反乱分子が起つ可能性がある。西の戦で秀吉たちが不在ならばなおさらだ。さりとて、そんな気概のある者が残っているかどうか。
 上杉軍にすっかり自らの居場所を確保した、前田の風来坊あたりが騒いでくれればよいのだが。これもやはり希望論すぎて、現実味がない。
 予測というものは、可能性がある限り何通りも成り立つもの。それを、現状という名のふるいにかけて絞り込んで行く。
 まるで子供が砂の城を作り遊ぶようなものだ。作るたびに、現実という波が崩していくのだから。
 しかし、なにかが脳裏に引っかかる。まるで魚の小骨がのどをかすめているような、違和感。その正体を探ろうと、腕を組んだときだった。
作品名:末期の庭 作家名:架白ぐら