初恋をつらぬくということ
「あ」
桂が声をあげた。
前方に、ふたりぶんの後ろ姿があった。
彼らも松陽の村塾の塾生である。
ふたりとも袴をはいている。
どちらも藩校生で、成績優秀のため藩校への入寮がゆるされた寮生でもあった。
藩校から来たのだろう。
塾生には、ある程度の年齢になると、桂や彼らのように藩校に通う者や、仕事につく者がいる。
だから、松陽は午前中は幼少の者に寺子屋のように学問を教え、午後からは年長の者たちに兵学などを教授する。
とはいえ、授業料については払える者のみ徴収し、だが、そうした者が少ないので、生計を立てるために農民のように田畑を耕したりもしていた。
道の先に冠木門が見えた。冠木門は、二本の柱に横木を渡しただけの簡素な門である。
まえを行くふたりがその門を通りすぎた。
門の向こうには建物がある。
そこが、塾であり、銀時の住まう家だ。
見慣れているが、眼にすると、心にかすかに安らぎを感じた。
陽が落ちて、あたりには薄闇が広がっている。
桂は左右に武家屋敷が建ち並ぶ道を歩いていた。
城下町である。
松陽の塾からの帰りだ。塾は城下町の近くの村にある。
やがて、桂は武家屋敷に入った。
もちろん自宅である。
夕餉を、と思いつつ廊下を進んでいると、桂家の当主である父の左兵衛と会った。
桂は頭を下げる。
「ただいま、帰りました」
「小太郎、話がある。部屋に来なさい」
左兵衛の声はいつもよりも堅い。
それを感じ取って、桂は緊張する。
なんの話だろうか。
左兵衛のうしろについていき、部屋に入る。
そして、正座した。
正面には左兵衛が座っている。
左兵衛は桂の父というより祖父ぐらいの歳に見える。
桂にとって左兵衛は実の父ではなく、養父だ。
幼いころに、この桂家に養子に入った。
生家は、道をはさんで向かいの和田家である。
和田家は藩医を家業としている。藩内の武士階級では中の下ぐらいに位置する寺社組に属している。
桂家はそれよりも高い家格で、藩の要職を務めることも多い、大組である。
跡継ぎのいない桂家から養子の話がきたとき、小太郎が和田家の長男にしてひとり息子であったにもかかわらず、喜んで受けた。
そのため、跡継ぎのいなくなった和田家は、その後、養子を迎えたのだった。
「吉田松陽の塾に行ってきたのか」
「はい」
「もう、あそこには行かないほうがいい」
左兵衛にそう告げられ、桂は少し息をのんだ。
作品名:初恋をつらぬくということ 作家名:hujio