初恋をつらぬくということ
「どうして、ここに?」
たずねた。
まわりには武家屋敷が建ち並んでいる。銀時が松陽と暮らしている塾はここからは少し遠い。
「松陽が借りた書物を、俺がその代わりに返しにきた帰りだ」
銀時が素っ気なく答えた。
なるほどと桂は思う。
松陽は以前は藩校で兵学を教えていたこともあるほどのひとで、このあたりに住む者にも知り合いが多い。
「そういえば、先生はお元気か」
ここのところ塾にまったく行っていないので、気になった。
しかし、銀時は黙っている。
雨の降る音が耳につく。
傘をさしていても、きものなどが雨に濡れるのを感じる。
しばらくして。
「元気かどうか知りてェのなら、会ってその眼で確認すりゃいいだろ」
そう銀時はぶっきらぼうに告げた。
塾に来いということだろう。
その言葉が桂の胸に重くのしかかり、頬が強張る。
なんと返事をすればいいのかわからない。
桂は銀時がいるのと逆のほうに眼をやった。
武家屋敷の長く続いている塀の瓦屋根の上に、樹の枝が伸びていて、そこに茂っている緑の葉も、雨に打たれている。
視線を下に向けると、道が雨に打たれているのが見えた。
どこもかしこも雨に打たれている。
雨とその降る音に満ちている。
銀時も、なにも言わない。
その沈黙が気まずい。
どうしてこんなふうになってしまったのか。
自分たちは一緒にいるのがあたりまえなぐらい仲が良かったはずなのに。
お互いなにも喋らなくても、居心地の悪い思いをすることなぞ、ほとんどなかったのに。
けれども、今はこんなに気まずい。
その気まずさに耐えきれず、桂は口を開く。
「銀時」
思いきって話すことにする。
「俺はもう先生の塾には行かぬ」
「なんでだ」
即座に銀時が聞いてきた。
「もしかして家族に止められてんのか」
気づいていたのかと、桂は少し驚く。
「ああ、そうだ」
「オメーはどうなんだ」
さらに銀時は聞いてくる。
「オメーは塾に行くのを止められて、それで塾が嫌になったのか。それとも、塾に来たいと思ってんのか」
もちろん塾に行きたい。
だが、その気持ちを心の奥底へ封じこめるしかないと思っている。
しかし、それを銀時に言えず、桂はまた黙りこんだ。
雨音が大きくなって、耳の中に降っているかのように感じる。
「……俺ァ嫌だ」
銀時が言う。
「オメーが塾に来ねェのは嫌だ」
大声ではない、けれども、その声は雨音の中ではっきりと聞こえる。
「オメーに会えねェのは嫌だ」
その声が胸を打つ。
胸が痛い。
これ以上は聞きたくない気がした。
けれども、銀時は続ける。
「俺ァ、オメーのことが好きだ」
胸の中で、心臓が、ドクンと、強く大きく打ったのを感じた。
作品名:初恋をつらぬくということ 作家名:hujio