夏、来るらし
次の日、私は職場に休みを申し出ると、別の従兄弟の家を訪ねていった。
突然の訪問に驚いた彼に例の少年の名前を告げ、こちらにはいたことはなかったか、と尋ねると、彼は明らかに動揺した。
「いや、押し付けるつもりで来たんじゃ無いんだ」
彼の懸念の理由を慮って私は言った。
「しばらくならウチで預かっても良いと思っているよ。塔子もすっかりその気だし。ただ、どんな子なのかわからないのは僕が不安でね。預かる上で注意することがあるなら知っておきたいんだよ」
「そうか……ああ、まあ、そうだよな。それはわかるんだ。うん。ただなあ……」
それでも彼の歯切れは悪い。私は勤めて磊落を装った。
「いいよ、なんでも遠慮しないで話してくれ。大丈夫、ある程度覚悟はしているんだ。十五年もあっちこっちでたらい回しなんだろう？ それってやっぱりあれか、素行がだらしないとか、悪い人たちと付き合っているとか、そういうのが理由か？」
「いやいや。そういうことは全くない。むしろ逆。素直で真面目で、聞き分けの良いおとなしい子だよ。言葉遣いとか生活習慣なんかもちゃんとしていて、その点は全然手はかからない。ただ……」
彼は非常に困った顔をした。ちらっと上目遣いで私を見る。
「あの子、ちょっと変な癖があってね」
「癖？」
「笑わないでくれよ？ なんかさ……『見える』らしいんだ」
「『見える』？」
「お化けというか、幽霊というか。そういう薄気味の悪いものが……ああ、いやいや。もちろん嘘だとは思う。まだ子どもだからね。そういうことを言ってみたい年頃でもあるだろうし。ただ、あの子の場合、それがずっと、なんだ」
「ずっと？」
「赤ん坊のときに両親亡くして、直後は叔母さんが引き取ったんだ。ゆくゆくは養子に、とも思ったらしい。が、物心つく頃には何も無いところに向かって話しかけたり、突然怯えて走り出したりの連続で。これはおかしい、と言われ出した頃、今度はその叔母さんが病で亡くなってね。その後は父方のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんが面倒見たけど小学校に入ってじきにその人たちも相次いで亡くなった。その頃からかな、何か憑いているんじゃないか、なんて言われだしたのは」
その後を引き取った人は、精神の病か、と疑ってしつこいくらい検査を受けさせたり、カウンセリングに通わせたりしたらしい。でも一時は静かになってもすぐにまた、そういう行動が出る。諦めて匙を投げるのにそう時間は掛からなかった。それからはもう、親戚一同で押し付け合いの連続だったらしい。子どもの方もそんな大人を警戒したのか、容易に馴染もうとしなくなったようだ。
結局その子は半年から一年ほどであちこちを居候して回って暮らした。小学校だけでも十回以上の転校を繰り返し、友達らしい友達もできず、誰にも馴染まないまま中学に入り、それもまた数回転校して兎にも角にも義務教育だけは終えた―――そんな状況で今日に至ったのだという。
「かわいそうって言えばかわいそうなんだ。でもなあ、正直、きついよ。ウチにいたときもそうだ。突然青い顔してそわそわしだしたり、誰もいないところに向かってブツブツ呟いたり。それくらいならまだ我慢できるけど、あるとき食卓の支度を手伝ってくれたときに、一人分多く用意してくれて。三人で良いんだよ、と言っても『でも、後ろにもう一人』って真面目な顔で言うもんだから、女房がそれはもう怯えて怯えて。『祟られてからじゃ遅い』とまで言われたら、どうしようもなかったんだよ」
彼は、心に溜まっていたものを吐き出すような勢いで一気に話し込んだ。懐かなかったあの子も悪いんだ、とか、態度がとても子どもと思えなくてかわいくなかった、だとか、聞いてもいないことまでよくしゃべった。そのおどおどとした言い訳がましい口調が、内心とても不愉快だった。年端も行かない子どもを大の大人が寄って集って疫病神扱いして、挙句懐かないだのかわいくないだの、よく言えたものだ。
が、顔には出さず、よくわかったよ、ありがとう、とだけ言ってそこを辞した。
「しかしまさか滋君のところまで話が行くとは思わなかった。この分じゃ、もうあと引き取るとこ、本当にどこもないだろうな。もし手に余ったら今度こそ施設入所で良いと思うよ。いや、どこか住み込みで働けるところに押し込む方が世話が無いかな。ははは」
最後に笑いながら彼が言った言葉に、私はもう何も答えなかった。
流れる汗がやたらと目に沁みる、入梅直前の蒸し暑い日のことだった。